第12話  秋  

 医学部の六年生にとって、夏から冬にかけては今までのどの年とも違った季節になる。

 大学生活を構成する四本の柱と言えば、単位、ゼミ、卒論、就活だ。


 だが医学部の学生がそれらで苦労することはあまりない。


 その代わり六年の十月から始まる卒業試験が砦の如く目の前に立ち塞がり、その攻略期間は凡そ三ヶ月に及ぶ。

 卒業試験に落ちれば留年するしか医師になる道はない。それは獣医科も似たようなものだ。


 医学部を擁する国公立大学の医師国家試験合格率は96パーセントと極めて高い。

 だがこの数値は卒業試験という、ふるいに掛けられて通過した者だけが受験した結果であって、国試に落ちるレベルの者は、最初から受験資格さえも与えられていないということは、余り知られていない。


 それなら、卒業試験を通れば国家試験に合格するかと言えばそれがそうでもない。

 それは卒業試験の問題を大学側がどのように出すかによるからだ。


 医科大学の優劣は、国試受験者に対する合格者数の割合で表される。


 例えば医師国家試験の受験者数に対する合格者数の比率が90.1パーセント以上の国公立大と、同じ比率で86.5パーセントの私立医大の差は学生の能力差というよりは明らかに教育内容の差だといえる。(学生の質については比較となる資料が無い)


 何故かというと、毎回上位トップ10内に常駐する私立大医学部が3校ある。

 自治医科大学。順天堂大学医学部。慶應義塾大学医学部だ。


 この3校を特殊な例として除き計算し直してみると、国公立大90.1パーセントのとき、私立大84パーセントになる。

 

(勿論、ワースト10は全て私立医大で占めている)


 具体的に各校医学部を個別に、実際の国試出願者数を合格者数で割ると、最下位の私立T・K大の国試合格率は60.5パーセントまで落ちる。

 このことからもこれらの医大では卒業試験が国試に向いて機能していないことが明確になる。

 その理由は幾つかある。


 作者の知人の話によると、ある大学の卒業試験は留年させるのが目的だと言われているほど、難解な問題や引っかけ問題が多い。

そもそも国家試験というものは落とすためのものではなく、知識がそこに達しているかを判定するための試験だから、合格者は何人居ても、それは国としては喜ばしいことなのだ。

 そのため、その医大の卒業試験は医師としての能力を高めるために留年させるのではなくて、授業料などの学費を得るためと定員に満たない学生数を確保することが卒業試験の目的だと言われるのだ。

 実際、なかには十年も大学に居て卒業できない者も存在するらしいが、よく高額な授業料が続くものだと感心するし、そんな者に医師になってほしくないと思うのは私だけでは無いだろう。ここまでくるとこれは個人の資質の問題なのだ。


 加えて国からの補助費の減額、打ち切りなどにより最新の医療器具の購入資金の不足。慢性的な研究材料、実習材料の不足(解剖学に使用するご遺体など)で知識の裏付けや最新機器の取扱能力が不足して、分析力の低下が拍車をかける。

 

『これでしばらく様子を見ましょう』というのが、対症療法しかできずに、病原を特定できない医師の常套句で、次は『よくここまで我慢しましたね』などと、症状の悪化を患者のせいにする。

 そんな大学病院を持つ大学医学部なのに、あるいはそれだからか、学費は高い。

 一般常識から見てもべらぼうに高い。


因みに入学してから国試受験までの六年間の学費を見ると、国立T大、K大の約350万円は別格としても、国立大400万、公立大700万に比べて、私立大2700万から6000万は、普通のサラリーマン家庭に払える額では無い。


 だがその金額は、支払い能力があり、その金額によって高度な医療技術が得られた医師が排出されるのであれば、我々がどうこうということなどはまったくないので、そこは文句のつけどころではない。


 我々患者側が問題にすべきはあくまで医師の能力だから、患者は医師を盲信すること無く、複数の医療施設で診察を受けることで、無能な医師を淘汰するべきなのだ。


 だが獣医師が淘汰されることはあまりない。

 患畜が右足に傷をしたとして、間違えて左足の治療をしても動物は文句を言わないからだ。動物は怪我に対する自然治癒力が強い。笑ってはいけないがその内に治る。

 そんなことより畜産農家を抱える獣医師の不手際は、社会を震撼させる重大な事態になることがあるが、それは後述する。

   

 とにもかくにも冬馬達の大学では、獣医科が二十八科目、尚美達の医学科は三十一科目を三ヶ月でクリアしなければ卒業も国試の受験もできなくなる。


 雪江の実家から戻った六人は直ちに頭を切り替え、残された時間、朝から晩まで、何日も図書室の小ブースの一つを占拠して合同で勉強した。


*     *     *


 最初にそれぞれが大学受験の時に効果があった勉強方法の利点と欠点を述べて、勉強の方法を決めた。


つまり――運動をして体力を維持する。睡眠をしっかりとって集中力と記憶力を高める。

 試験問題は発想力と応用力が問われるようになったので脳の柔軟性を確保することと、思考を広範囲に広げて多角的な視点を整理すると決めた。

 

 図書室が開く一時間前に武道場に集まり柔軟体操で身体を目覚めさせる。

 脈拍を120程に保ちながら三キロのジョギングをしたあと、ストレッチをして図書室に入り十五分瞑想をする。そして決めた科目の決めた場所までそれぞれが取りかかる。

 午前中は二十分ごとに立ち上がり脳を三分休ませ気分をリフレッシュするか、ストレッチをする。

 一人で居ると焦りが生じて、なかなかこの三分の休養を取ることができないのだが、仲間が休養している姿を見ると、焦りが生じない。

 頭がリフレッシュすると、着想も記憶力も高まるという、予想どおりの効果が得られた。


 朝はコンビニ弁当。昼食は学食で喫食することにして夕食は自由。間食の甘味料は適度にとる。

 

「私達が捕食室で作る」

 三人が口を揃えていったが、冬馬は反対した。

「炊事を始めると、食材の買い出し、調理の時間、後片付けなど多くの時間を消耗する。それは三人でやっても同じ事。それに食後の僅かな時間さえも和もうとする。だから有り難いけど君らにも炊事で時間を消費しないでほしい。俺達がやろうとしていることを一つも崩さないという意志を貫くことが、将来の俺達の基礎になるんだ。その代わり、試験が終わったら皆で冬キャンプでもしてバーベキュウをしよう。それまで頑張ろうぜ」

 そう、冬馬が言ったので、「冬馬が言った冬キャンプに絶対連れてって」という約束をして、食事のとりかたが決定した。


 昼食の後、四十分は強制的に目を瞑り睡眠を取ることにした。牛にでも豚にでもなるがいい。どうせ血液は内臓に集まって脳は働かないのだ。


 午後からは午前に勉強した科目範囲から問題を出し合ったり、記憶に抜けた部分を補完したりして、司書が閉館を告げるまで科目を進めていく。

 解散したら、次の朝まで六時間以上の睡眠を取り、体調を整えるというルーチンを定着させた。


 雪江は午前の学習時間、ときどき顔を上げ、深呼吸しながら安幸を見て、安心したように学習に戻る。

 会話が無くても安幸がそこに居る。それだけで心が安らいで集中力が続いた。


 司書が「時間ですよ」と終わりを告げ、それぞれが、自分の住居に戻る。


 猛男と霞子は同じ電車には乘るものの、霞子が降りるとき、手を叩き合うだけで言葉も交わさず別れる日々になった。

 ある日の昼食時、霞子が、「言葉がなければ想いがより深くなる。100の想いをひと言で表す和歌の表現力があらためて凄いと思った」と二人にささやいた。

 

 獣医と医師は『命』と相対するという意味では共通の治療法を持っている。

 怪我をする。骨を折る。或いは風邪を引く、下痢をする、お産をする……など。

 外科学、内科学について、多くの医学を共有する。無論『差』は重大な要素として認知した上でのことだ。

 

 だが、決定的に差が生じるのが命の値段だ。


 時に数億円でも購えない人の命に対して、司法が認める動物の命はあくまで『物』としての価値でしかない。そこに治療の差が生じる。


「次、チール・ネルゼン法」

 獣医科の猛男が出した問題に、医科の三人も反応して五人が手を挙げた。


 元々は人が感染した菌を検出する方法だ。

 医科が思わず手を上げたとしても不思議ではないと思い、霞子を指名した。


 指名された霞子が「タケ、発音が悪い。チール・ニールセン法って言うのよ。スペルはZiehl-Neelsen 。で、抗酸菌検出のための染色方法」

「そうか。俺達はネルゼンって言ってるぞ」

 安幸が「ドイツ読みとの違いだな」というと雪江が「答え書くときには欧文で書こう。こういう発音とか発声は教授せんせいによって変わるんだよ。だから出題されるとしたら選択問題になることが多い。……とはなにか。次の中から選び、理由として適切なものに印をつけよ。みたいなね」

 尚美が「でも、どう発音するか決めなくては覚えにくいから、それは各人で好きにしよう。カスミは発音については自分と違っても容認して」

と決定案を出し「治療法は?」と冬馬に質問する。


「治療はしない。この方法で検出された菌は感染力が強いから、動物から検出されたら処分だ。だからこの場合、治療よりも予防が問題で検査方が決められている。それが人との決定的な違いだな」

 そこから医科は菌の検出から治療法へ、獣医科は菌の感染予防法と隔離方法について分かれて推移していく。


 つまり大型動物とは人の食材であり、小型動物はペットとして各種疾病の治療をする対象という考えが前提にある。


 このために畜産農家は獣医師を頼みの綱として、獣医師は依頼された畜産農家を巡回して、異常兆候に目を光らせる。


 例えばだが、もし口蹄疫の兆候を見逃したとしたら……。もし予防手順を間違えたとしたら……その畜産農家は壊滅し、獣医師は一生汚名がついて回る。いやそれ以前に生業を替えるだろう。


 だから冬馬達にとっての卒業試験は、現場で戸惑い硬直しないための知識を、身体に覚え込ませる予備作業だと考えている。


六年のあいだ蓄積した知識を総括する国家試験に受からないのであれば、そもそも医師や獣医師など、恐ろしくてやっていられないのだ。

 だが、人の頭脳は、経験や知識があれば、驚くほどに順応して対応する。

 六人が共同して持った疑問、知識、議論などはそれぞれに咀嚼されて体内に蓄積される。

*     *    *

 

 長かった卒業試験が終わった。

 結果は発表を待つまでも無く、充分な手応えを感じてはいたが、学べば学ぶほど、はたしてこの程度の知識で、自分は医師として世に出て良いのか。という不安が湧いてくる。

「だから国がそれを試験して確かめてくれるんだろ」

 猛男が安幸の不安を消すように言う。

「だがそれは最低限の知識だ。だから医師はその部分をインターンとして、次には臨床医、研究医として研鑽を積み重ねることでスキルを高める。だが俺達にはそれがないからな。どこかで修行して経験値を積み重ねるしか無い」


 そういうことなんだよと、それぞれの日常に戻っていった。

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