◆Episode.7 凶行は恐慌に変わる◆

「さて」

 理宮は、いつもの通りの場所に座っていた。

 第二書庫の、背の低い本棚の上。窓を背にして、脚を組んで座っていた。

 昨夜の事件は、実に凄惨なものではあったのだが、犯人はまだ見つからない、とされていた。

 事件のあらましがまだ筋立てられておらず、いまだ何もわからない、ということだ。

 そして、明けて今日。

「『魔女』さぁん……? どういう、ことなのぉ……?」

 理宮と筒香は、第二書庫にいた。理宮の視線のほうが一段高く、筒香を見下ろす形で向き合っている。

 第二書庫の隅には、市村の姿もあった。理宮に「僕に何かあるようであれば真っ先に行動を起こすように」との命令に従って、ここにいる。

「何、きみも中々、巧くやったなと思ってね。まあ、きみがどうやって警察の目をすり抜けたのかとか、滝沢くんの身体をどこにやったのだとか、そういうことはどうだっていい」

 理宮は、実に楽しそうに、猫のように笑う。

「君は『願い』通り、【心を手に入れる】ことができたようだね。それがどんな形であれ、『願い』をほぼ自力で叶えたことは称賛に値する。しかし、それでは駄目だ」

「だからぁ、何だって言うんですかぁ?」

 筒香の目は、明らかにいら立っている。それも、そのはずだ。



***



 筒香が登校してきたときに、机の中に一通の手紙が入っていることに気が付いた。

 シックな装丁の封筒に、丁寧にも封蝋が押されている。

「なぁに、これ」

 ラブレター、かとも思った。だが、筒香の想い人は滝沢であるということは、周知の事実であり、わざわざラブレターにして想いを伝えようなどということは無意味に等しい。

 筒香は、その封筒を特に何も考えずに開けた。

 一枚の便せん。

 その中心の二行を使って書かれていたのは、理宮真奈からのメッセージだった。

〈滝沢くんの『心を手に入れた』。確認したければノートを持って第二書庫へ〉

 とだけ、書いてある。筒香はそれを読むと、見る間に血相を変えて、一限目の準備もせずに理宮のいる第二書庫へと駆け出した。

 嫉妬。じりじりと焼け付くようなその感情で、筒香の心は満たされていた。

 どうして、どうして、どうして。

「どうしてぇ、私はぁ、うまくやったのにぃ」

 髪が乱れるのも、スカートが暴れるのにも関心を持たず、増築を繰り返された複雑な校内を駆ける。

 第二書庫にたどり着くのに、さほど時間はかからなかった。



***



 そうして、理宮真奈と筒香はるかは向き合った。

 正面から、真っ向から目を合わせている。

 筒香は、嫉妬と憎しみと恐慌と恨みと。そんな感情がぐちゃぐちゃに混ざりあった感情に顔を歪ませて。

 理宮は、おとぎ話に出てくる意地悪な猫のような、余裕と愉悦をもった笑みを浮かべて。

 その二人を市村は第二書庫のすみで眺めていた。もちろん、理宮に障害があれば動けるよう、身構えて。

「筒香くん。君はよっぽどうまくやった。どうにもこうにも、僕じゃあ敵わない。『願い』を【運命】に昇華させ、素晴らしく形を変えてみせた」

「なぁにが……私はぁ、伊織ちゃんのぉ!」

 筒香は、今にも理宮に飛び掛かりそうだ。ぎり、と筒香が爪を噛む音が聞こえた。赤い血が、床にしたたり窓からの陽光に輝く。

「まぁ待ちたまえよ。君の『願い』を本当に本当に叶えてあげようというんじゃないか。さあ、まずはそのノートをこちらへ」

 優雅に、理宮は空の右手を筒香へ伸ばす。

「誰が渡すってぇ!? 信じられないぃ、私の【願い】は叶ったんだぁ!」

「ふふふ、君も強情だね」

 その姿が面白いのだというように理宮は笑う。右手を下ろし、一度、腕を組んだ。

「だが、それで良いのかい? 本当に、滝沢くんの『心を手に入れた』と言えるのかい?」

「うぅ、ううぅ、ぐぅ……」

 唸り、筒香はさらに爪を噛む。酷い痛みだろうが、本人は気にしていないようだ。

「市村くん。彼女からノートを」

「は、はぁ」

 市村が筒香に近づき、ノートを受け取ろうとする。筒香は覚悟を決めたのか、市村の胸に押し付けるようにノートを突き出した。市村はそれを取り落としそうになりながら、かろうじて受け取る。そのまま、筒香の前をさえぎって、ノートを理宮に渡した。

「ご苦労。さあ、それじゃあこれを見てもらおうか」

 そして理宮は、スカートのポケットに右手を入れ、何かを取り出した。


ちりん。


 小さなベルの形をした、ペンダント。

 理宮の右手から、それが垂れた。揺れが収まると、小さな〈ラ〉の音も収まる。

「これを。滝沢くんから【心を預かった】」



***



 理宮のいる第二書庫にやってきた滝沢は、理宮の姿を確認するや否や開口一番こう言った。


「私の『心を預けたい』の」


 それは確かなる滝沢の『願い』だった。自分がどうなろうと構わない。だが、あのノートだけはどうしても守りたかった。

 実行するには、『魔女に願いを叶えてもらう』くらいの方法しか思いつかなかった。

 だから、そうした。それまでのことだった。

「成程ね。成程。わかったよ、わかった、共感した。ならば一つ条件を飲んでもらおうか」

「何よ」

「君に〈もしも〉があったとき、『預けた心』がどうなるかは僕に任せてほしい」

「……はっ、もしも、ね。あるかもしれないわね。でも、それでもいい。これを預けるわ」

 そして、滝沢は理宮にペンダントを預けた。



***



「滝沢くんの、彼女のこのノートの中身が、滝沢くんの心の中を表している。【心を手に入れる】ことができる」

「で、でも鍵がないじゃないぃ、どこにあるっていうのぉ」

「これさ」

 理宮は再び、手から下がるベルを鳴らしてみせた。

「それぇ」

「そう。滝沢くんが文字通り後生、大事に持っていたペンダントだ」

 ちりんちりん、とベルが鳴る。可愛らしい〈ラ〉の音を立てて。滝沢が一番好きだった、〈ラ〉の音を立てて。

「鍵はね、こんな形をしていたんだ」

(こんな形?)

 市村が、そして筒香が首をかしげていると、理宮はベルの本体を持ち、中の、ベルに振動を加え鳴らす部分をつまんで、引き抜いてみせた。

「あぁ…………!」

「そう。これが鍵だ」

 現れたのは、ごくごく小さな鍵。平たい形。いくつか穴が開いている。理宮は鍵を、ノートの錠に差し入れた。

 ――かちり

 錠の開く音。

 それと同時に、筒香と市村が動いた。


「返せぇ―――――――ッ!!」


 筒香の絶叫が響き渡る。

 市村は、予想をしていたとはいえ反応が遅れ、筒香の左腕を掴むだけの形になってしまった。そこから羽交い絞めにしようと試みるが、筒香の力が強く、全く抵抗することができない。

 それでも、理宮の身体には及ばない。市村は懸命に筒香の身体を押さえつけ、理宮に近づけさせないことに力を尽くす。

 市村と筒香の様子を見て、理宮はひとつ頷き、ノートのページをめくる。

 一ページ目、白紙。

 二ページ目、白紙。

 三ページ目。


〈死にたい〉

 四ページ目。

〈死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい〉

〈どうして私が〉

〈痛いよ、痛い痛い痛い痛い〉

〈しにたいよ どうして いたい、痛い、ころして〉

 五ページ目。

〈殺してやる!!〉

〈みんな殺してやる、みんな殺してやる。父さんも母さんもあいつも見下した奴らも見放した奴らもみんなみんなみんな殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す〉

 六ページ目

〈もう嫌だよ。殺してよ、殺して、殺して^――~~^^^〉

〈どうして私ばっかり〉

〈いたいのは、嫌〉

〈見下すな見下すな見下すな見下すな〉

〈私はうまくやってる、やってる、大丈夫、駄目、駄目、だいじょうぶ、だめ〉


 ノートに書かれていたのは、滝沢の過去との決別と戦いだった。

 心に残る痛み。心的外傷。滝沢が受けてきた虐待の傷跡。

 これが、滝沢の〈心〉の中身だ。

 ばら、ばら、ばらららら――

 理宮は、次々とページをめくっていく。言葉の羅列が、筒香の眼前に広がっていく。

「は、はっはぁ! ほら、わたしはぁ、間違ってなかった! 伊織ちゃんはぁ、伊織ちゃんは死にたがってたじゃなぁい!」

 六十七ページ目に、ひとつ、言葉に変化が起きた。

〈愛して〉

「え、ぇ」

 理宮は六十七ページで手を止める。まざまざと、筒香に見せつける。

 筒香の表情が凍ったのを見て、にんまりと笑うと、続きのページをめくっていく。

〈愛してよ〉

〈愛して、愛して、愛して……〉

〈誰かに愛されたい〉

〈誰にも愛されない〉

〈どうして私が〉

〈いたい〉

〈殺して〉

〈死にたいよ、死にたいよ。死にたいよ〉

〈愛されたい、愛されて、みたい〉

「く、でもぉ、間違ってない、わたしはぁ、間違ってなぁい! わたしはちゃんと、ちゃあんと伊織ちゃんを愛して、愛して愛して殺したぁ!」

「それは、本当にきみの感情だったかな」

「どういう意味ぃっ!?」

「誰でもよかった。誰でも、愛することができればよかった。不幸な人間を、幸せにできればそれでよかった。願いを叶えてあげられればそれでよかった。違うかね」

「そ、んなことぉ」

「違うとは言い切れないだろう」

 ぎりり、と歯を噛み締めて筒香は黙る。沈黙の肯定としか、受け取れなかった。

 理宮はさらに楽しそうにページをめくる。

〈死んだら解放される?〉

〈死んでしまえば〉

〈ちがう、あいつらを殺せ!!〉

〈そうじゃない〉

〈私は〉

〈私は――たい〉

「やだ、やだぁ、やめろ、わたしはぁ、間違ってなんかなぁい! 伊織ちゃんのぉ、伊織ちゃんのために、伊織ちゃんのぉ、ために……」

 最後のページに、たどり着く。

 理宮は最後のページを、丁寧に、ゆっくりとめくった。

〈生きていたい。愛されなくても。いつか私が誰かを愛せる日まで〉

「うわぁああああああああああああああああああああああああっ!!」

 絶叫。絶望の、絶叫。

「どうしてぇ、どうしてぇ。だって、死んだ方がマシって、伊織ちゃんはぁ」

「君の想像を超えたところに、【紙面を賑わせる】言葉が満載されていた訳だ。滝沢くんはね、彼女は、生きたがっていた。本来ならば、自身が愛されなくても生きて、生きて、誰かを愛せるようになるまで贖罪の日々を過ごし、いつか誰かを愛したかった」

「そんなことぉ、言って、なかったぁ」

「そうだよ。彼女の『心』は誰も知らない。『心を手に入れる』ことなんて中々、出来っこない。だが」

 理宮は、言い放つ。

「これで、きみの願い――――滝沢くんの【心】をひとつ、【手に入れる】ことが、できたんだ」

「こんなぁ、こんな、ことなら」

 残された筒香は、泣く。

 ひたすら、残された孤独に泣く。

 愛したかった孤独に泣く。

 愛せなかった孤独に、泣く。

 滝沢の心を悟れなかった自分の情けなさ。

 情けない。

 泣くことしかできない。

 だから、泣く。

 泣く。

 泣く。

 泣く。

 泣く…………

「死んだ方が、マシ……」


【Continue to the next Episode】

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