わたしの私

宮古遠

わたしの私

 

 根暗で引っ込み思案のわたしが部屋の全身鏡すがたみの奥をみつめて「私」になるのは、わたしが、わたしの大好きな先輩と、いつも一緒にいるためだ。「私」になったわたしは凜として、明るくて、自分から率先して、なにかの物事へ取り組んでゆく。そんな私だからこそ、大多数の人と違って大好きな先輩と一緒にいられるんだと、先輩にとっての特別になれたんだと、わたしは勝手に思っている。

「どうしてわたしは私じゃないの」

 真逆の私からわたしに戻るといつも鏡に思うのだけれど、そうでなければわたしは先輩と触れ合うことなんかできなかったし、隣にいることが当たり前になんかならなかったハズだから、わたしはわたしの中に産まれた「私」という存在に本当にいつも感謝をしているし、ありがたいと思っていた。

 のだけれど今日、熱を出した「私」を見舞って先輩がわたしの家へやってきたとき、風邪で寝込んだ「私」の為に先輩が色々をしてくれたのがあんまりにもうれしくて、先輩と一緒に「私」がわたしの部屋にいるのがたのしさとうれしさを通り越して苦しくなった。そのせいでわたしは「どうしてわたしは『わたし』のまま先輩と過ごすことができないんだろう」と「熱にうかされ先輩の看病をうける『私』」が心底うらやましくて虚しくて泣きたくなった。けれど「私」は泣かないどころか、先輩とわらいあっている。

「どうしたの」

 先輩が「私」の瞳を覗き込む。

「わたし」をみつけようとする。

 ―――しまった

 けれど、

「あ」

 吐息が、柔肌が、綺麗な顔が、髪の毛が私の顔に垂れて髪がわたしをくすぐって「ああ」ものすごく近い近くてつらい―――と感じたのは「わたし」の勘違いで。「私」と先輩の距離はいつもの心地よい距離感のままだった。不快になんか絶対ならず、うれしくて楽しくて迷惑なんてちっとも思わない。思わぬまま存在し続ける「私」への距離声しぐさ視線匂い先輩のすべて―――「わたし」にとっては遠すぎる先輩のすべてが愛おしい。愛おしすぎて「うう」となるからもうわたしの身体で先輩のすべてを覆い尽くしたくなってたまらなくなる。わたしに抱かれて動けなくなった先輩をわたしの中に取り込んでゆっくりたっぷりと反応を楽しみながら先輩のぜんぶを食べてしまいたくなるのにそうできないのが虚しい。絶対に嫌われるからできない。怖がられるのが判っているから怖い。つらい。でもほしくて堪らない。先輩がほしい。ほしいのにくるしい。くるしいくるしいくるしい―――と妄する間に、先輩がわたしの部屋から消える。

「先輩」

 訪ねるけれど返事がない。変に静かな空間。変に熱でふわふわとする頭の中身。夢なのか現実なのかわからないわたしの部屋。空間。音。視界。視界の揺れ。ゆれ―――

「なにかつくってあげるね」

 そう。

 先輩は「私」のために買い出しへ出かけたのだ。そのことを「私」は聞いていたはずなのに「わたし」はまったく認知できなかった。いや、聞かなかった。「わたし」への言葉じゃなかったから、無意識に「わたし」がそうしたんだ。「私」への言葉を拒んだんだ。

「先輩は『私』のために出かけた」

 事実がつらくて苦しくてそして「私」のために看病をしている先輩のことなんか大っ嫌いだなんてねじ曲がった感情を思う「わたし」がいるのがもっと嫌で。けれど「わたし」を「私」にねじ曲げたのは「わたし」だし「私」を産み出したのも「わたし」だしだからこそ「わたし」は「私」として先輩と関われたのにいまになって「私」をいらないコみたく思うなんてどういうことなの「わたし」―――なんてどうにもならない感情を産みだす「わたし」を全身鏡すがたみの中で「わたし」と同じに寝そべる「私」が「わたし」を睨んで「わたし」を「私」にはいらないものみたく思っているのが「わたし」にも伝わって「わたし」は「私」を「わたし」とは別物としか思えなくなる。「わたし」でない誰か、得体のしれぬ別物。不審者。異物。他人―――

 他人。

 他人だ。

 わたしはわたしの「他人」自身が、恐怖対象でしかなくなる。

「どうして他人がわたしの部屋で、わたしのフリをしているの」

 ベッドから飛び上がるわたしを睨みつける他人。「わたし」のフリをして鏡の奥から「わたし」を馬鹿にする他人。「わたし」に成り代わり「わたし」から先輩を奪い取り貪り食い尽くそうとする他人。怪異。欲望。異様。おぞけ―――視線の毒気にやられたわたしの心臓もカラダも頭の中もものすごくシンドクて動きたいのに動けなくて動いているはずなのに金縛りみたいに身体が重くて気持ち悪くて酷い。音がしないのに音がする。無音なのに音。他人。他人の―――怖い。わたしの音がほしい。匂いがほしい。先輩の声がにおいがしぐさがほしい。ほしいのにわたしの中にあるのは「他人」の声とにおいとしぐさばかりで「ああ」やっぱり声もにおいもしぐさもいらない「こわい」―――たすけて。先輩たすけて。わたしを誰かが殺そうとしてる嗤ってる知らない人がわたしをみてるみてるのハサミはさみを持って―――「やめて」やめてわたしを襲わないで殺さないでやめてやめ「先輩」たすけてこわさないでおねがい私の鏡をこわさないで鏡の硝子の私をわたしをこわさ殺さないでお願いこわれないどうしてたすけて壊しても壊しても消えてくれないきえない死なないしねない私は他人がたくさんの割れた他人でわたしがわらう嗤ってる嗤うなわたしを他人でわらうなわたしに助けて先輩わたしに私をわたしのわたしは助けてたすけてたすけてタスケ―――

「いたい」

 まっくらになる。































 失明をしたわたしは暗闇の中にいる。わたしは顔面にそれはもう酷い傷を負うことになったらしい。だからもう、こんな気の狂った女みたいな行動をしたわたしの事柄もあって先輩はもう他人の―――「私」のために「わたし」のところへ来てはくれないだろうなと思っていたのだけれど、いまでも先輩は「私」のために、入院する「わたし」のところへ心配をしてやってきてくれている。

 わたしはもう永遠に「私」になんかなることはできない。「わたし」は「私」を殺したのだから。先輩が好いていた「私」は死んでしまったというのに、先輩は先輩にとって「抜け殻のわたし」を、いまも健気にも支えようとしている。「つらいのに気づけなくてごめんね」「いつまでもそばにいるからね」―――死んでしまった「私」のために、「わたし」をやさしく励ましてくる。

 結局「私」を殺したって、「わたし」は先輩を手に入れることができなかった。きっといつまでも先輩は「わたしの私」のことを想っているのだろう。いまの根暗で湿ったわたしを先輩は「私」が頑張りすぎて限界を迎えて怪我をして落ち込んで鬱になってこうなったと思っている。思っているのだろうな。

「わたし」は最初からジメジメで、ねっとりで、鬱々で―――それらの面倒さはぜんぶ最初から「わたし」のもので、ジメジメのねっとりの鬱々のどこにも「私」なんてものはいないのだ。いなかったのだ。だのにいないものをわたしの先輩は、ずうっと思い続けていたし、いまも想い続けている。ぜんぶわたしのせいなのに。わたしが先輩の仇なのに。

「つらいのに気づけなくてごめんね」

「いつまでもそばにいるからね」

 けれどそうした先輩の言葉を、うれしくおもうわたしもいる。いつまでもいつまでもわたしの側で「私」のために「わたし」に付き添ってほしいと思う「わたし」がいる。だって「私」は死んだのだから。先輩にとっての「私」自身に、いまの「わたし」は「わたし」として、成り代わることができるのだから。わたしを「私」だと想わせるまま、まっくらに包まれた孤独なわたしは、「私」に向けられた先輩のすべてを、「わたし」のものにできるのだから。

 ―――ちがう

 違う。

 この感情も、わたしも、結局はなにも変わらない。変わりっこない。変わっていない。わたしは「私」を殺していない。壊していない。壊されたのは「わたし」のほう。「私」じゃない。 わたしが勝手に壊れただけ。先輩がみているのは「私」なのだから。わたしでない「私」なのだから。「傷付いた私」なのだから。わたしなんか相手にされない。そもそも相手になんかなれない。わたしは「私」に押しつぶされて、ひとりぼっちの暗闇の中、「死んだ私」の想いにやられて、まっくら孤独に死ぬしかない。

「先輩」

 だからわたしは、「私」に触れる先輩の手を、暗闇の中で握り返す。暗闇の中で手を離して、先輩を逃がしてしまわぬよう。わたしが壊れて死ぬときに、先輩を食べて仕舞えるよう。



 

 

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