第51話 夕の渚

 あれからコヂカは何度も夢を見た気がした。魔法の夢、恋愛の夢、生徒会長の夢。そして生まれてこなかった弟の夢。でもその夢がどんな内容だったのか、魔法の能力も、恋の相手も、弟の名前すらも思い出すことができない。もしかしたら自分は夢なんか見ていないのではないか。思い出せないことを理由にそうやって納得しようとしても、なぜか腑に落ちない。心に空白がぽっかりとできる。


 曖昧になっている現実も、その空白を深いものにした。記憶は確かにあるのだ。コヂカは生徒会長に立候補し、落選した。現在の会長である須坂シグレは、目安箱を設置したり、部室や体育館の再割り当てを行うなど、活発に活動している。会長にはなれなかったが、コヂカは今でもシグレやカヅキと親交があって、よく生徒会室にもお邪魔する。それに演説会の時に、神崎シホという新しい友達もできた。現在は副会長を務めている、内気な女の子だ。彼女とはもう下の名前で呼び合うくらいの間柄である。


 それなのに記憶の中に感情の起伏がない。ただそこに過去があるだけで、思い出がない。なぜだろう。コヂカは今を充実させるために、過去を犠牲にしたような気がしてくる。空白は気にはなるけれど、深く詮索したいとは思わない。




☆☆☆




 夕暮れの渚にはいろいろな音が響いていた。海岸沿いを走る車に、カラスの鳴き声。遠く小学校の甲高い笑い声と、ざらざらした砂を踏むスニーカーの騒めき。そしてゆったりとしたリズムで交互に押し寄せる波と波間。




「3人ともこっちきて」




 コヂカはカンナたちを連れて、渚から離れた暗い砂浜を目指した。遠く水平線に夕日が沈み、波打ち際は孤を描くように陸と海を隔てる。




「結構歩いたけど、まだ歩くの?」




 シオンが額に前髪をくっつけて尋ねる。海岸の入り口が豆粒並みにみえるくらい、4人は歩いてきた。




「もうちょっとだから、頑張ろ」




 コヂカは振り向いてそう言った。なんとなく不満そうなシオンの肩を、マリが叩く。




「いいじゃん。来年の夏までに痩せるんでしょ」


「あ……そうだった。ったく、仕方ないな」




 シオンは再び重い足に力をいれて踏み込む。4人の足跡はくっきりと灰色の砂浜に残っていく。この先にある宝物の山まで、コヂカは意気揚々と先導する。




「ここだよ」




 そう言ってコヂカが指をさしたのは、海に流れ込む小さな川の河口付近だった。河口と言っても、膝までも深さしかなく、渚の延長にあるような場所だ。遠くみえる廃墟の遊園地の、その山頂付近から、山水を海まで運ぶ小さな川は、海岸沿いの道路下を土管で潜り抜け、紺碧の海水に澄んだ淡水を混ぜ合わせている。そんな大海原と小さな町の断片が入り交わるこの場所は、潮の流れが他とは違うらしく、多くの漂着物が砂の上や水の底に沈んでいた。ここはコヂカが秋にビーチコーミングをした時に見つけた、とっておきの場所だった。カンナは輝く貝殻やシーグラスに目を奪われながら、




「すごい。こんなにたくさん流れ着いているなんて」




と驚いた。




「でしょ。ところどころゴミも散らばってるけど、ここならお気に入り材料がきっと見つかると思う」




 シオンは腕を組んでマリの方を見ながら、




「これだけあると、逆にセンスが問われるね」




と挑発するように言う。




「見てなさいよ。うちが一番おしゃれなやつ作ってやるんだから」




 マリもシオンの挑発に乗るように応え、前回のリベンジに闘志を燃やす。




「こらこら、これは勝負じゃないんだから」




 カンナは呆れるような顔でそう言いながら、渚の際へ降りていく。それに続けて3人も、潮の匂いのする近くで思い思いにビーチコーミングをはじめる。前回は飽きておしゃべりに耽っていた3人が、真剣な眼差しで貝殻やシーグラスを選定しているのをみると、コヂカはなんだか嬉しい気分になった。目の前にある綺麗な貝殻たちを、ひとつひとつ手で掴んでじっくりと観察しながら、気に入ったものを持ってきたビニール袋の中へと入れていく。




「あっ」




 小さくて不格好なシーグラスを掴んだ時、コヂカはふいに手を止めた。深い水色に削れたその表面は、決して美しいとは呼べない歪さを持っていた、しかしどこか印象的で、割れ目にこびりついた白いススのようなものが不規則な模様のように全体を彩る。コヂカはすぐこのシーグラスのことが好きになって、迷うことなく袋に入れた。貝殻に弾かれて、固くて高い音が鳴る。


 ビニールの中に寄せ集められた貝殻やシーグラス、プルトップたちは、そのほどんどがどこか未完成で欠損したり汚れていた。しかし完璧に整った美しい漂流物よりも、こうした物たちの方が美しく洗練されているように思えた。それはコヂカがこの傷やくすみから、時の流れや繰り返される輪廻に思いを馳せることができるからなのかもしれない。コヂカはこの時、そんな感性をはじめて大切にしたいと思った。たとえ否定されても、本当の自分として誰にも隠さずに見せたい。


 テトラポットの上に腰を下ろして、4人は持ち寄ったハンドメイドの材料を見せあった。カンナやマリは光り輝く綺麗なシーグラスを中心に、シオンは完成したアクセサリーを見越して、真っ白な貝殻ばかりを集めていた。




「次はコヂカの番だね」




 学校の昼休みと同じ席順に座って、カンナがそう言った。コヂカはビニール袋に手を掛けて、不揃いで不格好なシーグラスをまず取り出した。あの霞んだ白いススに深い水色の品だ。それからゆっくりと拾ってきた宝物たちを並べていく。




「これで全部」




 最後の一個を置き終えると、コヂカは袋をポケットの中にしまった。他の3人と比べると、均一性がなくまるでガラクタだ。シオンは自分の貝殻たちと見比べて、少し嘲るように笑った。




「なんかすごく特徴的なものばかりだね」


「そうかな。気に入ったものだけ拾ったんだけど」


「うちはいいと思うな。普通は目につかないようなものばかりでさ」




 カンナはそう言いながら、不格好なシーグラスを手にとった。




「この色なんかすごく好き。加工では絶対に出せない色をしてるもん」


「たしかに綺麗な色……」




 マリも感心したようにシーグラスに見入った。シーグラスは夕日が透過してさらに煌びやかに輝いている。スカートのまま胡坐をかいていたマリは、シーグラスからコヂカに視線をもどして言った。




「前から思ってたんだけどさ。コヂカってなんか変わってるよね」




 その言葉にカンナとシオンが頷く。




「うん、絶対変わってる」


「私たちにはないものを持ってるよね」




 そんな3人の反応に、コヂカはどう返していいか迷った。変わり者の自分を、みんなは認めてくれるだろうか。不安になって言葉をつぐんでいると、マリが無邪気な顔で続けた。




「変に普通にしようとしなくていいから、ずっとそのままでいてほしいな」


「うん、コヂカはコヂカだから」




 カンナも横で小さくほほ笑む。するとシオンがコヂカをみて、一呼吸おいてから言った。長いまつげ、ずっと苦手だった黒い瞳が、深く意味を持ってコヂカに向けられる。




「もっと自信持ちなよ。本当の自分に」




 3人の言葉と眼差しを、コヂカは緩やかに咀嚼して胸に落としこんだ。コヂカの「正体」を実は暴いていた3人。本当のコヂカのことをもっと知りたがっていたマリ。とっくに気が付いていて気にかけてくれていたカンナ。そして、本心を隠していることに対して苛立ちを感じていたシオン。言葉で心を包み隠すことで生まれていた齟齬が、今言葉によってゆっくりとほどけていく。




「なんか照れるけど言うね。みんな、ありがとう」




 コヂカは夕日に照らされながら、頬を指で掻いて続けた。




「卒業しても、ずっと4人で集まりたいな」




 唐突な卒業というワードにマリが反応して笑う。




「卒業って、まだあと1年あるじゃん! コヂカ気が早すぎ!」


「あははっ、そうだけどさ。一応、言ってみた」




 つられてみんなで笑い合ったあと、カンナが貝殻に映ったオレンジ色を眺めながら言った。




「集まろうよ。大人になっても、結婚しても」




 ふいに静かになって、シオンもマリもコヂカもその言葉に小さくうなずく。




「うん。どんなに別々の道に進んでも、ずっと一緒にいようね」




 声になったコヂカの想いは、赤紫に染まる砂浜の夕暮れを、4人にとって忘れられないものに変えたに違いない。それから日が暮れるまで、少女たちは波のように絶え間なく語り合った。それはまるで砂浜と渚の一部のように、宵の星と海の光景に溶け込んでいた。


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