第10話 真夜中の目覚め

 いつもならカンナたちとおしゃべりをしながら帰宅するが、今日は一人で帰りたい気分だった。コヂカはLINEグループに生徒会活動で遅れると嘘をつき、雨上がりに夕刻の海岸を眺めながらバスに揺られていた。コヂカは一人で寂しく車窓を見つめてはいたが、なぜだが不思議と心が安らいだ。


 睡眠不足だけがコヂカの頭を曇らせる要因ではないかもしれない。普段、カンナたちの前で偽りの自分を演じていることも、母の前で理想の娘であり続けることも、生徒会役員としてみんなの期待に応えることも、何もかもがコヂカの本当の気持ちを押し殺してししまっている。みんなが求めるのは本当のコヂカではないし、カヅキが生徒会長になってほしいのも本当のコヂカではない。コヂカは思った。




(私はいったいどこから間違えたんだろう)




 周りとの意識のズレを自覚し、必死に自分の居場所を作ろうと頑張った結果、自分の居場所はどこにも無くなってしまっていた。もう友達も生徒会も学校も家庭も、何もかも投げ出して消えてしまいたい。そんな考えがどこからともなく浮かんでくる。何も考えず、死と生の狭間で海月のようにぷかぷかと浮き沈みができたなら、それはなんて幸せなことだろう。


 キーンと言う音とともに、海岸線を紺青の彗星が流れていった。漁火とも船の明かりとも違う青い尾をコヂカははっきりと見分けることができた。しかし混み合うバスの車内で、彗星に気づいたのはコヂカただ一人だった。




☆☆☆




 シャワーを浴びて宿題を終えたコヂカは、ベッドに寝そべって臙脂色のシーグラスを手にとり、小さく胸に当てていた。呼吸をゆっくりとしていると、シーグラスの尖った部分が胸に押しあたる。コヂカはその感覚が心地よくて、自己嫌悪に陥りそうになる。カンナもマリもシオンもカヅキもユリカ先輩も、きっと、このシーグラスの尖った部分が押しあたる感覚は、不快で堪らないはずだ。まっさらな状態でこの感覚を心地いいと感じるのは、心に大きなズレがあるコヂカだけだ。なんで私だけ、みんなと違っているんだろう。美醜の基準も喜怒哀楽の基準さえも。気づくとコヂカの瞳は涙でいっぱいになり、そのまま水に飲まれるように深い眠りの中へと落ちていった。




☆☆☆




「んっ……うぅ……」




 悪い夢に何度もうなされた気がする。コヂカが目を開けると、まだ深夜のようだった。スマホを探して時刻を確認する。ブルーライトの刺激が腫れた目に飛び込んでくる。




「まだ3時じゃん……」




 ここからもう一度寝入らなければならない状況にコヂカは絶望した。安眠の手助けのためにシーグラスをパジャマの上から探すが、布団の中のどこにもそれらしい感触はなかった。コヂカは不審に思ったが、やってくる眠気にシーグラスを探すのをあきらめ、額に手を当てて目を瞑ろうとした。




「……?」




 コヂカは不意に違和感を感じ取った。暗い部屋の天井が見えている。額に手を当てて、手の甲で目が隠れしまっているのにだ。まるで幽霊にでもなったかのように手が透けている。そんなバカな、ありえない。コヂカはすぐに夢だと思った。疲れが夢と現実との境界を無くしてしまっているのだ。深く考えることなく目を瞑り、再び朝を待った。




☆☆☆




 念のためかけておいたスマホのアラームがけたたましく鳴り響く。コヂカは夢うつつな状態で両目をこすり、スマホに手を伸ばして重いまぶたを開けると、画面上に『7:32』という文字列が飛び込んできた。




「え……? やばい、寝坊した」




 コヂカは焦って飛び起きると急いで身支度を始めた。高校生になってからコヂカは一度も寝坊したことがない。それどころか、スマホのアラームで起こされたことすらないのだ。いつもアラームが鳴る前には自然に目が覚め、余裕を持って登校している。それなのに今日は……。普段、落ち着いているコヂカも苛立ちと焦りに表情こわばってくる。


 制服に着替えて急いでリビングに降りる。父はもう仕事に行ったようで、母はちょうどトイレに入っていたところだった。朝ご飯を食べていてはホームルームに間に合わない。コヂカはトイレのドアをノックして母に声をかける。




「ごめんお母さん、先に行くね」


『珍しいわね。寝坊した?』




 ドアの向こうから母の笑い声が聞こえた。




「うん、行ってきます」


『明日からは早く寝なさいよ』




 コヂカは母の小言を耳にも入れず、スニーカーを履いて玄関の鍵を閉める。そのままバス停まで全速力でダッシュ。遅刻したらこれまで守ってきたコヂカのイメージが崩れてしまう。真面目で優等生で、誰に対しても人当たりがいいコヂカのイメージ。昨日の夜はそんなイメージをすぐにでも消してしましたいと思っていた。だが今はそんなくだらないイメージを守るために全速力で駆けている。


 バスはちょうどバス停に止まっているところだった。よかった、何とか間に合いそうだ。近所の小学校が遠足か社会見学のようで、バス停には大勢の子供たちが並んでいる。おかげでコヂカはいつもと同じ時間帯のバスに乗ることができた。コヂカはバスのタラップを踏みながらゆっくりと息を吐き、ひとまず安堵する。朝から疲れた、それとお腹空いた。


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