第13話 冬キャンプ

 室戸岬で車を停めたのは、雪江が御厨人窟みくろどに行きたいと言ったからだ。

 十二月の末、冬キャンプの場所を相談していたとき、雪江が唐突に言って、皆は聞き慣れない名前に質問を重ねた。

「それって何?」

「どんな字を書くんだ」


「御礼のおん。厨房のちゅう。人間のひと。洞窟のくつのほうで、みくろどと言うの。海水で浸食されてできた洞窟で、弘法大師が青年のとき、ここにこもって、空と海だけを見ながら修行をして悟りを開いたと伝えられてるの。だから法名を空海って言うのよ」


「ユキはどうしてそれを知ったの?」

「そこでユキに何があったの?」

 

「私がまだ小学生になる前にね、おじいちゃんが金比羅様に連れてってくれたことがあって、その時にここも寄ったのね。洞窟の中に一人で入って目を瞑っていると波の音がザーッて聞こえてくるの。なんかすっごく懐かしくてね。心がサワサワって楽しくなったのを覚えてるわ」

「あっあれか!」「あれだ!」

 尚美と霞子が同時に叫んだ。


「ユキはね、そのとき胎内回帰したのよ」

「波の音ってね、胎内にいるときに聞こえる音と同じらしいよ」


「成る程なあ」冬馬達が直美達に感心するのはこんなときだ。

 外科の雪江と、精神医療の尚美や霞子は、すでに、それぞれの知識が機能し始めている。


「へー。そうか。それなら行ってみようぜ」

 猛男がそう言い、冬馬が「それに四国なら海辺を走れば、道路に雪の心配が無いし」と言ったので冬キャンプの場所が四国の四万十川流域に決まった。


 六人がキャンプをすると膨大な荷物になる。


 八人乗りのアルファードをレンタカーで借り、後の二席を倒して、これもレンタルしたキャンプ道具を天井まで積み上げた。

 それでも乗せきれない物をルーフキャリアをセットしてその上に積み、準備万端、神戸に向けて出発した。

 今日は神戸で泊まる。

 取り敢えずナビにセットする目標は有馬温泉だ。


 走り始めてしばらくして、運転をしている猛男が急に驚いた声を出した。

「おい、ルームミラー」

 荷物を積み上げて後方視界が無くなっているはずなのに、ルームミラーに後の景色が映っている。


「ルームミラーに映っているのはカメラで撮した映像なんだってさ。ズームもワイドもできるようだぞ」

「それはいいな」

「他にも高速道路で白線を検出してセンターを走る自動ハンドルとか追突防止ブレーキとかがついてるって」

「スゲーな。先進技術って」


 雪江が「そう言えば手術もロボットがしてくれるそうだし、内視鏡の鮮明度が凄くよくなったそうだよ。MRIはテスラー3だし、医療も道具や薬に助けられてるよね」そう言ってバッグからCDを出して、「これかけて」と助手席の冬馬に手渡した。


 名神高速道路を西宮で降りる。

 有馬温泉で一時間、太閤の湯に入って、出た頃には明かりがポツポツと灯り始めた。


 薄暮はくぼの中、ドライブウェイを走り六甲山にあがる。

 茶屋の前に車を停め、無線中継所のある山頂へ歩いて登った。


「ここから見る夜景が本当の百万ドルの夜景なんだってさ」

「今は一千万ドルだって」

 冬馬が言った百万ドルを尚美が一千万ドルに値上げする。

 敷き詰めた光の海を、切り抜いたように黒くみえるのが本当の海だ。

「じゃあ東の方の長方形に黒いのは?」

「飛行場だろ。伊丹空港じゃね。ほら赤と緑の光が降りていく」


安幸の解説に、霞子が「ねえ。なんでドルなの」と質問する。

 

「知らないけど、一説によると、六甲の開発者がイギリスの貿易商で、ゴルフ場を作った人だから、この山ではドルが流通貨幣だったという話も有る。まあ単にゴロがいいからだと俺は思うけど」


 雪江が安幸を離れた所に連れていく。

「ヤス君。寒いから後から抱いて」


 尚美が「あーっわたしも」と言って冬馬をくるりと回して向き合った。

「私は夜景を見てるから冬馬は前から抱いてね。背中はダウンの下に手を入れていいよ」

「これじゃ俺が夜景見られねーよ」

「冬馬は私だけ見てればいいの」

「お前、冬なのに何でこんな薄いワンピ着てるんだ」

「だってこの方がこういうとき、より冬馬を感じられるじゃない」 

 尚美が擦り寄り密着した。

「うん。だけどキスしたくなった」

「いいんじゃないかな。したくなったらしても。他に誰も居ないんだし」

 他の存在を完璧に無視して尚美が自分だけの世界に入る。


「ねえ……冬馬。胸が痛い」

 冬馬が慌てて力を緩める。

「ブラのワイヤーが当たって」

「外したら」

「ダメ」

「なんで」

「年取ってから垂れるもん」

「そんなに大きくないじゃん」

「バカ。セクハラだよ」


「もう、冬馬にナオッ。何なのよあんた達の会話」


 自分たちはどうしようかと思いながらタイミングを逃した霞子が、冬馬と尚美の背中をバンバンと叩いて、「下界に降りる」と怒った声で言った。


 一泊目、晦日は神戸のホテルで。二泊目大晦日は四万十川流域でサバイバルぽいキャンプを。三泊目、一月一日は快適設備と温泉のあるオートキャンプ施設で、のんびりキャンプをする。


 行動の概要はそのように決めて予約をしたので、女性達はそれにあわせて衣類やその他を準備している。

 

 安幸が神戸でエキストラベッドがあるというので予約したビジネスホテルに電話をしたが、ホテルのミスでツイン二部屋になっていた。急ぎ他を捜したがビジネスホテルは狭いので そもそもトリプルの部屋が見つからない。

 猛男が車を左に寄せて停まり、ハザードを点けた。


「ねえ、どうしてビジネスホテルにこだわるの? オークラならトリプルがいくつも準備できるみたいだよ」

 スマホの検索アプリを見ていた尚美が言った

 冬馬が「だって高級ホテルはたけーじゃん」

「ビジネスって幾ら?」

「朝食つけて四千七百円とかかな」

「そうか。オークラはね、部屋の階数で値段が変わるんだよ。十五階以下なら七千九百円だけどさ、朝食考えたら、こっちの方が良くない?」


 全員一致で決まった。 


 同じ十四階にトリプルを二つ借り、手荷物を運び入れ、夜の町に出る。

 シティー・ループバスで三宮まで行く。

 センター街をウィンドショッピングして歩き、中華街でフカヒレスープ、餃子、小籠包を食べ歩く。

 ダメ元で『大使館』を覘き「予約はしてないのですが」というと、丁度キャンセルがあったので、ディナーでよろしければ、といわれ、夕食をとることにした。


 もう少し食べ歩きがしたかったという霞子に「あとはラーメンとか肉まんだから、これでよかったじゃないか」猛男が、慰めるように言うと、

「軽いわよ、それぐらい」

 女性にしては長身のほうだが、痩せて見える霞子が笑って軽く言うので冬馬と安幸が顔を見合わす。


 霞子がそう言ったので猛男と霞子は食事の後でまた中華街へ行き、あとの二組はガス燈通りを散歩することにした。


 冬馬はいつの間にか、安幸達とはぐれていることに気がついたが黙っていた。

 尚美は、さっき冬馬の腕に縋りついたときに気がついたのだろう。


 ルミナリエの時期は過ぎていたが、ガス燈通りのイルミネーションは、ガス燈のやわらかな光と相まって、幻想的な異世界を演出している。 

  

 肩を寄せて歩くカップル。手を繋いでいる二人。色々な形で歩く恋人同士を見る度に、尚美が同じように真似るので、冬馬は可笑しくて堪らない。

 どうやら気に入った形が決まったようで、身体を寄せて冬馬の腰に手を回した。


 数歩、歩いて「冬馬」と声をかける。


「ん」

「歩きにくい」

「クッ。お前のせいだろ」


「いいから協力して。もっと私を抱き寄せてよ。それで足を合わせるの」

「ああ。二人三脚みたいにだな」

「えーとね。せめてダンスみたいにとか言ってくれないかな?」


 モザイクの大観覧車を光が縁取る。

 オリエンタルホテルの蒲鉾の断面のような造形が美しい。

 クルーズ船もイルミネーションで飾っている。


「冬馬」

「なに」

「綺麗だね」

「ああ。綺麗だな」

 ようやくふたりの視点が重なって、肩を寄せ合った。 



 翌日――淡路島サービスエリアでキャンプの食材に、生でもかじれるというタマネギを5個買った。

 

 お花畑はこの季節、見るものが無いので一気に高速道路を走って徳島に入る。

 冬馬と尚美がネットでガソリンの価格ランキングをスマホで調べて、高知に入る直前でガソリンを補充した。

 ハイブリッドなので、それ程減っている訳では無いが、取り敢えずはこれで高知を抜け出るまではガスチャージの必要が無い。


御厨人窟みくろどは天井からの落石があるということで構造物で補強されていた。

 そのうえで万一に備えてヘルメットの着用が義務づけられていて、納経所で貸してくれる。

 ヘルメットを被り、畳、六畳ほどの洞窟に入る。

 女性三人を中心に男性三人が囲んで万一の落石に備え、しばらく波の音を聞く。

 

 今日は波が穏やかなせいか、残念ながら聞こえたのは観光客の話し声と笑い声ばかりだ。

「夜だったら多分……ね」と雪江を慰める。


「思い出ってこんなものだわ。大丈夫。今の方があなた達がいてうんと楽しいもん」

 運転を冬馬に代わって、室戸岬を後にした。


 海岸に沿った55号線をひたすら走る。


 途中何人かの白装束に菅笠を被ったお遍路さんを追い抜いた。


 お遍路は、四国四県に点在する弘法大師、ゆかりの八十八ヶ寺、及び別格二十ヶ寺を巡礼して願いを結ぶ。

 

 総距離は千三百キロ程になるとガイドブックには書いてある。

「でも、山寺や山道が多いので実際には体力的にも相当大変みたいだよ」雪江が、「知ってる人が歩いたのだけど」と言った。

「でも、外人とか若い人にはスタンブラリーみたいにして歩いている人も居て、それはそれでいいと思う」

 神社で巫女と舞姫を務める雪江は、かなり柔軟な宗教観を持っているようだ。


 高知市に入った。


昼食はガイドブックに載っている、ひろめ市場に行くことにした。


 屋根が駐車場になっている広い市場だ。

 新鮮な海産物と多彩な料理で人気の高いこの市場のシステムは全国でも珍しい。


 六人ほど座れる木のテーブルと椅子が、市場の中央に三~四十個ほど置かれていて、他にも店内の通路などのいたるところに椅子とテーブルがある。


 客はまず自分のテーブルを確保する。その後店内を歩き回り、気に入った料理を好き勝手に買い求めるが、時間のかかるものはテーブルの位置を言うか渡された標識をテーブルに立てておけば、できた料理を持ってきてくれる。


 空になった食器などは テーブルの隅に重ねておけば、カートを押したスタッフが、回収してくれるというシステムだ。


 県外からの客に先ずお薦めなのが、目の前で焼いてくれる鰹のたたきという事で、行列に並んで七切れセットを二つ、塩とタレで注文した。


 一本釣りの鰹のたたきは、夏に雪江の家で食べたが、高知のたたきは、それとは違う、脂ののった濃厚さがあり、これはこれで経験の無いうまさだ。


「季節の関係ね。それと、日本海と太平洋の違いもあるんだと思う」

 雪江とカスミが頷きながら、三切れめにニンニクと紫蘇をのせて頬張る。

 

 土佐の里と言うところで、女性達がキャンプの食材を揃える。肉は赤牛というのがブランドで美味いらしいので、少し高いがはりこむことにした。

 

 高知から高速道路に上がる

 四万十市までは自動車専用道路を繋ぎながら行く。片側一車線だが、幾つものトンネルと高規格道路の延伸で、ナビの示す時間と距離がどんどん短くなっている。


 四万十川流域には数多くのキャンプ場が点在している。


 その中で冬馬達が二泊目に選んだキャンプ場の条件は、トイレの設備がちゃんとしていること。焚き火ができること。周辺に明かりがないことだ。


 管理事務所に到着の電話をかけると、「他には誰もいないので自由に使って貰って結構です」とのことだ。周辺の視界が悪いことが幸いして、穴場になっているようだ。

 広い芝生の上にタープテントを挟んで二つのテント向き合わせて張る。

 焚き火台に火を付けていると、管理の人が来た。


 灰を捨てる場所と、トイレの明かりのスイッチの場所などを説明し、芝生の上では直接焚き火をしないで下さいと注意をして帰って行った。

 タープの下にテーブルと椅子を置き、バーベキュウのコンロは、火の粉が飛んでも良いようにテントから離して、脚を一段低くセットした。

 

 

 炭火がこったときに安幸が「ダウンの生地がナイロン系のものは、火の粉で穴が開くから着ない方がいいよ」と注意を促すと「えーっそれを今ここで言う?」一斉にブーイングが湧き上がった。


 結局、男性達のマウンテンパーカーやセーターなどを女性に着せることになり、女性達は犬のようにクンクンと交互に匂いを嗅ぎ、何が可笑しいのかクスクスと笑い声を上げる。


 十九時。食材を網に並べて、ビールとワインで乾杯する。

月齢は16.4。ほとんど満月だが、今はまだ山の陰で、光の影響はそれほど出ていない。


ランタンの明かりを消して空を見上げると、満天の星と、そして薄く天の川が夏の残滓を残して流れる。


女性達が溜息をつく。


「凄すぎて何て言ったら良いか分からない」


 霞子の言葉に、安幸が何か言いかけるのを、冬馬が唇に指を当て、とめた。

    

 尚美が「銀の砂をいれたバケツをひっくり返したみたい」と言う。

 

 男達が黙っていると、女性は詩人になるのだ。


 雪江が、両手を広げて、

「私達、地球に乗って宇宙を飛んでいる……」と言った。


 風が梢を抜けてサワサワと音を立てた。


「ほら、ね。宇宙そらで誰かが笑った……」


  それきり、しんっと静まった。


 男達がコンロの網を外し、薪をくべる。

 赤い炎が上がり、木々の影が揺れた。

 

 薪がパチパチと小さく爆ぜて火の粉が舞い上がった。


 銀の砂粒が天空に散りばめられたなかを、流星と人工衛星が走り、冬の星座が僅かに動き、月が山の陰から姿を現した。


 月の青い光が木々を凍らせて正中に駆け上る直前、年が変わった。


 ワインのグラスが六つ。チンッと小さな音で重なり合い、お目出度うも乾杯の声も無く、慈しむように静かに飲み干すなかを、新しい年の時が流れ始めた。


 


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