第15話 シーグラスの少女

 コヂカがハッとしてベッドから起き上がったのは、両手に尖がった冷たい感触を覚えたからだ。いびつで懐かしいその感触を、コヂカはすぐに思い出せた。あのえんじ色のシーグラスだ。




「あれ、なんでここに?」




 昨日無くしたと思っていたものが知らない間に手の中にある。コヂカは不思議な心地を抱きながらも、ベッドから立ちあがり、何げなく姿見をみた。




「……もとに戻ってる」




 さっきまで消えていたコヂカの体は、今ははっきりと姿見に映っている。スマホのインカメラでも確認してみたが、やはりそこには疲れた姿のコヂカ顔がある。透明人間の夢はもう終わったんだ。コヂカは安堵と落胆を同時に味わって、その場にぐったりと倒れこんだ。時刻はもう夜9時をまわっていた。




「夢だったんだ。やっぱり」




 コヂカは小さくそう呟く。両親から見えないのは焦ったけど、片岡君たちを驚かせたり、廃墟の遊園地に入れたのは楽しかったな。夢ならもうちょっとだけ、透明でいたかった。




「夢じゃないの」




 声でもない言葉がどこからともなく聞こえた。コヂカはゾッとして狭い部屋を見回す。




「だ、誰?!」


「ここよ、こーこ」




 声の主はコヂカの胸の下あたりに立っていた。淡いえんじ色をした髪の、10歳くらいの少女だった。




「おどろいた?」




 コヂカがびっくりして後退りすると、少女は悪戯っ子のようにほほ笑んだ。えんじ色と水色のグラデーションカラーのおさげ髪に、赤みがかった半透明のワンピースを着ている。とても少女とは思えない攻めた格好で、黒い下着のようなものが透けている。




「わたしが誰かだかわかる? コヂカちゃん」




 コヂカが何も言わないので、少女はさらに言葉を続けた。わかる、分かる気がする。コヂカはこんな派手な少女には当然会ったことはないが、確かに答えが分かる。




「シーグラスでしょ。えんじ色の」


「さすがね」




 少女は頷いて、小さくウインクした。




「私、俱利伽羅くりからヲネ。長くてややこしいから、クリヲネちゃんって呼んでね」


「クリヲネちゃん……」


「あ、人間じゃないから安心していいよ。ヲネはね『エコウ』っていう、海のアヤカシみたいなものだから」


「私を透明にしたのも、あなたの仕業?」




 ヲネは頬をぷっくりと膨らませて、うん、と頷いた。




「コヂカちゃんがね、消えたいなーって思ってたから、消してあげたの。ヲネたちエコウはね、物の存在そのものを消すことができる3つの魔法を持っている。透明にするなんてセコいことはしないわ」




 信じられないと思いながらも、コヂカはヲネの説明を納得するしかなかった。どこからともなく現れた彼女の存在と、今日一日の出来事がそれを物語っている。




「コヂカちゃん全然欲がないんだもの。ヲネ、つまんなくて遊んじゃった。最近、コヂカちゃんの周りで消えたものなかった?」


「あった。シロトリさんのスケッチブック」




 ヲネはまた頬を膨らませて、こくりと頷いた。どうやらこれが彼女の癖らしい。




「そう、正解。そのスケッチブックにはね、人間の言葉でいうと……デリートかな? うん、……『デリート』の魔法をかけた。デリートの魔法はね、そのものの存在を完全に消し去ることができるの。ただしこの能力は人間や動物には使えない。スケッチブックのこと、魔法をかけていないコヂカちゃん以外は誰も覚えていなかったでしょ?」


「うん、確かにそうだった。片付けの時、一緒にいたはずの2人がスケッチブックのことを何も覚えていなくて、変だなって思ってた」




 やはりあれはコヂカの勘違いではなかった。コヂカはヲネの説明を聞いて合点がいった。




「次に今日、コヂカちゃんにかけたのが『クリア』の魔法。クリアは見た目の存在を消し去るだけで、魔法にかかっている人間は自由に動くことができる。でも透明になるわけではないから、着ている服も消えるし、影も消える。物を動かすことはできるけど、自分の存在に関わる所作は認知されない。紙に名前を書いたりとかね」


「つまり『ドラえもん』に出てくる石ころ帽子みたいなものってこと?」


「どらえ? 何? なんだかよくわかんないけど、石ころみたいになるのは正解。路傍の小石なんて誰も気に留めないでしょ?」


「そうだね、よくわかった」


「そして最後は、まだ使ってはいないのだけれど、そうね、言うならば……『トレード』の魔法」


「トレードの魔法……?」




 ここでもヲネは頬をぷっくりさせて、笑った。




「デリートやクリアの逆バージョン。存在しないものを、この世に生み出せるの」


「……それって人間も?」


「もちろん」




 その時コヂカの頭に、生まれてこなかった弟のことが、ふと浮かんだ。




「どうする? 使ってみる?」




 しかし軽いノリのヲネにコヂカは我に返った。死んだ人間や生まれてない人間をこの世に生み出す。それは一般的な倫理観とかけ離れているような気がする。




「それって何もないところから、命を生み出せるの?」


「ううん、違うわ。この魔法にはね、生贄が必要なの」




生贄。急に出てきた重い単語にコヂカは言葉を失った。するとすかさずヲネは白い歯を出して




「なーんてね」




と子供っぽく笑った。




「ヲネもこの魔法はリスクが高いから使いたくないの。でもコヂカちゃんが使いたくなったらいつでも言ってね。詳しく説明してあげる。そんなわけでヲネたちエコウは、今話したデリート、クリア、トレードの3つの魔法の力を神様から授かった。いざという時、その力を命の恩人に使いなさいって神様から教えられてね」


「その命の恩人が私なの?」


「そうよ。コヂカちゃんがいなければ、ヲネは今ごろ砂の上か、ゴミと一緒に捨てられていたかもしれない。綺麗なシーグラスは拾われちゃうけど、私みたいに不細工なのはね」




 コヂカはそんなヲネの言葉を否定したくなった。とは言え、少女形態のヲネは不細工なんて言葉とは無縁の美少女だったのだが。




「そんなことない。クリヲネちゃんはすごく綺麗だったよ」


「……あ、ありがとう」




 コヂカの言葉にヲネは少し頬を赤らめてそう返した。コヂカは何となくヲネと出会ったことが運命のように思えた。




「早速だけど、クリヲネちゃん。もう一度、クリアの魔法を使ってみたいな」




 するとヲネは嬉しそうに頬を膨らませる。




「わかったわ。まかせなさい」


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