第30話 決して折れず挫けぬ心

 大きく世話になってしまっているテンペスタの知人ベネデットの屋敷の書庫では残念ながら魔道書に出会うことはなかった。


 かっしりとした厳めしい強面の老オーガ、ベネデットは、どうせ空部屋だと、グヴィンの怪我が完治するまでは屋敷に滞在しろと言ってくれる。


 俺は毎日、街の外の人気のない森で双頭犬を伴ってリラ型ハープを奏でていた。

 忘れないうちに、あのヘルメスの呪歌「楽園の英雄への讃歌」をものにするためだ。たまに獣か何か気配を感じることもあるが、平和な日常だった。



 ただ、あれ以降、グヴィンは夜中うなされて起きていることがある…。


「あのヒュドラのゴブリンの首を落とした後、光の残滓が俺に吸い込まれただろ。戻ってきたら、付与技能で「猟師たちの弓術」というのを身に着けていた。


 そして、それだけじゃないんだ。毎晩、妙な夢を見る。奇怪な儀式と魔道書、おそらく、あの『ヘス・ヲ・ホーソア』に関わる夢だ。


 夢の中では俺は、あのヒュドラの頭だった巨人、人間、オーガ、オーク達の断片的な記憶を持っていた。もっと他のものも混ざっていたかもしれない。起きてしまえば嫌な感じだけを残して、いつもは大体を忘れている。


 奴らは、古い神であったり、王であったり、魔術師であったりした。太古の知を持ったそれらが、ひどい拷問を受けていたり、得体の知れない奇怪な儀式を試みたりするが、みな最後には、青銅の壁の檻の中であのヒュドラに喰われていくんだ…。そして、ヒュドラとなった奴らは、気を狂わせながら、魔道書『ヘス・ヲ・ホーソア』を求めていた。いや、はじめから求めていたのかもしれない…。


 何しろ目が覚めると大抵のことは忘れてしまうから、齟齬があるんだろうがギリギリ思い出したピースを繋ぎ合せて組み立てたのが、大して要領を得ない今した話だ。


 何か、魔道書には嫌な予感がする。夢のせいでなんて言うのは合理じゃなくて俺も納得できないが、探すのはもう止めたほうがいいんじゃないか…。論理的にとか納得どうこうじゃなくて、本能、第六感が、竦んで、嫌悪してるんだ…。」


 汗に濡れた面でグヴィンは言った。


「おまえの魂はどうだったんだ?なんでヒュドラに囚われていたのか、わからないのか?」


 俺が尋ねると、グヴィンが堪えるように言葉を絞り出す。


「わからない…。いや、ワタシは…、俺は、誰かについて行って、お前と旅して行ったんじゃなく、先に誰かに連れられて冥府に向かっていたはずだ…。


 だけど、覚えているのはヒュドラの一部になった後だな。お前といたのは生霊、魄なのか、ヒュドラの方が魂なのか、そういうのは到底わからないけど、ヒュドラに取り込まれた方は、他の連中がそうだったように、魂が汚染されていく気分に襲われていた。他の連中はそのまま狂気に落ちていっていた…。


 俺は…なんで無事でいられたんだ? ぼおっと何も考えず、思考が止まったままだったが…。正気を失くすことはなかった。」


「おまえの特殊技能に「勇気」って確かあっただろ。恐怖とか精神攻撃に耐性がつく感じだと思ってたけど、それのせいじゃないのか?」


 グヴィンは俺の推測に、自嘲気味に言う。


「どうだろうな。そんな効果も多少はあるのかもしれないけど…。」


 予想外の返事に、俺は尋ねた。


「じゃあ、どんな効果があるんだ?」 


「そうだなぁ…。

――― ただ単に、決して折れず挫けぬ心、…とかかなぁ。確かに心の汚染も撥ね退けそうだな。」


 グヴィンは、ふざけてか少し笑いながらそう言った。


「魔道書のこと、ヘカテーに会って聞いてみよう。せっかくだからあの時きいておけば良かったな。緊張でそれどころじゃなかったけど。」


 俺たちにはどこか甘そうな無敵の女王様に期待することにした。

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