第11話  漁業 

 今夜、漁で沖に出て岬を顧みた者は、屋敷が燃えていると思ったかも知れない。


 そうでなければ、年老いた漁師達が、夜釣りから帰るときの頼もしい灯があった頃のことを思い出しただろう。


 確かに、夏の夜の明かりには、篝火ほど相応しいものはない。


 燃えさかる炎に時折巻き上げられる火の粉の勢いは、戦の出陣前夜を彷彿とさせる。

集まった人達は網元である太田家の縁者と従業員、それに三隻の船の乗組員と家族達で、チャーターした送迎バスが三往復して運んで来た人数は百人を超えた。


雅楽の、笙の笛の音と共に、広間に設けられた神棚の前に狩衣を着た宮司が立ち、その後に礼服を着た雪江の両親、船の船頭、機関長、局長(通信長)甲板長などの幹部と共に、雪江の友人達五人も参列した。

 雪江は舞姫の衣装に着替えていて、宮司と参列者の間に座りCDを操作している。

 

 宮司が大祓おおはらいの言葉を述べると、雪江と両親も共に唱和して、厳かに神事が始まった。

 全員が頭を下げ、宮司が御幣ごへいを振ってお祓いをする。

宮司が祝詞を奏上し終えると、雪江が鈴を鳴らしながら、豊栄とよさかの舞に続いて、浦安の舞を舞った。

 参列者が玉串を奉納し、全員が香川の金刀比羅宮に向かって、二礼二拍手一拝で漁の安全と大漁を祈願した。


 庭に設けたテーブルの上には、樽酒とマグロの半身と鰹が乗っていて、半纏を着た寿司職人が包丁を使い、切り身を造り、或いは炉に藁を投じて瞬間的に燃え上がる高熱の炎で、たたきを造った。


 宮司と雪江、両親が普段着に着替えて庭に現れ、拍手が上がる。

 宴が始まると、うるさくてまともな話しなどできないと言った網元の次郎だったが、「みんな」と一言、言っただけで宴席が一瞬のうちに静まったのをみて、五人は網元の威厳と船主としての支配力を知った。

「よく集まってくれました」

 彼は誰に対してもこういう言葉で話すのだ。 

「この度は娘がお友達を五人も連れて帰ってきてくれましたがその連絡を聞いた六日前、鰹の豊進丸に帰投を連絡し、一本は上がるだろうと五日前に栄進丸を出した。だがこれが二杯とも大当たりした」

 太い声が遠くまでよく通る。

「豊進丸はその帰りになぶら(魚群)に遭遇し、栄進丸は五日で二本のマグロを釣り挙げた。しかもそのとき境港にはマグロが入ってなくて、一本釣りのマグロが一本と半身で六百、鰹が四百だ」

 拍手と歓声が沸く。


 政夫が次郎に耳打ちした。

「おお。そうだ。もう一つあった」と頷いた。

「娘達六人は今日、浜で溺れた子供を助けてくれたらしい」


 再び湧き上がる拍手と歓声の中で、六人は頭を下げて、目立たない隅に固まる。


「実に実に、娘は帰ってきただけでこれ程の福を呼び込んだ。我々の栄進丸は四百八十トンの小ぶりだが、どの船も最新の電子設備と機関、居住空間、安全設備を持っている。娘も船も、今後とも量より質で我々の繁栄を支えてくれるだろう」

 拍手と笑い声が雪江に向けられた。


 見るからに漁師のおかみさんと言った風情の女性が「雪江ちゃん一言」と言ってコーラの瓶を渡した。

「もうっ。あれほど私達のことは放っといてって言ったのに」と言いながらも前に出て「船と比べられたら何も言えない」と挨拶する。


「皆さんこんばんは、お久しぶりです。雪江です。父や母がお世話になっています。有り難うございます」

 本物のマイクが手渡されて瓶と持ち替える。


「私は来年学校を卒業したら、こちらに戻ってきて病院に勤めます。でも私の居る病院には来ないで下さい。私の腕はまだまだ未熟です。傷の縫い跡がガタガタになるからね」

 ワーッと笑い声が上がる。

 幼い頃から何の欠点も無い雪江の、随一のウィークポイント。裁縫が下手なことは愛すべき弱点として知れ渡っていた。

 それを逆手に取った雪江の挨拶は好感を持って受け入れられたが、次郎は網元として言って置くことがあった。


 次郎がマイクを持って「娘はああ言うが心配しなくてもいいから」と皆の笑い声をなだめる。


「ドクターヘリの設置を県に要請しています」


 三度みたびざわめきが止まる。

「海の遭難者は海上自衛隊、保安庁が救助し、ドクターヘリのヘリポートを設置することで重篤の傷病者に対応する態勢が作られる。近々議会から発表されるはずだ」

「おおっ」というどよめき。

「安心安全は何より有り難い」という声に続き「雪江ちゃんのところに運ばれたら元も子もない」という声が聞こえ、またも笑い声が庭に溢れた。

 

 次郎が合図して、細竹に濡らした茣蓙ござを巻き付けたものが三本運び込まれて固定された。


「今回来てくれた娘の友達に、剣道の達人が二人居ます。しかも真剣に興味を持ってくれたので、久しぶりに俵切たわらぎりをやってみようかと思う」  


「あら、達人になっちゃった」と尚美が無邪気に喜ぶ。


「若い者に教えておくが、我々に伝わるこの刀は、包󠄃かねさだという名人が打った。その昔、曾曾爺さまが、たった一人でこの刀を腰に隣村に乗り込み、利益を独り占めしていた悪い網元をぶった切り、村人達を救ったと伝えられている。相手の刀ごと両断して刃こぼれもしないという剛刀です」


 居間での食事の後、冬馬と尚美は庭で数十度この刀を振らせて貰った。

 

 初めて真剣を持った印象は、正眼に構えるとりがある分、重心が上に来るのでバランスが悪いということだ。

 これは切断する対象に刃が当たったとき、最後まで加圧していないと剣筋が変わることを意味する。ポンと叩くことで一本とする剣道とは大きく違うところだ。

 逆に上段に構えると重心が下がるので構えが安定する。

 冬馬と尚美はこの点について、刃の部分は反りの頂点より先を使う。すなわち、物打ちと言われる前半分から、先の部分を使うことで刃筋が安定する。上段からの振り下ろす速度を利用することが最も『切る』方法として適していると結論づけていた。


 色々な構えを試していた二人は「何か切ってみます?」と言った網元に、「良いのですか」と幸運を喜んだが、まさかこれ程の人の前で、座興のようにやることになるとは思っていなくて、「緊張するー」と頬をたたき合った。


「じゃあ最初に私がやってみましょう」

 次郎は網元の顔になり、巻俵まきだわらの一本に近づくと無造作に両足を開き、右上から左下に向けて、袈裟懸けさがけに振り下ろした。

 次に左下から右上に切り上げるが、途中で勢いが無くなり止まりかけるところを身体を捻って力で押し切る。

「切り上げが下手だねえ」と自分を評して冬馬に刀を渡す。


 冬馬は最初から切っ先をやや右に振った上段から間合いを詰めると、左足を前にして跳び上がった。

 空中で足の前後を入れ替えると同時に落下する体重を乗せて門松の竹の切り口をイメージして切り下げる。すぐに刃先を返し、今度は右下から上に叩きつける。押しつけた右腕を軸に左手で刃筋を維持しながら両足で立ち上がる力を使い、切りあげた。


「ほう」という感嘆の声と同時に湧く拍手に笑みを浮かべ、尚美に刀を渡す。


「後がやりにくいなぁ。冬馬はカッコつけすぎだよ」

「つけてねーよ。それより理屈とは違った。切り上げのときに、振っただけだとすぐ止まるぞ。腰を回して全力で叩きつけると同時に引き切れ。刀の根元から先まで全部使え」


 尚美は正眼から静かに間合いを詰め、半歩手前で上段に変えた。気合いと共に身体を沈ませながら体重を乗せて切り下げる。冬馬が言ったとおり立ち上がる力で刀のハバキの辺りを叩きつけると、刃が芯竹を割った感触が伝わる。勢いが吸い取られ刀が止まりそうになる。冬馬が「引き切れ。擦れ」と叫ぶ。左手が届かなくなり右手一本で切っ先まで引き抜き撫で切りにすると、コトンと巻俵の上部が地面に落ちた。


 その一連の静から動、動から静へ流れる課程で巻俵を片手で切り落とした技に、賞賛の嵐が湧いた。

 納刀し、刀を返して、目立たない隅に六人が集まる。

 あらためて五人が尚美に拍手する。

「お前の方がよっぽどかっこいいじゃねーか」

「冬馬のアドバイスのおかげ。それと刀が思ってたよりよく切れた」


 霞子が「今日はみんなの意外な能力を知ることができたね」と言った

「ユキってさ、お神楽とか神様のことできるんだ」

「うん。網元の娘だからね。本当はピアノが弾けるようになりたかったんだけど、乗組員達の安全を一番に考えなくちゃいけなかったから。って神頼みなんだけど」

 猛男が「経済の話になるけど」

「いいよ」

「船三隻――杯って言うのか? でこれだけの人達の生活を見る訳か。さっきの話しだと1週間で一千万稼いだって事になる?」

「そう。出会い頭でラッキーだったみたいだけど。ここから燃料代とか船の維持費、装備品の消耗したぶんひいて税金納めた残りが収入で給料の一部になるの。乗組員の人は固定給で、年、四百五十万から六百万ぐらいプラス歩合。ここに出ている分はお寿司屋さんに税抜きで渡したら、か~るく五十万超えるけど、それは漁夫の利ってやつ。それと一隻二隻は大きい船の数え方だけど、今はどれも隻って言う人が増えたね」

「固定給にできるほど安定した漁獲量が確保できるって事なのかな」

 出会い頭とか、ラッキーとかの言葉が飛び交う漁なのに、安定という事が理解出来なくて、冬馬が訊く。

「うちは特別なの」

 雪江が、

「うち自体が漁協で会社組織なのよ。だから不漁が続くと、途端に収入がなくなり船の維持費が赤字になる。だから、一年は持ちこたえられるようにストックをしてるし、皆にも1年分の蓄えをさせてるんだけどね。そもそも魚が捕れる捕れないは船頭さんと通信局長で決まるの。ほら、あそこに六人が居るでしょう。三人が船頭さんで三人が局長さん」

 潮に焼けて深い皺とひげをはやした五十歳程かと思える六人が、丁度、船主でもある雪江の父と盃を合わせたところだった。


*     *

 漁 業 ――情 報――

*     *

 魚船は操業した後、その日の漁獲高、位置情報などを僚船、所属する漁協に連絡する。だが、正確な位置情報をずらして打電する事が往々にしてある。

 それは他所の漁協に属する船に、見つけた魚群を取られないためで、正確な位置は僚船だけに分かるように暗号化して打電する。

 しかし太田次郎を船主とする、栄進丸、豊進丸、神進丸の通信局長と船頭は他所の船が打つ暗号が解けたのだ。

『暗号』と言っても軍用ではないので暗号機や乱数表などは使えないし、また民間の無線局が、定められた略号、符号以外の用語、暗号を使用することは、電波法で禁止されている。

 なので報告する緯度経度に一定の数を被せて打電する方法がよく使われる。

 例えば、北緯 34度39分20秒 東経135度00分10秒と打電されれば、指定数字(仮に5とする)を引き、 北緯34度39分15秒 東経135度00分5秒が本当の位置ということになり、近くの僚船はそこから潮流を計算して、なぶら(魚群)との合流点を割り出し駆けつける。

 問題は指定数字が、通信のどこに含まれているかだ。


 しかし、太田漁業の彼らにとって、そんなことは問題でも何でもない。

 局長の三人は中学生の頃からの親友で、他の同級生達がテレビやゲームに夢中になっていたとき、父親達が交信している通信を傍受していたから、大人が使う硬直した符丁などその頃から諳んじていた。

 自分たちもアマチュア無線の資格を取って無線用語で会話していたから、Q符号は通常文だ。


「隣の組に町からQSY(移って)してきたYL(おんなのこ)、すっげFB(びじん)でよ」「へーQRA(名前)は? QTH(住所)どこよ」と言ったぐあいだから、異分子の文字が混在すればすぐにわかる。

 

 漁船の通信士は僚船との交信に独特な電鍵操作をする。電鍵というのはモールス信号を送るときに、トンという短点と、ツーという長音を電気接点で造る道具だ これで電文を送信した最後に、『どうぞ』という意味を持つKという信号を送る。長音と短点の組み合わせはツートツーだ。符号では―・―となる。


 一方、Kに対する返信の頭はRだ。トツート。 ・―・  了解を意味する。

 これを一分間に凡そ百文字の速度で打電すると、音としては、ほぼ「トトロト」のように聞こえるので、最初から短点だけで、・ ・・ ・ と打つ者、トツーートと打つ者など様々居て、その癖で通信士がどこの誰かまでわかってしまう。だが、経験の少ない者は、読み取りすらもできないので、QRS(通信速度を下げてほしい)を打電する。

 そんなときのベテランからの返電は、R QRQ(了解、通信速度を上げる)と言いつつ、分速百二十字程の和文混じり文を送り出す。「俺はQRSなんて符号は知らねえ。これが取れねえ船はスッ込んでろ」と言わんばかりで、ここでも魚が捕れる船と取れない船の差が出てくるのだが、殆どの秘密(というほどはないが)の通信内容や数字キーをそこに含ませるので、三人の通信士には筒抜けの状態になるのだ。

 こうして僚船が漁場に駆けつけたときには、これもベテランの漁労長、或いは船頭に誘導された太田漁業の船が先回りしているということになる。


 だが彼ら三人の通信士が漁船に乗ると決めたときには忸怩じくじたるものがあった。


 元々彼らが目指していたものは、地球規模で航海する船の船舶通信士だったのだ。 

 その為に通信士のトップクラスを目指して、甲種船舶通信士から第一級総合無線通信士と名称の変わった資格を取得して、どんな船にでも乗れると希望に燃えた頃、乗り組んでいた調査船、フェリー、貨客船が次々に運行を停止した。

 航空路線の拡大。陸上輸送、鉄道の高速化が原因だ。

 運行を継続していたタンカー、客船でさえも、通信電子機器の自動化、高速化によって、通信員は削減された。

 やむなく父の後を継いで古い三十九トンのマグロ船に乗っていた彼らだったが、その船の廃船と共に、雪江の祖父に請われて三隻の新造船の無線局長になり、卓越した技術で太田漁業の漁獲高を支えてきたのだ。


 その後、雪江の祖父は、次々に漁船の大型化、高速化、乗組員の住環境の改善を進めていった。

 しかしあらゆる分野のデジタル化が進んだ今、三度び通信方式が変化をした。

 データーは圧縮されて衛星を介して瞬時に世界の何処にでも届く。

 遭難信号は、腕時計の大きさのものでさえ航空機に感知され、近くの船舶にリピートされ、救助される。沈黙時間(15分から3分と45分から3分。及び正時から3分と30分から3分、電波を出さずに遭難信号がでていないか傍受することが、船舶局には義務づけられている)と遭難信号を電信で送ることだけは神代の昔から守られていて、その為にだけつけられている電鍵とCW無線機は今やロマンというべき存在だ。

 電鍵は通信室のオブジェになり、名人芸の生かせる場所が、無くなってきた。


 そのなかで雪江の父親は、幹部を集め未来への模索を始めようとしていた。

「電子機器が発達したせいで漁獲が減るのなら、発達した電子機器で魚群を見つけるだけのことだ」

 長時間飛行できるドローンにバードアイ、赤外線カメラをつけた魚群の捜索、水平指向性を持つ広範囲の捜索が可能な魚群探知機の開発、カツオドリのむれに反応する高性能レーダーの搭載など、あらゆる可能性の探求と開発で一族の牽引を図ろうとしていた。

 自分では「道楽」という。それが網から船に変え、竿で釣ると決めた網元としての矜持なのだ。 

 まもなく活動しようしている、母親が始めた民宿も、雪江が医師になることも、全てが漁で生活をする人々のために、未来のための布石として置かれていた。

 


 

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