Ⅴ 前夜の謀(はかりごと)

 さて、それより時間は遡り、半日程前の深夜のこと……。


「――霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王が72柱の悪魔序列33番、家令公子ガアプ!」


 プタハ郊外にある打ち捨てられた古い城跡で、エイドレアンは密かに儀式を行っていた。


 蒼白い月明かりに照らされる、崩れかけた石造りの廃墟の中、頭に専用の宝冠、白い祭服の左胸に金の五芒星ペンタグラム、右裾には仔牛の革製の六芒星ヘキサグラム円盤を着けたエイドレアンは、ハシバミの木の枝で造られた魔法杖ワンドを掲げ、魔導書に記される悪魔召喚の呪文を唱える。


 その足下の冷たい石の床には、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が赤や黄、青、緑といったカラフルな色使いで描かれ、さらにその前方には深緑の円を内包する三角形が記されている……〝ソロモン王の魔法円〟である。


「……霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王が72柱の悪魔序列33番、家令公子ガアプ!」


「我のような悪魔に何用だ? 神に仕える人間よ……」


 幾度か召喚の呪文を繰り返す後に、前方の三角形の上にむくりと黒い影が浮かび上がり、やがてそれは蝙蝠の翼を持つ、頭に二本の角の生えたいかにもな悪魔へと姿を変える。


「神のしもべが我らに何用だ!?」


「事と次第によってはこの場で手討ちにしてくれようぞ!」


 また、その周囲には屈強な体つきをした威厳ある王が四人、悪魔を囲むようにして控えている……魔導書『ゲーティア』の記載からすれば、間違いなくお目当ての悪魔――人間の精神を操り、無知にしたり、憎悪を抱かせたりすることができる家令公子ガアプだ。


「ようやく現れたか……家令公子ガアプよ! 誰もが膝を屈する偉大なる主の名において我は命じる! この度の帝国選挙でフランクルーゼ一世を推す選王侯達に、預言皇レオポルドス10世に対する憎悪を抱かせよ! 預言皇を憎み、彼の擁立したフランクルーゼ王に対しても嫌悪の念を起こさせよ!」


 恐ろしげな悪魔の出現にも驚くことなく、ガアプの印章シジルが記されたペンタクル(※円盤状の魔術武器)を堂々と突きつけながら、いたく慣れた調子でエイドレアンはその悪魔に命じる。


「ほう。神に仕える者がその頂点たる預言皇を貶めようとはおもしろいな……聞いてやらんでもないが、もとよりその者達の意思は固い上に、他の悪魔がフランクルーゼを支持するよう働きかけている。因果を歪め、同胞の力を退けるとなればそれ相応の対価が必要だぞ? 最低でも、そなたの命を差し出すくらいの対価がな」


 さすが悪魔というべきか、瞬時にその神通力で調べをつけ、現在の状況を理解したガアプは悪魔のセオリーに則ってそんな交換条件を持ちかけてくる。


 通常はそのような誘いにけして乗ってはならないのであるが、今回は自然の流れに逆らうばかりか、相手方も悪魔の力を行使しているため、それ相応の対価を払わねば確かにその成就は難しいだろう……悪魔の力は、払う対価が多ければ多いほど強く働くものなのだ。


「よかろう! お望みの通り命をくれてやる! ただし、私のものではなく、この者達のな。おい! 中へ入れよ!」


 そこで、エイドレアンはあっさりその条件を受け入れると、わずかに背後を振り返って声をかける。


 すると、ドアのない入口にかけられた暗幕が捲り上げられ、やはり祭服を着た彼の弟子二人が目隠しをされた男女四名の者を連れて入って来た。


 そのみすぼらしい身形みなりからして、どうやら農民か職人といった類の平民のようだ。


 しかし、悪魔から守られる魔法円の中へは入れることなく、その四名をその場に残したまま、弟子達はとっとと外へ戻ってゆく。


「ほう…身代わりか。言っておくが、本人の意思で魂を差し出すのでなければ許されぬのが悪魔の掟。それをわかってのことだろうな?」


 一目でエイドレアンの意図を悟り、ガアプは愉悦に口元を歪めながらもそう確認を取る。


「無論だ。この者達は殊に信仰心熱きビーブリスト。信仰のためならば喜んでその魂を差し出そう! さあ、仔羊達よ! 汝らの信仰心をここに示すのだ! 預言皇を打ち倒すため、汝らは魂を差し出す覚悟があらんや!?」


「もちろんです! 信仰のためならば、わたしは喜んでこの命を差し出します!」


「私もです! 腐りきった預言皇とレジティマムを倒すためであれば命など惜しくはありません!」


「私もだ! 我が魂を以て預言皇に神の鉄槌を!」


「わたしも魂を捧げます!」


 悪魔の質問に答え、続けざまエイドレアンが目隠しをされた四名の男女に問い質すと、信仰心篤き彼らは躊躇うことなく、口々に熱を帯びた声色でそう宣言をする……目の前に、恐ろしい悪魔がいるのだとも知らずに。


「フン。よい度胸だ……四名の選王侯に対して魂もちょうど四人分。契約成立だ。その願い、しかと聞き届けよう……」


 哀れな犠牲達の意思を確かめるとガアプは鼻で笑ってエイドリアンにそう告げ、お付きの王達ともども段々と透明になって闇に霧散して消える。


「うぐっ…!」


 と、時を同じくして四人の生贄達も、短い悲鳴を上げて次々にその場へ倒れ伏した。


「フゥ…………」


 夜の静寂に包まれる廃墟の中、エイドレアンは大きな溜息を吐くと、すでに息をしていない四体のその骸を憐れむような眼差しで見つめる。


「終わったようだな……事はなった。これで明日は全員一致で陛下の当選確実だ」


 そこへ、再び暗幕が引き上げられるとスシロウデスが入ってくる……ただし、今夜の彼は枢軸卿だけに許された緋色の平服ではなく、なぜかビーブリストの牧師が着る黒い平服を身に纏っている。


「レジティマムや陛下のためとはいえ、なんだか気が引けます……ビーブリストの異端者といえど、このような騙すやり方は……」


 満足そうに薄っすらと笑みを浮かべ、四人の骸に目もくれようとしないスシロウデスに、少なからず罪の意識を感じているエイドレアンはやるせない顔でそう言葉を返す。


 そう……彼らは牧師になりすまし、悪魔に支払う魂の代わりとするため、プタハ近郊にいた熱烈なビーブリスト支持者を騙して連れて来たのである。


「何を言う。自分の口で告白していたように、これはこの者達の意思だ。その魂という対価によって確かに預言皇を貶められるのだから何も騙してなどおらぬわ。異端を罰し、正しい教えレジティマムを護るというのはこういうことだ。今回の働きにより、そなたにはボゴーニアの異端審判士長の席を用意してやるつもりだ。よく覚えておくがいい」


 だが、甘さをまだ残す後輩聖職者にスシロウデスはそう教え諭すと、狂気じみた笑みをその老獪な顔に浮かべてみせた。


 こうして、カルロマグノ一世はイスカンドリーア王に選出され、後に和解した預言皇レオポルドス10世による戴冠を受けて神聖イスカンドリア皇帝に即位することとなった。


 しかし、このために悪魔が増長させた選王侯達の預言皇への憎悪が、後々、ビーブリストによる宗教改革をいっそう加速化させることとなるのであったが……。


                   (Die Kaiserwahl ~皇帝選挙~ 了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Die Kaiserwahl ~皇帝選挙~ 平中なごん @HiranakaNagon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画