第14話 コヂカの存在

「まだ既読つかない」




 カンナはコヂカの身に何かあったのではないかと思い始めていた。夕方になってもコヂカからの返信がない。コヂカとは小学生からの付き合いだが、今までにこんなことは一度もなかった。風邪をひいて休んだ日も、朝早くにコヂカからLINEグループにメッセージが来るほどコヂカは几帳面な子だ。そういえば昨日も生徒会活動で遅くなるみたいで、一緒には帰らなかった。カンナの不安は一抹のものからどんどん大きくなっていった。




 コヂカも同じく、心の奥で不安が大きくなっているのを実感していた。いつか覚めるだろうと思っていた夢が、夕方になってもまだ覚めない。沈みかけの太陽を背に、スマホのインカメラで自分を見てみたが、やはりそこには何も映らなかった。コヂカは制服を着ているはずなのだが、制服ごと透けてしまっている。もしもこれが、夢じゃないのだとしたら。コヂカの体はどうなってしまったのだろう。


 バスにも乗れず歩いて家に帰ったコヂカが玄関の鍵を開けると、リビングで家族が慌ただしく歩き回っている。いつもは明日の仕事のために早く寝る父も、今日はスマホを手にどこかに電話をかけていた。




「はい。はい、そうですか、見てないですか。ありがとうございました」




 父のヤスシは歩きながら電話をしていたが、スマホを下すと立ち止まった。




「学校に電話したんだけど、生徒会にも今日は顔を出していないみたい」


「カンナちゃんたちからも今日は学校に来ていないって」




 母も心配そうな顔をしてソファーに座り込む。コヂカはリビングに入って二人に声をかける。




「お父さん、お母さん。ただいま」


あのこがむだんけっせきするなんて……


ほんとうにどこにいってしまったのだろうか


「お父さん、ここにいるじゃん」


ほかにこころあたりはないのか?


ともだちってかんなちゃんたちいがいしらないし


あのこがいきそうなんばしょとか、すきなものとか


「ねえ、お父さん! お母さんってばっ!」




 コヂカはやきもきして二人の体を揺さぶった。学校でカンナの頬をつついた時、わずかに反応があったことを覚えている。強く体を揺さぶれば「何か」の存在には気づいてくれるかもしれない。




「えっ? どうして?」




 コヂカの微かな息から希望が抜けていく。コヂカが強く揺さぶっても、二人は何の反応も示さなかった。コヂカの存在は見えないというよりは、まるで「いないもの」のように扱われているようだ。




「それなら……」




 コヂカには次の手があった。鞄の中からノートを取り出すとボールペンで文字を書いてみることにした。コヂカの体が見えない二人にはどんな風に見えるのだろうか。ボールペンもノートも浮いていて超常現象のように見えているのかも。ここに字を書けば、意思の疎通はできるはずだ。




「お父さん、お母さん、こっち見て」




 コヂカはノートを見開いて、大きく「海野コヂカ」と自分の名前を書こうとした。しかしどういう訳かボールペンのインクが紙に写らない。強い筆圧で書いてみても、ボールペンを替えてみても変わらない。コヂカの書いた文字は文字になることなくノートの中へと吸い込まれていく。なんで、どうして。焦りながらもコヂカは両親の方へ振り返る。文字にはならなくても、二人から見ればノートとペンが宙に浮いているように見える、不思議な現象には変わりないはずだ。そう思ったコヂカだったが、二人の様子に思わず目を疑う。




とりあえずけいさつにでんわしましょ


はあ……そうだな




 父も母も、リビングの超常現象には目もくれず、真剣な面持ちで話し込んでいた。おそらくコヂカは姿だけでなく、存在自体が消えかかっている。だからコヂカのこの世界への痕跡は、誰にも認識されることなく跡形もなく消えてしまう。




(そんなの嫌だ……)




 コヂカは急いで階段を駆け上がると、自分の部屋に行って片っ端から私服を着まわした。お気に入りのカーディガンも、パーカーも、スカートもキュロットも。コヂカが姿見を見つめると、何もかもがコヂカと一緒に消えた。漫画や小説でよくある、身体だけが透けている透明人間ではない。存在そのものがこの世界から消えようとしていた。


 絶望したコヂカはスマホを片手にベッドに倒れこんだ。電波は圏外のままであり、何度やってもWi-Fiにすら繋ぐことはできないままだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る