二週間のハイライト

 ――そして時は流れ……

 今度はちゃんと流れてくれました。どこまで流れたかというと――体育祭の前日までです。つまりみゆきちゃんとお弁当を作る日の前日、ということです。

 だいたい二週間が過ぎたことになります。その間私がしたことをいくつか話したいと思います。


 まずは小説について。

 週一回の金曜日にある部活動では、最近自分の書いている小説について、進捗を報告しあったり、読んでもらってアドバイスをもらったりしています。私は進捗は報告していますが、読んでもらうのは文化祭の日まで待ってもらうことにしています。私の中ではストーリー、構成は(ある程度)決まっているので、あとは自分の力でどこまで書けるのか、試してみたいのです。ただし、今はだいぶ悪戦苦闘しているところです。

 文芸部はかなりフレキシブルな部活で、そもそも文化祭前は部活の参加自体自由であり、部活に出ずに家で黙々と小説を書くこともできます。引退した三年生がひょっこり顔を出すこともあります。受験勉強の現実逃避と言って小説を書いて持ってきた先輩もいます。このように文芸部は比較的、というか相当ゆるい部活で、私はその雰囲気が結構気に入っています。みんなにとっても居心地のいい部活だったらいいと思います。


 次に二人三脚について。

 私は朝や体育の時間にみゆきちゃんと五、六回二人三脚の練習をしました。前は二十五メートル歩いただけで練習をやめてしまいましたが(主に私のせいで)、練習を重ねるうちに結構走れるようになりました。掛け声は私の提案で「えっさほいさ」に決まり、最初はその間の抜けた掛け声に、力まで抜けそうになりましたが、みゆきちゃんが真面目そうに「えっさほいさ」と言うので私も真剣に「えっさほいさ」と言っているうちになんとなくコツを掴み、ある程度走れるようになったのでした。あるいは私のイメージトレーニングの成果もあったのかもしれません。とにかく何が言いたいかというと二週間で人は変わることができるということなのです。

 それでもみゆきちゃんはまだ結果に満足していないようです。ただ走れるようになっただけでは駄目だというのです。私としてはみゆきちゃんとペースを合わせて走ることができるようになっただけでも、ものすごく嬉しいのですが、まだまだ改良の余地はあるのかもしれません。確かに理論上では私の短距離走のベストタイム、あるいはそれに準ずるタイムまでは縮めることができるのですから。前日となった今日も怪我に気をつけながら練習に励むことになるでしょう。


 最後にみゆきちゃんと私のことについて。

 彼女はこの前「今は話せないこと」があると言いました。それも少し悩んだ顔で。私は心配しましたが彼女がそれから私にそのことを話すことはありませんでした。悩んだ顔を見せることもありませんでした。彼女はいつもの委員長の顔つきで毎日の仕事をこなし、穏やかな顔でみんなと接し、そして優しい顔で私を見つめました。私は今まで通り部活のある金曜日以外はみゆきちゃんと一緒に、おしゃべりをしながら帰りました。彼女は楽しそうに私の話を聞いてくれたので私も楽しく話をすることができました。それから私たちは手を繋ぎながら公園に入り、いつものベンチでお話をしたり、図書館に行って一緒に勉強をしたりしました。いつもと変わらない、幸せな時間でした。間違いなく。

 そして私の中には、おそらく彼女の悩みとは違う、一つの心配事というか、不安というものが生まれていきました。それは帰り際彼女と別れる時によく、姿を現すのです。たぶん彼女と一緒にいるときは、隠れていて見えなくなっているのですが、私が一人になるとそれを無視するわけにはいかなくなるのです。別にむくむくと私の中を広がって完全に支配するわけではありません。今のところは私を強く苦しめるものでもありません。それは些細な、点のような違和感です。それ自体は大きなものではありません。ですが一度それを気にしてしまえば、気になってしまって仕方がなくなるのです。そのことを考えずにはいられなくなるのです。そして私は不安になるのです。

 そういう時は私はできるだけ別のことを考えるようにしています。多くは小説のこと。あるいはみゆきちゃんとの二人三脚のこととか、一緒に作るハンバーグのことを。その問題から意識をそらすことに成功すれば、私はまた平穏を取り戻します。そしていつもと同じように生活をして、みゆきちゃんと一緒に帰って、彼女と別れます。いつもと同じ幸せな日々。しかしそれが終わるとまたあの違和感が現れるのです。その点の上を何度もペンキで塗っても、次の日にはペンキの上から点が現れるのです。気にしなければいいのかもしれません。でも私の性格上、それはできないのです。

 そのことについて、私はじっくりと考えたことがありました。帰りの電車の中で、家でご飯を食べながら、お風呂に入りながら、そしてお布団に入って寝る直前まで。違和感から気をそらすだけではなく、真正面から向き合おうと思ったのです。しかしそれはうまくいきませんでした。それは私の中の問題でありながら、私だけでは解決できないのです。唯一私に解決できる方法があるとすれば、それは「気にしない」ということなのです。

 私は小さい時から心配性で気が小さかったので、このようなことはよくありました。今回もそれと同じようなものなのでしょう。ただ小さい頃の心配が「今日の給食を残さずに食べれるだろうか」「先生に指名された時にうまく答えられるだろうか」といった、今考えたら心配することもないことだったのに対し、今回の私の憂いは、私の存在を根底から揺るがすものになる気がします。今度こそ私は立ち直れないような気がするのです。まるで爆弾のようです。一度爆発させたらもう元には戻れない。

 「気にしない」という選択肢はその爆弾を見て見ぬ振りをすることに他ならないのではないか、という気もします。爆弾があることを知りながら、平然とした態度で日々を過ごす。もしかしたら私の知らないうちにその爆弾は破裂寸前になっているかもしれません。点のような些細な違和感が気づかぬうちに私を飲み込むほど大きくなってしまうかもしれません。それは私が一番恐れることであり、だから私は気にしないわけにはいきません。しかし何か具体的な行動ができるわけではない。気に掛けはしますが、ただ時の流れに身を任せている。今の私はそのようにして日々を送っています。

 

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