第18話  ここから始めよう

 冬馬は阪神地区で仕事をしていたフレンズという動物病院とフジハウスペットクリニックとの関係について、フレンズのオーナーに尋ねたことがある。

 何故自分が指名されたのかは、当然、疑問に思ってもいいことだし、フレンズのオーナーと院長の会話には、以前から何かしらの交流があったと思えるふしがある。


「関係は全く無い」フレンズのオーナーは言った。「この前突然院長先生が来られた時が初対面だ」

 冬馬もその席に呼ばれ、オファーを受けたのだった。

 院長は人間を相手にする医師で病院を経営している。それに併設してペットの病院も造りたいと言った。

「小野先生の研究してる論文を見た。それをもっと発展させた形のクリニックを造りたいのだ。来てくれないか」

 オーナーとは話がついていると言い、条件を提示した。 


「クリニックの外観はできている。あとはあなたの好きなように改装して、好きなように運用してくれていい。実績を上げたら歩合を加算する。君の論文を読んで私の考えにピタリと一致したんだ。だが君が来ないなら他のところからの希望者はワンサカいるんだけど、どうする」

 フレンズのオーナーは既に冬馬の引き抜きについての金額を提示されているのか「こんなチャンスは、此処に居る限り二度と来ないぞ」と背中を押すと言うより、追い出すほどの勢いで勧めた。


 冬馬は利益を上げるのが目的でないのなら小さなところは願ったりだと思い了承した。 

 退職金も貰い、事実上の転職状態で着任した。

 住まいは取り敢えず、此処で動物と寝ながらゆっくり探せばいいと思っている。


「で、今日と明日の半日。改装計画を作りますから、皆さん自分で動線と機材の位置関係を考えて画を描いてみてください。明日の十三時、約束の時間に院長に挨拶に行きます。湯原さんも一緒に行ってくれますか」

「わかりました」

 

 冬馬は手術機材、薬品類の点検を続け、不備なものをリストアップしたあと、建物の外周を回り周囲の環境を調べた。


 全体は小高い丘だ。北の方にペンキを塗った遊具が小さく見える。公園のようだ。


 五〇メートルほど離れたところに建築中の住宅がある。結構な大きさの住宅なので、家族が多いのかもしれないが、この距離なら人が住み始めても犬の鳴き声は気にならないだろう。それに完成時には塀か生け垣も出来るだろうから、犬や猫が紛れ込むこともない筈だ。


 敷地が思ったより広そうなのでドッグランとキャットウォークのエリアが作れる。


 景色は良いが買い物や出かけるには不便な場所だ。だから将来的にも住宅が密集してくることはなさそうだ。

 ということは、動物の医療施設として申し分の無い環境だといえる。


 冬馬は、赤くなって雲の隙間に沈み始めた夕日を見ながら、俺はこれから何度この夕日をここで見る事になるのだろうと、感慨深く手を広げて深呼吸してみた。


 客も患畜もいないので十八時に終業した。


みんなが帰った後、冬馬は電気製品の通電テストをした。

 アレスターを外したとき、自家発電が起動しないことがわかって原因を調べると、単純なバッテリー上がりだと判った。

「取り付けたときテストしてないのかな」

 不審に思いながら電池の交換若しくは補充電を記録する。


 待合室にテレビが無い事にも気がついた。テレビというより、今や情報の伝達ボードとして、必須アイテムだ。無いと地震、災害の対応に後れを取る事がある。

 念のために湯原が作ったリストを見ても上がってない。

 ノートパソコンに二件を書き足し、食料の買い出しと銭湯に行く準備をしていると車が玄関前に止まった。

 降りてきた白髭の男は、冬馬が声をかけるより早く、「小野先生。よく来てくれた」と握手を求めてきた。

「院長先生……」


骨張った手を握り返しながら、どこか懐かしさを感じる顔に、冬馬も笑顔を返す。

「灯りが付いていたのでまさかと思いましたが――ははは。そのまさかでしたな。お約束は確か明日の十三時でしたが」

「はい。スタッフの方と親睦を深めておきたかったのと、提言できる事が何かあるかと思い、一日早く参りました」


「そうでしたか。問題点は明日事務長と訊くとしてスタッフは何か言っておりましたか」


「トリマーの林さんが、自分より腕の良い者が居たのに、何故そちらを採用しなかったのか不思議がっていました。あと、即戦力にはならない高校生を採用すると決めた事も」

「ああ。それは簡単です。採用した女性は付き合っている男性がいて、もうすぐ結婚するそうですから仕事が必要でしょうし、うちで採用しなかった女性は、美人のうえ腕がいいらしいのでどこにでも就職できると思ったからです。それに、あの高校生はとにかく向上心がありました」

「なるほど」冬馬は深く納得する。

「寝泊まりするところも、準備してあります。明日来たときに説明しようと思っていたんだが今日はうちにいらっしゃい。色々聞きたい事も有る」


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