第10話 すべては「邯鄲の夢」

「とにかく、お入り下さい」

 わたしたちは末摘花さんの勧めで小さな宿坊にあがる。いかにもお寺の施設らしい、何の装飾も無い質素な部屋だ。彼女はここに滞在しているという。


「まあ、寺のお勤めに参加する合間に小説を書いてる訳なんですけど」

 へへへ、と笑う。

 その笑顔が、わたしの記憶のどこかに触れた。なんだか見覚えがある気がする。



「ええっ、これって『あざときゆめみし』じゃないですか!?」

 だがそんな違和感も、書きかけの小説を見せてもらった途端に吹っ飛んだ。

 これは紛れもなく、かの名作『あざときゆめみし』の原作小説に違いない。だって光源氏と頭中将が、あれして、こんな事まで……。


「それって折木戸の愛読書だね。コミックだけど。斎原も読んでたんだ」

「ちょっと、君依くん黙ってて」

 わたしは邪魔な騒音を遮り、読み耽った。そしてそれは唐突に終わる。

「こ、この続きは?」


「ああ。それはまだ、これからなんですが」

「書け、今すぐ」

 わたしは末摘花さんの胸倉をつかみ、懇切丁寧にお願いする。

「お願いしてる態度じゃないよ、斎原」

「あ、ああ。すみません」

 君依くんに言われ、慌てて手を離す。


「もう、相変わらずですね。斎原さんは。ところであなた方は、もとの世界に戻る方法を探していらっしゃるんじゃないですか?」

 そう言って末摘花さんは二枚の鏡を取り出した。


「これにあなたの未来が映っています。ひとつは悲しい未来、そしてもうひとつは輝かしい未来です」

 わたしはその鏡を覗き込んだ。


「これは……」

 そこには、わたしが映っていた。鏡の中のわたしは写真付きのはがきを前に泣き崩れている。

「このはがき、『結婚しました』ってやつだよね」

「ちょっと、見ないでよ」

 君依くんに背を向けて鏡を隠す。


 うわー、本当だ。しかも新郎は君依くんみたいだし。相手は……誰だろう、やだ、涙で滲んで見えないよ。


「で、これが輝かしい方です」

 今度は君依くんとわたしは笑顔で向き合っていた。でも、君依くんは別の女性と手を握り合ってる。その相手。小柄で細身。ちょっとタレ目。

「藤乃さんじゃないかっ!」


 君依くんの片恋の相手だ。いや、もしかしたら両想いなのかもしれないが、そんな事わたしが認めない。


「この未来、どっちも同じなんですけど」

「おや、そうですか」

 末摘花さんに詰め寄るが、彼女はしらばっくれる。


「こうやって、君依くんとわたしを祝福することで、斎原さんも図書寮の当主として強く生きていける、という事じゃないですか」

「そんな訳あるか……って、今、って言いませんでした、末摘花さん?」

 慌てて口元を押える末摘花さん。いや。


「やはりあなた、藤乃さんでしょ!」

 へへへ、と末摘花さんは藤乃さんの顔で笑った。



 ――― この鏡を『こなたにうつれる影をみよ。これ見れば、あはれに悲しきぞ』とて、見れば、臥しまろび泣き嘆きたる影うつれり。いま片つ方にうつれる影を見せたまへば、『これを見るはうれしな』とのたまふとなむ見えしと語るなり。いかに見えけるぞとだに耳もとどめず。―――



 ☆


「会いたかったよう、藤乃さん」

 駆け寄る君依くんから、藤乃さんは、さっと身をかわす。転倒して部屋の隅まで転がっていった君依くんはそのまま膝を抱え、めそめそと泣いている。


「何やってるの藤乃さん、こんなところで」

 末摘花の藤乃さんは肩をすくめた。

「それはわたしの台詞ですよ、わたしだって『更級日記』のなかで斎原さんたちに会うなんて想像してませんでした」


 幼い時の大事故によって、体内に文妖を宿す事になった藤乃さんは、小説世界のなかに自分の分身アバターを自由に送り込めるのだそうだ。

「最近、この能力に気付いたんですよ。もっとも、その本にも文妖が発生しているのが前提ですけど」


「わたしたちは『更級日記』を読んでたんだけど、もしかして藤乃さんも?」

 はー、と藤乃さんは大きく息をついた。

「きっと、わたしが読んでいたものとリンクしちゃったんですね」

 たまたま偶然、同じものを読んでいたらしい。


「じゃあ、もとの世界に帰る方法を教えて。知ってるんでしょ、藤乃さん」

「え、帰っちゃうんですか」

 そう言って藤乃さんは部屋の隅で膝を抱える君依くんを見た。


「わたしたちには仕事があるの」

「ぼくは、残ってもいいよ」

「うるさい」


 藤乃さんは少し考える様子だった。

「だったら、この世界のラスボスを倒すことですね」

「本当に?」

「冗談です」

 本当は……と、立ち上がった藤乃さんは末摘花から、東雲高校の制服姿になっていた。


「わたしは、この分身アバターを引き戻します。その後は、斎原さん。自力でこの文妖が造った結界を突破して、元の世界に帰還してください」

 まずは藤乃さん側のリンクを切るのである。


「それには斎原さん自身の能力を、もう少し高める必要がありますけど、方法は分かってますよね」

 内側から文妖の結界を破るのは相当困難なのだ。しかし方法はある。わたしと君依くんにしか出来ない方法だが。


 わたしは君依くんを見て頷いた。その方法とは、彼の遺伝子を取り込むことだ。

 うん。仕方ない。もとの世界に戻るためだからな。

「大人しくして、君依くん」


「ちょっと斎原。藤乃さんの前じゃイヤだよう」

 うるさい、おまえは仏壇の前で抵抗する未亡人か。

「キスだけ。キスだけだから、ね」


「待って、斎原さん」

 藤乃さんはわたしたちの横にしゃがみ込んだ。

 わたしを押しのけると、なんの躊躇もなく君依くんに口づけする。


「あ、あの。藤乃さん?」

 藤乃さんは赤い顔で俯いた。君依くんは昇天して仰向けに倒れているし。

 わたしはどうすれば良いんだ。


「ごめん、斎原さん。間接キスで我慢して」

 藤乃さんは顔をあげると、そういってちょんと唇をつき出した。

 だから目を閉じないで、藤乃さんっ。

「ああ、もう。仕方ないな」


 ☆


 ……わたしは図書館の床に横たわっていた。腕にしっかりと君依くんを抱きしめている。

「おお、気がついたようだな」

 折木戸さんが見下ろしていた。

 彼女だけじゃない。顧問の深町先生をはじめ、才原未散、埜地、ヴァネッサちゃんたち図書委員の面々もだった。


「斎原委員長よ、こんな公衆の面前で乳繰り合うのは如何かと思うぞ」

 ヴァネッサちゃんは苦笑いを浮かべている。

 そうか、帰って来れたんだ。

「君依くん、元の世界だよ」


 薄っすらと目を開けた君依くんは、わたしを見て呟いた。

「あぁ……藤乃さん……好き」

「違うわっ!」


「あれー、おかしいな。さっきまで藤乃さんと一緒にいたような気がしたのに」

 頬を押えたまま、君依くんは首をひねっている。どうやら、向こうの世界の事はあまり覚えていないようだ。

「心配しなくても、あっちでも相手にされてなかったから。君依くんは」

「斎原、なんだかムキになってない?」

「しりません!」



『邯鄲の夢』あるいは『一炊の夢』という。

 わたしたちが文妖に取り込まれてから、三十分も経過していなかったらしい。

 こうして、わたしと君依くんの『更級日記』をめぐる物語は終わった。



 ――― 年月は過ぎ変はりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひ出づれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどのことは、またさだかにもおぼえず (「更級日記」より)―――




おわり


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幼なじみが菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の飼ってるネコになりました。 杉浦ヒナタ @gallia-3

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