十八、暁のダンジョン

 ━━暁。


 夜の明けぬ空は漆黒を映し出し、僅かな希望を地平線に残すのみ。

 その夜は明けるのだろうか。

 暁は、夜明けにはまだ遠い。

 それが、手に入らない希望を眼前に下げられているようで、なんとも歯痒い。

 ……ううん、どうしてこんな事になっちゃったんだろうね。


「立て直せ! 隊列を組め!」


「無理ですっ、敵が強すぎます!」


「うわあああ!」


 辺りに響くのは戦士の絶叫。

 それは領主軍の兵士でも、冒険者でも等しく声が響いていた。

 絶えない絶叫と、剣戟の音。

 ━━それと、禍々しい化け物達のい鳴き声。

 押し寄せるモンスターの脅威に、兵士も冒険者も関係なく蹂躙されていく。


「……焼き尽くす燎原の火『ワイルドファイア』ァ!」


 地面から溢れだすようにして火の奔流が現れると、迫り来るモンスターの軍勢を飲み込んだ。

 魔法を行使した少女は腰のホルダーに手を伸ばすと、下げられたポーション瓶の蓋を空け、中身を飲み下す。

 リィナの放った強大な炎が僅かな時間を作り出す。

 その間に、彼女達は体勢を整える。


「こんな事になるなんて……まさか、そんな……」


 残り少なくなった兵士達に守られて、失意に落ちた領主が頭を抱えている。

 彼を囲む精鋭達も、彼自身もいたるところに血が滲んでいる。


「パパ! 今やるべきことは後悔じゃなくて、皆の命を救うことよ! しっかりして」


 落ち延びたといっていいだろう有り様に、膝をつく者の姿も見える。

 それでも、まだまだダンジョンの脅威は許してくれていない。いずれ通路の奥から大量のモンスターが押し寄せて来るだろう。


 絶望が、この場を支配していた。



 ☆



「ようっし、これで最後だ!」


 大きな獣に向けてトラが鋭く短剣を振るった。

 それがとどめとなった獣は、ぐらりと身体を揺らすと地面に倒れ込む。

 地響きがしたのではないかと思う程の衝撃が、いかに獣が大きなモンスターだったかを物語っている。

 でも、もう倒れたわ。領主軍と冒険者全員でダンジョンボスを倒したのよ。


 ダンジョンボスは、身の丈三メートル程もありそうな二足歩行の狼だった。

 通常で出てくるコボルドは犬頭って感じだったけど、このボスは完全に狼だったわ。あれか、ハスキー系のコボルドか。

 それも大量のコボルド取り巻きを引き連れて現れた。


 だけど、一致団結した領主軍と冒険者はそれぞれの強みを生かし、連携して、ボス率いるモンスター集団を追い詰めていった。

 領主軍の兵士達が隊列を組み、大量のコボルド達を押し止める。その間に、冒険者が遊撃役となって各個撃破し、強力な個体を倒していった。

 極めつけはトラのパーティー。

 人数の多い彼等ではあるけど、そこは同じパーティーメンバー同士。多人数での連携は、即席の領主軍と冒険者のタッグとは訳が違ったわ。

 トラ自身の戦闘力もさることながら、それを指揮したパーティー単位での戦力は、ダンジョンボスを圧倒することができたくらい。

 周りの冒険者達が言うには、トラ個人の冒険者ランクはDランク。だけど、パーティーとして見ればCランク並の働きをする有名なパーティー集団らしかった。


 大きなボスモンスターの身体が消える。

 生命活動を停止させたモンスターはその身を失う代わりに、ドロップアイテムへと変化させるらしい。

 魔力を込めた特大の塊や、毛皮や牙などの素材に、周辺の冒険者達が沸き立っている。

 倒されたモンスターのドロップアイテムって、どんな配分になってるのかね。倒した人の総取りかしら。



「これで、このダンジョンのモンスターは最後か……?」


 領主が、期待を込めた声でそう溢した。

 ボスモンスターが姿を消し、取り巻きのモンスター達も悉く打ち倒された。

 ダンジョンの各階層では、どこからともなく現れるモンスターを、残した領主軍と冒険者達が常に倒し続けている状態だ。

 赤土のダンジョンと呼ばれるダンジョンの完全攻略……だったろうか。

 ダンジョン内にいるモンスターの、全てを一度に討伐する。

 そうすれば、このダンジョンに何かが起こる、とかいう話だった。


 領主だけでなく、周りの兵士達もキョロキョロと辺りに視線を向けている。

 ドロップアイテムに目の眩んだ冒険者達はさておいて、私も周囲に意識を向けてみた。

 目で見る分には限られた視界だったけど、無機物の身体はどこまでも見通すことができる。

 ごめん、盛ったわ。元の私の視力を基準に、角度制限はないって感じ。

 視覚だけでなく、聴覚や気配察知といった部分も良くなっている気がする。

 その分失ったものもあるけどなぁ……味覚とか!

 私はもう、一生スイーツを堪能することができない。感じるのは、お腹に溜まったこんにゃくのような感覚だけ。

 女神許さねぇえええ!


 打倒、女神! 本日のネガティブキャンペーンノルマを達成した私は、辺りを包む異様な気配に気がついた。

 不気味なくらいに、静かすぎるのだ。

 ダンジョン中のモンスターをすべからく討伐したのだから、そりゃあ静かになって当然な気もするけど、なんと言ったらいいか……変だ。


「……ん?」


「なんか、変だぜ」


 リィナやトラも周りの異変に気づいている。

 感覚の鋭い冒険者を中心に、見えない脅威を警戒する動きが見られる。その不安が領主軍に伝播する。

 モンスターのいないダンジョン。

 それは静かで、安全な状況になったことを示している。

 だけど、どっちかって言うと、嵐の前の静けさという言葉がぴったりだった。


 一人、また一人と、雰囲気にのまれるように口を閉ざしていく。

 バカ騒ぎしていた冒険者達も、鳴りを潜めて周囲を伺っている。

 しーん、と静まり返ったダンジョンの奥底。

 ジジジ……壁面に設けられた篝火の燃焼する音だけが聞こえてくる。

 何かが、起きようとしていた。


 ━━フッ。


 静寂の中、周囲を照していたダンジョンの灯りが不意に消えた。

 誰が点けたのか分からない、洞窟然とした岩の壁面に設けられた篝火。

 ダンジョンのだと思っていた灯りが、風に煽られたように一つ、また一つと消えていく。

 もちろん、ダンジョンの中で風が吹くことはない。

 それでも、何かの意志に操られるようにして、暗闇が作られていく。

 闇が、辺りを支配し始める。


「お、おい。何が起こってんだ!?」


「誰か、灯りを! 灯りを用意するんだ!」


 慌てて領主軍の兵士達がカンテラに火を灯す。

 魔法を唱えたのか、小さな火を宙に浮かべた者もいる。

 ……でも。


「な、なんだありゃあ?」


「黒い……ドロドロ?」


 各々が用意した灯りに照らされるのは、そこにこびりついたような漆黒。

 それらはダンジョンの天井から垂れ下がり、壁を伝い、床にべちょりと広がった。


「……ヴぉ、オ、オオオ」


「ヴぁ、お、ヴォオオオ?」


 闇が生き物を形作る。

 粘っこい闇が集まり、立ち上がり、異形の化け物を象る。


 や、ヤバいんじゃない? なんか、とんでもない事が起こっている予感がする。

 ポーションの瓶になってしまった私の身体を、無いはずの悪寒が襲った。


「グル……グルォオオオオオ!」


 悪意が、溢れだした。

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