出現!ハンバーグ星人


 体育祭の前日の放課後というのは、なかなか賑やかで、見ているだけでも楽しいものです。線を引いたり、必要な道具を準備したり。明日は降水確率が0パーセントなので、絶好の体育祭日和になるでしょう。雲ひとつない……あ、もう開会式の校長先生の話が想像できますね。

 体育祭の準備は、主に運動部の部員と実行委員(これも運動部が多いです)が中心となって行うので、文化部ど真ん中である、文芸部の私は、そんなに準備することがありません。みゆきちゃんも、そんなに仕事はないそうです。彼女は学級委員なので一年通じて少しずつ忙しくて、私が忙しくなるのは、文芸部の出展のある文化祭の時くらいになるでしょう。文化祭は来月頭にあり、その間に中間テストもあるので、十月は亀池南高校が一番忙しくなる月なのです。


 私は廊下の窓から、グラウンドの様子を見ています。一年生と二年生は北校舎に、三年生は職員室がある南校舎に教室があります。グラウンドは学校の北にあるので、廊下の窓からちょうど綺麗に見下ろすことができるのです。向かって右側に野球場があり、中央に陸上部、左側にサッカー部のコートがあります。外側は木が植えられていて、横に長い長方形になっています。私が知っているのはそんなところです。まあ私がグラウンドに出ることは、本当に必要最低限しかないので、もしかしたら運動部の人しか知らない秘密の場所があるのかもしれません。そしてそこで日夜、スポーツサイボーグになるための実験が行われている――

 私はしばらくぼーっとしていることに気がついたので、ロッカーに教科書をしまってから(そもそもそのために廊下に出たのです)、教室に戻りました。今日の放課後はみゆきちゃんと一緒に、明日のハンバーグ作りの材料を買いに行く予定があるのです。ハンバーグですよ、ハンバーグ。ついにこの時が来たか、という感じです。

 ちなみに、みゆきちゃんと買い物に行くのは初めてです。そもそもみゆきちゃんと一緒に出かける機会自体あまりないのです。平日は仕方がないでしょう。では休日は?

 残念ながら彼女は休日になると家に引きこもって勉強をしているのです。無理に誘うことはできません。私が彼女と出かけるとしたら、それは亀池図書館で一緒に勉強する時くらいになるでしょう(彼女はいつも勉強をしています。すごい)。

 まあそれでも成績は良くなるし、頭も良くなるし、みゆきちゃんはかっこいいし、いいことずくめなのですが、やっぱり本音を言うとみゆきちゃんと、色々なところに行きたいのです。夏休みに由美ちゃんと佳菜子ちゃんと一緒に海に行った時、ショッピングに行った時も、みゆきちゃんを誘ったのですが、それぞれ「勉強の計画が遅れているから」とか「模試の前日だから」とか言って断られてしまいました。「一緒に勉強をしたい」と言った時はほとんどオーケーをもらったんですがねえ。……残念ですが仕方がありません。彼女には彼女の優先順位があるのでしょうから。

 だからとにかく勉強以外の理由で彼女と出かけるのは初めてなので、私はかなりこの日を楽しみにしていました。例年の体育祭前日というと、憂鬱な気持ちでお布団に寝っ転がりながら、天井の線であみだくじをしているのですが、今年はその必要はなさそうです。

 

 私が帰りの支度をしていると、みゆきちゃんが席にやってきました。

「ごめんね、私いつも遅くて」

「構わないわ」

 彼女は全然気にしてない様子で言うと、左手で髪をかきあげました。みゆきちゃんは長い髪を後ろで縛っているのです。その様子を私がじっと見ていると、顔が少し赤くなりました。

「……なに?」

「ううん、なんでもない」

 私がそう言うとみゆきちゃんは小さなため息をつきました。

「もう、早くしてちょうだい」

「えへへ、はーい了解かしこまりました理解」

「なんなの、その返事は」

 みゆきちゃんは呆れた顔で言いました。

「あのさ、返事をする時『はいはい』って『はい』を二回言っただけでも怒られるでしょ。だから今回はそういうレベルじゃない形にしてみたの。これなら先生もどこから注意をするべきなのか迷うよね。それで先生が迷っている間に逃げちゃえば、怒られることもないわけ。……っていうのを、昨日思いついたんだけど、どうかな」

「……こだま、口を動かす暇があるなら手を動かしなさい」

「ええ、そんなあ。みゆきちゃんの的確な分析が欲しいよう」

「私の的を射たアドヴァイス(ナイス発音)が欲しいのなら、早く支度を終えなさい」

「はあい」

 私が準備を再開しようとすると、みゆきちゃんが不満げな声で言いました。

「……『了解かしこまりました理解』はどうなったのよ、足りないじゃない」

「あれ、みゆきちゃん言って欲しかったの? 素直じゃないなあ」

 そう言うと彼女は背中を向けてしまいました。スタスタと歩いて廊下に向かいます。

 私は急いで支度を終えました。

「ごめんねみゆきちゃん、待ってよう」


 みゆきちゃんは教室から廊下に出たところで、待っていてくれました。

 彼女はいじわるな笑みを浮かべて言いました。

「こだま、いいことを教えてあげるわ。例えば小さい子供が、スーパーで駄々をこね始めたらどうするのがいいか――一つにね、その場を離れるっていうのがあるのよ」

「な……つまり私は、駄々をこねる小さな子供と同じだと言うのですか」

「まあその辺の理解は任せるわ」

「むう」

 確かに、みゆきちゃんから見たらそれほど変わらないのかもしれませんが、小さい子供と同じ扱いをされるのはちょっと困ります。私はれっきとした高校二年生なのですから。正真正銘、限りなく正確に高校二年生なのですから――

 それに、私はみゆきちゃんと話をしていただけであって、駄々はこねていないはずです。駄々をこねるとは、もっとなんかゴリ押しで攻めることを言うはずです。私のさっきの会話は別にゴリ押しで攻めたわけではない。

 私はその点を踏まえて反論を試みようとしたのですが、発言権はすでに、左前方を歩いている彼女のもとにありました。

「とにかくね、あのままずっと教室で話していたらキリがないのよ。こだまは『思いついたことをそのまま口に出す』モードに入ったら、ずっと喋りっぱなしだから。それに付き合っている時間は残念なことに今日はないの。なぜなら明日のお弁当の材料を買いに行くから。もし、教室で時間を余計にロスしたら、それが積もり積もって、今日のこだまの帰りが遅くなってしまうのよ。すると必然的に就寝時間が遅くなる。そうして明日こだまは寝坊して、ハンバーグが作れなくなってしまう――そういうリスクが教室にはあるの、わかった?」

「うん……あ……はい了解かしこまりました理解」

「わかればいいのよ」

 みゆきちゃんはクスクス笑いました。

 それにしてもそこまでは考えていませんでした。教室でおしゃべりをしていると、ハンバーグが作れなくなるとは。教室のおしゃべりは恐ろしいものです。

「だったら、これから教室でおしゃべりをする時は、明日の朝ハンバーグを作る予定がなかったか、しっかり確認してからにするよ。何事も確認が大事だからね」

「ふふ、そうね、それがいいわ」

「でもね、みゆきちゃん。そうすると一つ困ったことが起きるんだよ――私が教室でおしゃべりをする前、次の日の朝にみゆきちゃんとハンバーグを作る予定があったか、確認するよね。そして、よしよしなかった、だからおしゃべりができるぞって思って、おしゃべりをする。するとしばらくしてから、私は疑問に思うんだよ。『あれ、私はおしゃべりをしていてよかったんだっけ』って。そして私はおしゃべりを中断して、明日の朝の予定を確認する。ああ、よかった、何にもなかった――こういうことが続くとね、今度は『確認の確認』が欲しくなるよね。つまり、明日の朝の予定を確認したことの確認だよ。自転車の鍵を二重にロックするみたいにさ――そしてまた、今度は『確認の確認の確認』が欲しくなって、次に『確認の確認の確認の確認』が欲しくなって――最終的に私は確認をするだけで時間を使ってしまって、明日の予定が何であったのか、わからなくなってしまう。ハンバーグを作る予定があってもなくても、私は確認という作業を何度も繰り返してフリーズしてしまうんだよ。それだったら最初から、何も考えずにみゆきちゃんとおしゃべりをした方が、たとえハンバーグを作ることができなかったとしても、断然いいよね」

 みゆきちゃんは笑みを浮かべながら言いました。

「それだったら私は教室でおしゃべりをしている時点で、『明日はハンバーグを作る予定がなかった』と思うようにするわ。おしゃべりを始めた時点で、それは確認されているはずだもの」

 階段の踊り場に差し掛かります。

「そうだよね、私もそうしようと思ったよ。でもね、それには重大な欠陥があるよ――私が教室でおしゃべりをするたびに、私の頭の中で『明日はハンバーグを作らない』という情報が伝達されるようになるでしょ。放課後、教室でおしゃべりをするたびに、何度も何度も――すると今度は、『ハンバーグ』という単語だけが頭に残るようになって、私が話をするたびに『ハンバーグ』って誰かが囁くんだよ。そして私は知らないうちに『ハンバーグ』に支配されるようになって、ハンバーグ星人になってしまう――ハンバーグ星人は『ハンバーグ』しか話せないんだよ。そしてそれは文芸部の私にとっては致命的だよ。いくら素敵な本を読んだとしても、私はみゆきちゃんに『ハンバーグ』としか伝えられないからね。もし私がこうなったとしたら、悲しいことだと思わない?」

「そうかしら」

 みゆきちゃんは振り向いて言いました。

「私はこだまが『ハンバーグ』しか話せなくなったとしても、それはそれでいいと思うわ」

「は、ハンバーグハンハンバーグ?」

「ほら、可愛いじゃない」

 みゆきちゃんは楽しそうに笑います。


 私たちは下駄箱に到着しました。

 みゆきちゃんの靴箱には黒い革靴と、体育祭用の白い運動靴が入っています。私と一緒で、白い靴は淡くグラウンドの土の色に染まっています。

 靴を履いて、昇降口を出たところには、私の準備が遅かったおかげ(?)なのか、あまり人がいませんでした。彼女は、そんな周りの様子を窺ってから言いました。

「それじゃあこだまがフリーズしないように、あるいはハンバーグ星人にならないようにするには、どうすればいいのかしら?」

「ハアンバアグ………………」

「ふふ。ハンバーグ星人になった上にフリーズまでしてしまったら、もうどうしようもないわね。でもその可能性も否定はできない」

 ええ、まったくもってその通りです。どちらか一つでも大変なのに、それが二つ同時に起こったら、それはそれは大変なことになります。

「みゆきちゃんはどうすればいいと思う?」と私は聞きます。

「みゆきちゃんの聡明な答えが聞きたい」

「それほど聡明というわけでもないけれど」と彼女は答えます。「一応考えがあるわ」

「なになに、ぜひ聞かせてよ」

 みゆきちゃんは微笑みながら言いました。

「公園入ってから、手、繋いでくれるなら、教えてあげる」

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