第17話

 『はるか』ちゃんと別れ、帰宅する前に俺が部室に寄ると、明かりが付いているのが見えた。

 中には、パソコンを広げて一人で黙々と作業している斎藤がいた。

 

「お疲れ様」


 こちらを見上げ、そう声を掛けてくれる斎藤に、色々と聞きたいことが沸々と込み上げてくる。

 委員決めでの発言とか、昨日喧嘩していたであろうはずの『はるか』ちゃんと、今朝にはもう仲直りしていたこととか。

 が、作業している斎藤の邪魔にしかならないその知識欲を押し殺し、「お疲れさん」と挨拶を返す。

 長テーブルに広げられた資料から、彼女が何をしているのかは大体察しが付いた。

 

「また地域の伝統を調べているのか?」

「そうよ。でも、時間が時間だし、もう帰ろうと思っていたところ」

 

 なるほど。斎藤はもう帰るのか。

 となると、俺も部室に用はないんだが。


「斎藤が帰るなら、俺も帰るかな……」

「そう。なら、部室の戸締りしていかないと」


 斎藤の自主的な行動に、ふと数週間前のことが脳裏を過った。

 植物園でデートするまで、俺は彼女のことを『他人に気を利かせることのない人間』だと勘違いしていた。

 この間の買い出しでは、斎藤が思いの他、強情なことに驚いた。

 今日の委員決めのときだって、斎藤が人前で質問することが予想外過ぎた。


「(まだまだ、俺は、斎藤の事をわかってないんだなぁ)」


 と、今後付き合っていく上で不安が込み上げてくる。

 その不安を拭おうとしたからだろうか。


「そういえば、委員決めの時の発言って何か意味あったのか?」


 気が付くと、俺は斎藤にそう尋ねていた。


「委員決めが長引くと、委員会が終わる時間も遅くなるでしょう。そうなると部活の始まる時間が遅くなるから、それが嫌だったってだけよ」


 対して、斎藤は、唐突な俺の質問に訝しむことなく答えた。

 気にしてないのやら、相手の意図を汲む気がないのやら。

 おそらく、斎藤のことを勘違いしてしまうのはこういう部分だろう。

 彼女は相手に詮索したりしないのだ。それが、『斎藤咲菜は相手に歩み寄ろうとしない人間』というイメージを固めてしまう要因になっているような気がする。


「(植物園の時の衝突もそれで……いや、だからそうやって、良い悪いを相手に押し付けること自体が良くないんだろ、俺!)」


 俺は、自分を正当化しようとする甘えた部分を、ブンブンと首を振って打ち消した。

 その仕草を目の前でされて、流石に何事かと思ったのか、斎藤から「どうしたの?」と問いが聞こえてくる。

 俺は「何でもないよ」と答えると、誤魔化すように話を元に戻した。


「それにしてもさ、委員会って長過ぎじゃないか?二時間ぐらいは優に掛かったよな」

「そうね。特に、あなたたちの委員会は長かったわね」

「そうそう。部活なんてさせる気ない感じだったからなぁ。明日も活動があるみたいだしさ」

「私も顧問から手伝う様に頼まれたわ」

「……え、なに?河川敷の清掃まで地域調査に入るの?」

「というより、人手が欲しいかららしいわ。そうは言っても、あなたたちは奉仕委員に入っている訳だし、人員は私一人分しか補充できないのだけれどね」


 設立した部活が、本当に便利屋であることを改めて自覚した。

 このまま、色々な部活やら委員会活動やらのサポート役になるのは、流石に御免被りたいんだが。


「さっきまで資料の整理してたろ?それは終わったのか?」


 部室のカーテンを閉めながら、そういえば、と俺が尋ねる。


「いいえ、まだ終わってないわ」

「やっぱり結構量があるんだな。だから、部活を早く始めたかったのか?」

「いいえ、それだけじゃないわよ」

「そうなの?」

「私、早く帰らないといけないから」

「あ、電車通なんだっけか?」

「いいえ、違うわよ」


 あれ?違ったのか。

 てっきり、わざわざ都市部から電車通学しているものと思っていたのだが。

 というか、俺はどれだけ斎藤の事を知らないのだろうか。先程から、尽く質問を「いいえ」で返されている。


「私、高校入学の時にこっちに引っ越してきたのよ」

「もしかして、それで船高を選んだの?」

「そうよ」

「俺、ずっと『はるか』ちゃんを追い駆けてきたのかと思っていたよ。二人とも仲良いなぁって」


 はい。またしても俺は、斎藤のことを勘違いしていたみたいですね。


「あながち間違いではないわよ。この高校の志望動機の半分は、悠と一緒だからだったし」


 と思ったら、そうでもなかったみたいです。

 昨日のように、彼女たちの仲が実は険悪だったという話に縺れ込むのかと思って、ついつい構えてしまったよ。良かった、良かった。

 けれども、気になることはまだありましてね。


「もう半分の理由を聞いても?」

「歩いて通える距離だからよ。私、自転車乗れないの」


 恥じらいながらも、きちんと俺の質問に答えようとする斎藤が、可愛らしかった。


「なんか、ごめん」

「いいわよ。気にしてないから」


 と、「でも」と斎藤が言葉を続ける。


「私、そろそろ帰らないといけなくて……」

「そうなのか?」

「うん。私の家は門限あるから」

「へぇ……。親御さん、心配性なんだな」

「うん……」


 門限の時間が気になるのだろうか。

 チラりと時計を確認すると、俺に後ろめたいような視線を送ってくる。


「呼び止めて悪かった。門限あるなら帰らないといけないもんな。聞きたいことがあったんだけど、まぁそれは後でいいや」

「聞きたいこと?」

「時間が押してるんだろ?今度で大丈夫だよ」

「少しならいいわよ」


 本来なら帰らないといけない時間なのだろう。それでも『いいよ』と許可をくれたのだから、その気持ちを無碍にするのも気が引ける。

 それなら、と俺は言葉を紡いだ。


「昨日の買い出しでのことだよ。『はるか』ちゃんと少し仲たがいというか、ぶつかるところがあったというか、二人の仲が険悪気味だっただろ?なのに、今朝にはもう談笑してたから、気になってさ」

「帰った後に仲直りしたのよ。今日はごめんねって、私が謝ったの」

「それだけ?」

「そうよ」

「……マジか。凄いな」


 喧嘩とまではいかなかったにしろ、仲が悪くなった時ってのは、以前の関係に戻るまでそこそこ時間を要するものだ。

 すぐに非を認めて謝りに行ける斎藤と、それを受け入れられる『はるか』ちゃんの間の信頼関係に、俺は少し感心してしまった。

 俺には三つ上の姉貴がいるが、姉弟ですら難しいことをサラっとやってしまうのは、もはや肉親の域を超えているんじゃないか?姉弟よりも繋がりが深いとなると、双子だろうか。

 一卵性双生児は思考回路がほとんど同じらしく、かくれんぼでまったく同じ場所に隠れるとか聞いたことあるし。

 いや、でもな。斎藤と『はるか』ちゃんが、かくれんぼで同じところに隠れるような気はしないし、そもそも斎藤がどこかに隠れようとする姿がまず想像できない。探し始めたら、「何をしているの?」とか呑気な事を言いながら、隣に立ってそうだし。

 ……なんて、どうでもいいことを考えている間にも、時は経つもので。

 ソワソワとした斎藤が、部室の鍵を指で弄りながらこちらを見上げていた。


「あっ、ごめん。門限あるんだったな。俺もそろそろ帰るから……」


 ……って、待てよ。

 隣で俺と同じ帰宅希望の彼女がいるのに、ここで「じゃあ、また明日な」なんて言えるか?いや、言えないだろ。

 しかも、家はここから歩いて帰れる場所にあるという。

 部活を進める上での彼氏彼女の関係とは言え、ここで引き下がるのは男が廃る気がする。

 青春がしたい斎藤にとって、彼氏と帰宅するというのは、彼女の願望を満たすことにもつながる訳で。それは俺の建前にもなる。いや、誘いたい訳じゃないよ。あくまで斎藤の『青春』のためだから。うんうん。

 もはや、これは一緒に帰ろうと、俺が誘うしかないのではなかろうか——


 ——と、俺が一人、内心で盛り上がっていると。

 どこか居心地悪そうに、またもソワソワし始める斎藤が視界に入った。

 

「どうした、斎藤?」


 斎藤がソワソワしている時は、大抵何か言いたいことがあるときなのである。過去二週間の俺の経験が、そう語っている。


「……実は、私も……その、あなたに用事があって」

「そうなの?」


 斎藤が俺に用があることを知りながらも、彼女に先を促すためにそう返した。


「明日、次のデートプランの話をしたいから、部室に来て欲しくて」

「……………………」


 刹那、呆けた面を晒す俺。

 すっかり頭から抜け落ちていた単語を耳にして、頭の中で青いリングがクルクルと回り続けている状態がしばし続いた。

 俺がフリーズから立ち直る頃には、斎藤は既に落ち着いた様子でこちらを見上げていた。


「……え?いや、何だって?」

「だから、明日デートプランを練りたいから、集まって欲しいの」

「……そうか」

「本当は、今日の部活でそのミーティングがしたかったんだけど、今からじゃできないから」

「……わかった。そうだな、今からじゃ……な」


 いやぁ、良かったわ。斎藤の家に門限あって。

 部室に来たらいきなり、「次のデートプラン考えてきた?」なんて質問されても建設的な返しをできる気がしない。未だに、『デート』の単語に対して不慣れな所為か、違和感を覚えてしまう。

 少なくとも、自分事として平然と受け入れられる機能は、今の俺の脳みそにはないようだった。


「じゃあ、また明日ね」

「……お、おう。帰り道に気を付けてな」


 もはや、「一緒に帰ろう」などと言い出せない俺だった。

 その誘い自体も、ある種のデートだったことに気付かなかったのは、言うまでもない。

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