第52話 突然の出会い

 季節は廻り、凍てつく冬の海風はやがて強く吹く春の海風に変わる。コヂカは短い春の訪れをインスタのストーリーで知った。マリが載せていた蒲公英たんぽぽの写真だ。春休みが早く終らないかな。スマホ越しに友達のことを考えながら、受験勉強に勤しむ。


 そして迎えた高校生活最後の一年の、そのはじまりの一日。コヂカは清々しい思いで制服の袖に腕を通し、潮風を目一杯受けて学校に向かった。下駄箱前に張り出されたクラス分けの名簿には、コヂカの親友たち3人の名前が同じ枠の中に並ぶ。やった、最後の一年も同じクラスだ。


 嬉しいことは他にもあった。体育館で行われた始業式で、今年度より赴任してきた先生の紹介があった。その中でコヂカは聞き覚えのある名前を見つけたのだ。




「美術担当の白鳥蓮子です。この学校のOGで、現役時代は美術部に所属していました。みなさんと仲良くなれるのを楽しみにしています」




 コヂカが遠くから、体育館のステージに立つ白鳥先生を見つめた。歳は40代中ごろで、眼鏡をかけていて他の先生たちよりも小柄だ。白のフレアスカートに上半身は赤いジャージという、上下が釣り合わない組み合わせを見事に着こなしている。そんな個性的な服装の先生は、赴任してきた10人の先生たちの中で誰よりも目立っていた。だがコヂカには彼女の見た目よりも、その名前に興味を示さざるを得なかった。シロトリレンコ。あのスケッチブックの持ち主かもしれない。




「あの先生、めっちゃ面白そう」


「ね、いかにも美術部って感じ」




 コジカの後ろで、マリとシオンが白鳥先生のことを話している。件のスケッチブックは、たしか生徒会室の段ボール箱の中にあるに違いない。コヂカは先生にスケッチブックを届けるべく、始業式の後、生徒会室に向かった。今日は午後から入学式があり、会室からは慌ただしい声が漏れている。




「はい、誰かしら?」




 コヂカが扉を軽くノックをすると、生徒会長のシグレが顔をだした。入学式でのスピーチを控え、薄めの化粧に髪を三つ編みにまとめた彼女は、いつもと違って凛々しく見える。




「あらコヂカさん、どうかしたの?」


「シグレちゃん。シロトリさんのこと覚えてる?」


「シロトリさんって、今日赴任してきた先生かしら?」


「そう。去年美術部の部室で私たちが見つけたスケッチブック持ち主って、たしかシロトリレンコさんじゃなかった?」


「美術部の部室でみつけた、あの個人名が書かれたスケッチブックのこと?」


「うん」




 思い出そうと難しい顔をするシグレに、生徒会室の中にいたカヅキが声をあげた。




「そうです、シロトリさんです! 僕も今、思い出しました。待って下さい、たしかこの辺りに……」




 カヅキはそう言って戸棚の上から段ボール箱をいくつかおろすと、箱を開けて中身を確認していった。ガラクタばかりが詰まっているようで、動かすたびに埃が舞う。そうして3つ目の段ボール箱を開けた時、落ち葉色にくたびれた一冊のスケッチブックが顔を出した。随分と古いようで、傷だらけで色落ちもしていた。




「ありました!」




 カヅキは嬉しそうな顔をして、コヂカの元にスケッチブックを手渡した。裏表紙にははっきりと『シロトリ レンコ』と記されている。




「やっぱりシロトリさんだった」




 コヂカは納得したようにそう言うと、シグレも




「間違いなさそうね」




と頷いて、続けた。




「コヂカさん。悪いのだけど、このスケッチブックを白鳥先生の元へ届けてもらえないかしら? 私たち午後からはじまる入学式の準備で忙しくて」


「いいよ、任せて」




 コヂカがシグレの頼みを快く受け入れると、シグレは




「ありがとう、助かるわ」




と頭を下げた。会長になって頼もしくなったシグレからは、以前のような刺々しさは消えている。スケッチブックを両手に抱えたコヂカに、シグレは一言こう付け加えた。




「白鳥先生だけど、たぶんまだ職員室にいると思うわ。さっき体育館の鍵を返しにいった時に見かけたから」


「わかった、ありがとう」




 コヂカは小さく手を振ってシグレたちと別れ、指にキャンバス特有のざらざらした感覚を保ちながら職員室を目指した。新学期が始まった放課後の学校は、生徒も先生も慌ただしく動いている。何人かの新入生たちはもう校内に入り、3年間過ごす学び舎を探検しているようだった。その楽しそうな表情にコヂカの胸も躍る。今年はどんな出会いが待っているのだろう。


 職員室までたどり着いたコヂカは、反射する窓ガラスで制服と髪型をチェックしてから、緊張した面持ちでドアを開いた。「失礼します」と小さく頭を下げ、あの印象的な赤いジャージを探す。しかしコヂカが探すまでもなく、白鳥先生は廊下に一番近い席でちょうどお弁当を食べているところだった。




「あの、お食事中すみません」




 コヂカが申し訳そうに声をかけると、先生は振り返り箸をとめた。




「はい? 誰かしら?」


「去年まで生徒会で会計を務めてました、3年2組の海野コヂカです。先生にお渡ししたいものがあって……」




 コヂカが語り出すより先に、先生はスケッチブックを見て目を丸くした。




「これ私のじゃない? どこで見つけたの?」




 その言葉は驚きと感激に満ちていた。そのままスケッチブックに手を伸ばして裏面を確認する。




「去年、美術部の部室を整理したときに見つけました。やっぱり先生の持ち物だったんですね」




 コヂカは嬉しそうにスケッチブック白鳥先生に渡した。先生は中をぱらぱらとめくりながら、コヂカに対して感謝を述べる。




「とても大切なものだったのだけど、ずっと前に無くしてから、もう見つからないかもって探すのもあきらめていたの。でも、よく見つけてくれたわね。本当にありがとう。私、母校に帰ってきて正解だったわ」


「こちらこそ、お役に立てて光栄です」




 コヂカはほっとしたように肩をおろした。ずっと忘れ去られていた持ち物が、何十年の時を経て、やっと持ち主の元へ戻る。その手助けができたことが、なんとも誇らしかった。




「そっか、カタカナでフルネームが書いてあったから、それで私だってわかったのね」




 白鳥先生は裏表紙の名前欄を見ながら、納得したように頷いた。コヂカは一瞬、わけがわからなくなる。




「えっ、それってどういう意味ですか?」


「私の名前ね、漢字で書くとまず読んでもらえないのよ」




 先生はそう言って、机の上に貼ってある名札を指さした。『白鳥漣来』。まるで故事成語のような漢字4文字がそこには並ぶ。




さざなみが来ると書いて『レンコ』。変な名前でしょ?」


「確かに読めないですね。でも海があるこの街に相応しい、素敵な名前だと思います」




 コヂカがそう言うと、先生は嬉しそうにほほ笑んだ。そしてコヂカは、




「私もよく変な名前だって言われます」




と続ける。




「あら、なんていう名前なの?」


「コヂカです。真ん中はダヂヅデドのヂで、漢字ではなくて、カタカナで書きます」


「コヂカ……さん。私が言うのもあれだけど、随分変わっているわね。どんな意味があるの?」


「それが特に深い意味はないんです。お父さんが『何々子』って、お母さんが『チカ』ってつけたかったから、その間をとって名付けたみたいで」


「そうなのね。でも世界であなただけの、素敵な名前ね」


「はい。両親の思いが込められている気がして、とても気に入っています」




 白鳥先生は見た目に反して、落ち着いていた雰囲気で謙虚な大人だった。コヂカはすでに先生のことが気に入った。




「ちなみになんだけど、スケッチブックの中身って見ちゃった?」




 恥ずかしそうな先生の言い回しに、コヂカは申し訳なくなって頭を下げる。




「すみません、どんなものか気になってしまって、つい見てしまいました」




 すると先生は慌てたような素振りで、こう返した。




「別に見ちゃダメって言ってるわけじゃないからね。ただ見たくないものを見せちゃったかなって思って。ほら、そこにあるスケッチってグロテスクなものばかりで」




 先生は少し気まずそうにコヂカを横目で見る。たしかにあのスケッチブックには、割れたカセットテープや虫の死骸、さらには事故車の姿まで、普通のスケッチでは描かれない死の断片が描き残されている。しかしコヂカには、これらが素敵な輝きを持つように思えた。先生の感性や感覚と、自分のそれが近いような気がした。




「そんなことありません。すごく上手くて、びっくりしました。それに、ここに描かれている物たちって、死が近くて、儚いものじゃないですか。私もそういうものにすごく惹かれるんです」




 先生はコヂカの言葉に驚いたように口を広げ、そして今度はとても嬉しそうに微笑んだ。




「そんなこと言ってくれたのって、あなたが初めてよ。学生の頃から私のスケッチブックはグロいだの汚いだのって避けられてきていたの。もしかしてあなたと私って気が合うのかもしれないわね。裏山の観音像とか好きだったりするかしら?」


「はい、とても!」




 新年度初日、さっそく素敵な出会いがコヂカを待っていた。きっとあのスケッチブックが、感性が近いコヂカと白鳥先生を引き合わせてくれたに違いない。

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