タコの断食

分身

第1話

 あるところ──海の底にタコが一匹住んでいた。彼の同胞であるタコ達はみんな人間にだまされてタコ壺ごと引き上げられてしまった。今は刺身になったかタコ焼きになったか、ともかく人間に食われて命を落とした。この事実はタコをして憂うつな哲学者たらしめ、常日頃から厭世的な思弁にふけっていた。

(そのうち俺も人間に食われてしまう。いくら用心してもタコはタコ壺に入るものだ。本能には抵抗できない)

 タコは考えた。

(いっそ首を吊って死んでしまおう。生きたまま釜ゆでになるなんて耐えられない!)


 一大決心をしたタコはどこからかビニールひもを調達してきて、沈んだ漁船の窓にくくりつけた。

(これで良し)

 タコは最後の晩餐に赤貝をこじ開けてむしゃむしゃ食べた。食後の一服をしながらタコはセンチメンタルな感傷にふけった。

(これで娑婆ともお別れだ。俺は自分で自分の命を絶つのだ。人間に食われた連中とは違う。俺はおのれの自由意志で死ぬのだ!)

 いよいよその時がきた。いざ死ぬとなると体がびくびく震える。必死になって抑えようとしてもいうことをきかない。ええい、ままよとタコは自分の首にビニールひもを巻きつけ──首に?タコは重大な事実に気がついた。

(俺の首とはどこだろう?)

 なるほど首の位置がわからなければ首はくくれぬ。ここかな、そこかな、あそこかな。タコはいろいろ試みてみたがさっぱりわからなかった。

(どうすりゃいいのだろう)

 タコは悲嘆にくれた。

(ああ情けない、死ぬこともできないなんて!さっきは偉そうに自由意志だなんだと言っておきながらこのざまだ。結局俺も人間に食われてしまうのか)

 タコは上を見上げて嘆息した。

(全くどうして俺はタコに生まれたのだろう。海の中で必死に生存競争を勝ち抜いたあげく、タコ壺にまんまとだまされて人間に食われてしまう。これは運命なのだろうか)

 タコは潮の流れに身を任せた。

(曰く不可解)

 だがタコは決然として奮い立った。

(否、否!俺は運命なんか信じない。俺は俺の自由意志で道を切り開くのだ。首吊りには失敗したが、必ず自殺をしてみせる)


 タコは沈思黙考した。が、なかなか妙案が浮かばなかった。

(人間に食われるぐらいなら、いっそサメにでも食われようか。しかしあの鋭い歯で噛みちぎられるのはごめんだ。痛い思いはしたくない。それともクジラの餌になるか)

 その時タコに一つのアイデアが思い浮かんだ。

(そうだ、断食して餓死しよう。食わずして死ぬ。これぞ自由意志だ)

 タコは早速巣穴に戻るとじっとして目を閉じた。しかしいろいろな雑念が生じてくる。

(最後に何か食べようか)

 タコは頭を振って自分に言い聞かせた。

(いかんいかん、さっき赤貝を食べたではないか。こんな調子では断食なんぞできるものか。雑念を振り払え。心を無にするのだ)

 タコはしばらくじっとして身動き一つしなかった。すると腹が減ってきた。

(さあこれからが本番だぞ)

 タコは頑張って空腹に耐えた。そして見事空腹を克服した。

(よしよし上手くいった。やればできるじゃないか。この調子で頑張ろう)

 間もなく空腹の第二波が襲ってきた。今度の飢餓感は強烈だった。しかしタコは耐えに耐えた。そうやって飢餓感をやり過ごすことに成功した。


 その後も飢餓感は間断なく襲ってきた。タコは勇敢にもそれらを克服した。すると何も食べないせいか、タコの意識がぼうっとしてきた。タコは薄れゆく意識の中ぼんやりと思った。

(ああ、何か食べたい)

 しかしタコは空腹との戦いで体力をそぎ落とされ、もはや動くこともできなかった。タコはぶるぶる震えだした。

(もう限界だ)

 タコはじっと自分の足を見ていたが、やおらぱくっと食いついてむしゃむしゃ食べだした。タコはついに発狂してしまった。そして八本の足を平らげると身動きのとれない体で巣穴の外へと飛びだした。そこにサメがやってきて足のないタコをパクリと食べて悠然として泳ぎ去った。


 さて、このタコは愚か者であろうか。タコは理性的に自殺をはかった訳であったが、最後には本能に負けてしまった。これは実に教訓的である。それはわれわれがいかに理性的に振る舞おうとも、動物本能には勝てぬということと、もう一つは自殺はよした方が良いということである。もし貴兄が人生に絶望し死にたくなった時には、是非ともこのタコのことを思い出して欲しい。人間はタコより高等である。タコに負けず力強く生きていただきたい、と筆者は読者諸兄に切にお願いしたい。今はただ、タコのご冥福をお祈りするばかりである。

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タコの断食 分身 @kazumasa7140

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