後編

 ショーンは目をかっと見開いた。


「く⋯⋯そ――負けるかぁっ!」


 腕輪が急に強い光を放った。嘘のように頭痛が引いてゆく。光がおさまると、ショーンは地面に両腕をついて上体を起こし、うつむいたまま肩で息をしていた。



「ほう⋯⋯この術を破るとは、何と強い精神力。ますますあなたが欲しくなりました」


 にこりと微笑むキースに、ショーンはゆっくりと立ち上がりながら静かに言った。


「俺の意志は変わらない」


 キースは苦笑いを浮かべた。


「でしょうね。では今度は力づくといきましょうか」


 不意に足下の地面が揺らぐ。ショーンが飛び退すさると、地面の岩が盛り上がり、人の形になった。


「殺さない程度に遊んでおやりなさい。ゴーレム君」



 キースの命を受け、ゴーレムはゆっくりと動きはじめた。ショーンは剣をすらりと抜き放つ。そしてゴーレムの振り下ろした腕を、その剣で受け止めた。ズシリと重い衝撃に、剣がきしんで嫌な音を立てる。

 ショーンは渾身の力でゴーレムの腕を振り払って一歩退くと、胴をめがけて剣を一閃した。


 キィン!


 甲高い音を立てて、折れた剣の先が宙を舞う。直後、強い衝撃とともにショーンの体が回転しながら吹っ飛ぶ。彼はそのまま近くの太い木の幹に胸をしたたかに打ちつけられた。息が、できない。

 ゴーレムがゆっくりと近づいてくる。ショーンは身悶みもだえ倒れたまま、まだ立ち上がることができない。緩慢かんまんな動作で振り上げられたゴーレムの腕がショーンを狙う。それに気づいた彼はすんでのところで転がってかわした。

 急に息が戻る。ショーンはせて軽く咳込んだ。激痛が胸を走る。肋骨が数本折れたらしい。

 ショーンは左手で胸を押さえながらも素早く起き上がり、背後の木に凭 (もた)れた 。その右手には、折れた剣がしっかりと握られている。


「その剣でどうしようというのです?今なら攻撃を止めさせることもできますよ」


 キースは不敵に微笑んだ。ショーンはそれを無視してまぶたを閉じ、静かに息を整えた。

 ゴーレムがショーンの目の前までやってきた。緩慢な動作で腕を振り上げる。その腕が振り下ろされようとした、その瞬間。


「そこか!」


 ショーンはゴーレムの懐に飛び込んだ。腕輪が眩い光を放つ。


 光がおさまったとき、勝負は決していた。核を失ったゴーレムの体が崩れ、ただの岩に戻る。飛び退ったショーンの手には、青白く輝く優美な剣が握られていた。


「なるほど、それが伝説の『蒼月』ですか。なんと美しい曲線……。その刀に敬意を表して、そろそろ私自らお相手いたしましょうか」


 キースの指から鋭い光がほとばしる。ショーンはとっさに横に飛んだ。着地した先に今度は氷の矢が飛んでくる。前転してこれを避けると、次は風の刃が襲ってきた。素早く立ち上がって飛び退ったが、避けきれなかった刃がショーンの腕を、脚を、脇腹を掠め、軽く裂いていく。

 気づけばショーンは、洞穴のある斜面に追い詰められていた。そこに追い打ちをかけるように炎の球が迫る。ショーンは蒼月を青眼に構えると、気合い一閃炎を斬った。炎の球は四散して消え去った。


「そろそろこちらからも行かせてもらうぞ」


 静かに告げると、ショーンはキースとの間合いを一気に詰めた。

 一合、二合⋯⋯ショーンの斬撃ざんげきをキースは手にした杖で受ける。斬撃が速い。

 三合、四合⋯⋯ショーンの斬撃に、今度は逆にキースが圧されていった。

 五合目の斬撃の直後、キースは掌に集めていた冷気を、そのままショーンの腹めがけて一気に放出した。至近距離で放たれたそれを避けきれず、ショーンは風圧で後方へ転がった。

 キースが次の一撃を放とうとしたその時、体勢を立て直したショーンの剣が、キースの腹部を貫いた。




 ショーンとキースは、互いに凭れかかるようにして立っていた。暫しの沈黙。それを破ったのはやはりキースだった。


「⋯⋯何故、急所を外したのですか?今の一撃で、あなたは私を殺せたはずだ」


 キースの問いに、ショーンはぽつりと答えた。


「お前を殺しても、仕方ないだろう?」


 ショーンはすぅっと息を吸うと、「抜くぞ」と予告してキースの腹から剣を一気に引き抜いた。キースの顔が苦痛にゆがむ。


「待っていろ。今、手当てしてやる」


 そう言いながら、ショーンは刀を変化した鞘におさめると、キースに背を向けゆっくりと歩きはじめた。


「何故? あなたは私が憎くはないのですか?」


 ショーンは立ちどまった。


「憎んでいないと言ったら嘘になる。現に今も、お前を殺したい衝動を抑えるのに必死なくらいだ。この判断は狂っていると、自分でも思う。けれど、お前を殺したところで、この手に残るのは虚しさだけ。憎しみは新たな憎しみを生むだけだ。その連鎖は、いつか誰かが絶たなければ終わらない。ならば、お前と俺との連鎖は、俺がここで断ち切ればいい。それに、俺は俺の中に渦巻く憎しみに⋯⋯俺自身に負けたくない。だからお前を助ける」

「ふ⋯⋯、甘いですね」


 キースは杖で体を支えながら、微笑んだ。


「私が生きている限り、あなたは狙われ続けますよ。こんな風にね」


 キースはふらつきながら、両手で印を結んだ。


「やめろ。死ぬ気か?!」


 ショーンはキースに向き直った。キースは微笑んだまま答えた。


「ええ、あなたに敗れた以上、主のもとに戻っても命の保証はない。それならば、私はあなたの大切なものを道連れに、自らの意志でこの世を去ろうと思います」


 そのときだった。


「おにいちゃん、どうしたの?」


 声に驚いて振り向くと、洞穴の入り口からメラニーが顔を出していた。状況が飲み込めていない少女は、洞穴の外に出てきた。


「来るな! 逃げろ!」


 言うが早いか、ショーンはメラニーに向かって駆け出していた。しかし木々や岩、倒木などが障害となってなかなか近づけない。キースは不敵な笑みを浮かべると、掌からメラニーめがけて禍々まがまがしい光を放った。


「えっ? キャーッ!」

「メラニー!」


 満足気な顔で倒れるキース。ショーンとメラニーの姿は、紅の光に飲み込まれた。




 どれほどの時間が経ったのだろう。紅い光が消えると、暁の光が二人の姿を浮かび上がらせていた。うずくまっている少女と、少し離れてそれをかばうように立つ青年の姿を。


「なんとか、間に合ったな⋯⋯」


 ショーンはつぶやいた。その声に、メラニーが顔を上げる。


「おにいちゃん⋯⋯こわかったよぉ!」


 ショーンはひざまずき、駆けてきた少女を抱きとめた。


「もう、大丈夫だ。怖い思いをさせて、すまなかった」


 泣きじゃくるメラニーを落ち着かせようと、ショーンは強く少女を抱きしめ、頭を撫でてやった。


「怪我は? どこか痛むところはないか?」


 ショーンの問いに、少女はふるふると首を振った。


「大丈夫。どこも痛くないよ」


 しゃくりあげながらメラニーが答えた。


「そうか、良かった⋯⋯」


 不意にショーンの腕がゆるんだ。上体がグラリと揺らぐ。彼は少女を押し潰すまいと、とっさに身体を捻って横向きにくずおれた。


「えっ? おにい⋯⋯ちゃん? おにいちゃん、しっかりして!」


 混乱したメラニーが、地面に両膝をついて倒れたショーンを揺さぶった。青年の口から微かに苦悶の声が漏れる。


「ひどいケガ⋯⋯それに熱も⋯⋯早く手当てしなくちゃ!」


 そう言ってメラニーが立ち上がると、ショーンの手がメラニーの腕を掴んだ。


「おにいちゃん! 放して! 早く手当てしないと――」

「己の生命と引き換えに、相手の生命が尽きるまで、その身を焼き続ける⋯⋯これはそんな呪いだ。助かる術など、ありはしない⋯⋯」


 青年は苦痛に耐えながら、絞り出すように言った。少女はその場にぺたりとへたり込む。


「そんな――そんなのって⋯⋯」


 メラニーは絶句した。よく見ると、 ショーンの破れた服の裂け目に背中側からじわじわと広がる火傷が見える。


「あたしのせい? あたしがあの時出て来なければ⋯⋯」

「いや、それは違う。おそらく⋯⋯これが俺の運命、だったんだ⋯⋯。君を巻き込んで、すまなかっ⋯⋯」


 そこまで言い終えると、突然ショーンの顔が苦痛に歪み、体が大きく仰け反った。声を上げまいと、彼は拳を固く握り必死に歯を食いしばる。胸の前で握られたその左手を、メラニーは両手でギュッと握りしめた。


「おにいちゃん!」

「⋯⋯日が⋯⋯昇ったら、東へ⋯⋯太陽の、見える方向に⋯⋯進め。しばらく進めば⋯⋯街道に、当たる。こ⋯⋯こにいるよりはずっと、人通りがあるはずだ⋯⋯。きっと、誰かが君⋯⋯帰してくれる。一緒に⋯⋯行っ⋯⋯やりたい⋯⋯が⋯⋯」


 途切れ途切れの言葉が、だんだん力を失っていく。


「やだ⋯⋯やだよ、おにいちゃん!」


 ショーンは申し訳なさそうにと微笑むと、最後の力を振り絞って震える右手をメラニーの頬に当てた。


「や⋯⋯くそ⋯⋯く、守れ⋯⋯なくて、ご⋯⋯めん⋯⋯」


 その親指が少女の涙を拭うように僅かに動くと、ショーンの腕が力を失ってぱたりと落ちた。瞳から輝きが失せ、瞼がゆっくりと閉じていく。そして間もなく呼吸も止まった。

 メラニーは彼の体を激しく揺さぶった。


「違うよ! おにいちゃんは、ちゃんとあたしをくれた! お兄ちゃん、こんなに生きたがっているのに⋯⋯なのにこのまま死んじゃうなんて嫌だよ! 今度はあたしが助けるんだからぁ!」

 メラニーの体がやわらかな光を放つ。その光はどんどん強くなり、辺り一面をあたたかく包み込んでいった。




 どこからか歌が聞こえてくる。そよ風が肌に心地よい。朝露の雫を頬に感じて、青年はうっすらと目を開けた。


「良かった、気がついたのね」


 その娘は、歌うのをやめると溢れる涙を拭おうともせず、眩しそうな笑顔を膝枕の青年に向けた。


「ここは? 君は一体⋯⋯」

「わからない? 私、メラニーだよ、ショーンお兄ちゃん」


 ショーンはガバッと飛び起きた。全身を痛みが走る。


「つっ⋯⋯俺は、生きているのか?」


 ショーンは自らを抱くように蹲って呟いた。驚いて仰け反っていた娘は、姿勢を戻すと申し訳なさそうに言った。


「大丈夫? ごめんなさい。私の力ではあなたの生命を呼び戻すのに精一杯で、傷は火傷くらいしか治してあげられなかったの。痛む、よね⋯⋯」


 確かに、少女の面影がなくもないのだが⋯⋯。ショーンは蹲ったまま自分の額に手を当てると、呟くように訊いた。


「すまない、頭が混乱して⋯⋯。説明してくれないか?」


「実は私、天使なの」


 そう告げるとメラニーは、背中の翼をバサッと広げた。純白の翼を広げたその姿に、顔を上げたショーンは目をみはった。


「天使は天で生まれ、ある程度まで育ったあと、地上に降り立ってさなぎからかえるの。そのためには、地上に生きる人々から勇気や優しさといった良き心を分けてもらわなければならないの」


 メラニーはショーンの背後に近づいて座った。その手がショーンの肩に柔らかに触れる。


「あなたは私に愛をくれた。その生命を落としてまで。その大きな愛が、私にこんなに大きく美しい翼を授けてくれた」


 メラニーはショーンの背中を包むように抱いた。ショーンの体から、痛みがすぅっと引いていく。


「ありがとう、私を孵してくれて」

「『』って、そっちの意味だったのか⋯⋯」


 メラニーに身を委ねたまま、ショーンは呟いた。次の瞬間、ショーンははっとして顔を上げた。


「君はさっき、俺の命を呼び戻すのに精一杯でと言ったが、まさか――」

「ええ。今の私には天に還る力はないわ」

「何故⋯⋯」


 ショーンの問いに、メラニーは柔らかく微笑んだ。


「あなたを連れて天に還ることも、もちろんできた。けれど⋯⋯あなたは気づいていないかもしれないけれど、出逢った時からずっと必死に生きようとしていた。あんなに苦しんでいた最期の瞬間まで。そんなあなたを放っておくことなど、私にはできなかった。それに⋯⋯」

「それに?」

「私も見てみたくなったの。あなたの答えを。神々が何故私をあなたのもとに送ったのかはわからないけれど、あなたの答えを一緒に探すことで、私もその答えを見つけられる気がするの」


 メラニーは一息置いて続けた。


「私はあなたを生かすことを選んだ。もしかしたら、あなたの苦しみをただ闇雲に延ばしただけかもしれない。現に今、こんなに傷だらけで痛みに耐えながらあなたは生きている。これは私の罪。だから、私はあなたを見届ける。そしてあなたを助けたい。いえ、一緒に歩んでいきたいの。最期まで」


 ショーンの手がメラニーの腕に重なる。グッと込められたその手の力から、ショーンの心配する気配が伝わる。それを払拭するように、メラニーは明るい声で続けた。


「大丈夫。私の力はちゃんと回復する。蛹から孵る時と同じように、人々の良き心に触れていれば、自然と戻ってくるから」

「俺と行けば、また危険な目に遭わせることになる」

「それでも、一緒に歩きたい。これは私が選んだ道だから」


 ショーンは瞼を閉じてふぅっと息を吐くと、少し俯いて表情を緩めた。


「ひとつお願いしてもいいか?」

「なあに?」

「さっき歌っていたあの歌、もう一度聴かせてくれないか」

「いいけど⋯⋯私、そんなに上手じゃないから⋯⋯笑わないでね」


 メラニーは少し照れながら歌いはじめた。低く、高く⋯⋯慈愛に満ちた美しい旋律が風に遊ぶ。ショーンは静かにその旋律を聴いていた。

 歌声が止むと、彼は何かを決意したように目を開き、顔を上げた。


「君に出逢わなければ、おそらく俺はあのとき憎しみに駆られて、何の躊躇ためらいもなくあの男を殺していただろう。君とこの歌が、俺に生命だけでなく心も呼び戻してくれたんだ。⋯⋯ありがとう」


 そして一息置いて、こう続けた。


「一緒に来てくれ。俺も全力で君を守ろう」


 ショーンの手がメラニーから離れる。


「そうと決まれば、すぐにここを発ちたい。この傷を癒すには、人里まで降りたほうがいい。すまないが、手を貸してくれないか」

「お安いご用よ」


 二人は支えあうようにして立ち上がった。ショーンの足がふらつく。


「大丈夫? 歩ける?」

「ああ、たぶん」


 そう言いながら一歩踏み出すと、ショーンは大きく体勢を崩した。彼自身が思っていたほど、体力が戻っていなかったようだ。慌てて支えるメラニー。


「すまない。ありがとう」


 彼女はそのままショーンを近くの木に誘導すると、にっこり微笑んだ。


「ここで待ってて。すぐ荷物を取ってくるね」

「すまないが、火の始末もしておいてくれないか。竈の脇に集めておいた土を、しっかりと炭の上にかぶせて欲しい」

「うん、わかった」


 ショーンは木の幹に凭れかかって、メラニーを見送った。そして本当にすぐにメラニーは戻ってきた。


「東でいいのよね?」


 メラニーはショーンに肩を貸しながら訊いた。


「ああ。東へ」



 こうして二人の旅は幕を開けた。



 【完】

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