第9話 手掛かりの消失

 雨の日の放課後、コヂカは一人で生徒会室にいた。スケッチブックの持ち主を探しは、誰にも見つからず、ひっそりと行わなければならないと思ったからだ。今日は3年生向けの進路説明会が放課後に予定されており、ユリカをはじめとした3年生が会室に来ることはない。カヅキたち1年生もそのスタッフとして説明会に参加している。唯一自由なのは2年生のシグレだが、彼女は基本的には生徒会に用がなければ会室には来ない。


 雨音響く生徒会室は、湿った埃と枯れた紙の匂いが満たしていた。しとしとと雨が降り続く中、コヂカは書類棚から一冊のフォルダを引っ張り出す。灰色がかった表紙は少しくたびれ、背表紙は黄ばんでいる。その黄ばんだ白の上には、サインペンではっきりと『美術部部員名簿 昭和52年度 ~ 平成25年度』と記されていた。


 今では考えられないが、昭和から平成初期の名簿には個人名の他に住所や電話番号まで記載されている。ここ10年分も個人名だけは記されており、このスケッチブックの持ち主を見つける最大の手掛かりになりそうだ。


 パラパラと名簿に目を通していったコヂカは、すぐにスケッチブックの持ち主らしいき名前を発見した。シロトリレンコなんて特徴的な名前。同姓同名はまずいない。




『平成6年度 副部長 白鳥廉子 和歌山県○○市……』


「……あった」




 コヂカは思わずそう呟いた。この退廃的ながら耽美なスケッチを仕上げた主の名がそこにはっきりと記されていた。平成6年ということは今から25年ほど前だ。コヂカは早速そこに記されている電話番号にスマホから電話をかけてみることにした。緊張から出た手汗が画面に指紋を付ける。シロトリレンコは一体どんな感性の持ち主なのだろう。今、どこで何をして、どんな風に暮らしているのだろう。コヂカは初めてスケッチブックを見た時から彼女に物凄く興味が湧いていた。できるならスケッチブックを返すついでにいろいろと話を聞いてみたい。しかしそんな期待は泡となって消えていく。


 コール音がなってすぐにアナウンスが流れた。




『おかけになった電話番号は現在使われておりません』




 コヂカは小さく落胆して、同時に納得した。それもそうか。もう四半世紀も前のことだ。グーグルマップで住所を調べてみると、彼女の家は再開発の対象となったらしく、今はもうショッピングモールに変わっていた。コヂカの拠り所になるであろう死の温もりは、それ自体が薄れるように消えゆく運命をまとっていたのだ。その時が来れば、ユリカや他の三年生の先輩たちによって個人情報保護の名目でシュレッダーにかけられ、いずれはコヂカの心からも忘れ去られていく。そうなる前にあのスケッチたちを目に焼き付けておきたい衝動に駆られた。コヂカはユリカの机まで行き、段ボール箱を取り出して中を探した。しかし箱の中にスケッチブックが見当たらない。




「あれ? ない……」




 コヂカは昨日会計の仕事で生徒会室に来た時、段ボール箱の中を覗いている。その時、確かにそこにくたびれたスケッチブックがあったのを覚えている。もしもユリカが備品の片づけをしたはずなら、スケッチブックだけ先に処分してしまうのはおかしい気がした。


 コヂカは慌てて部屋中を探し回った。他のメンバーのデスクの上。書類棚や引き出しの中。ごみ箱に机の下までも。しかしどこにもスケッチブックは見当たらなかった。


 雨音が虚しく響く中、コヂカは頭を抱えて座っていると、進路説明会からユリカとカヅキたち1、3年生が戻ってきた。




「あれ? コヂカちゃん来てたんだ。おつかれ」




 ユリカは説明会の資料を片手に持っていた。雨の日の薄明かりがはっきりとした彼女の顔立ちを照らした。少し遅れて入ってきたカヅキは、他のメンバーたちと説明会で使ったプロジェクターを片付けていた。




「お疲れ様です。ちょっと探し物をしてて」


「探し物?」




少し迷ったが、コヂカは正直にスケッチブックのことを聞いてみることにした。




「先日回収した美術部の備品が無くなっているんです」


「え?」




 ユリカは慌てた顔をして、段ボール箱を確認する。他のメンバーもコヂカの言葉に反応した。




「何が無いの?」


「個人名が書かれたスケッチブックです」


「スケッチブック?」




 ユリカはコヂカの答えに一瞬上目になり、続けた。




「スケッチブックなんてあったけ?」




 戸惑いを見せるユリカに今度はコヂカが戸惑った。




「シロトリレンコさんのスケッチブックです。ほら、なんか気味の悪い絵が描いてある」


「気味の悪い絵のスケッチブック?」




ユリカは怪訝な顔をして他の生徒会員に助けを求めた。コヂカは憧れの先輩から、からかわれているのかと疑ったが、ユリカの顔からそんな様子は伺えなかった。そもそもユリカはそんなことをする先輩ではない。




「あのスケッチブック。この前、カヅキくんも一緒に見てたよね?」




 美術部の片付けの時、コヂカはカヅキと一緒にスケッチブックを開いて見た。「どれも気味悪いですね」「……そんなことない」。コヂカはその時のやり取りをはっきりと覚えていた。カヅキも忘れるはずがないと思う。しかしカヅキは予想外の言葉を返してきた。




「すみません、なんのことですか?」




 コヂカは言葉を失った。見たでしょ。思わずそう言いたくなった。でも口が凍って言葉が出てこない。すぐにコヂカは不安と不気味が入り混じった感覚に襲われる。




「そもそも美術部の備品の中にスケッチブックなんてありましたっけ?」




 まさかカヅキまでもコヂカをからかっているのだろうか。いや、そんなことはあり得ない。コヂカは一度頭の中を整理する。そして一問ずつユリカに尋ねていく。




「美術部部室の片づけは、私しましたよね?」


「うん。コヂカちゃんとシグレちゃん、それにカヅキくんにお願いしたよ」


「備品は段ボールに入れて持ち帰って、それ以外はゴミとして捨てました」


「そうだね。備品はシグレちゃんが、ゴミ捨ては二人が行ってくれたね」


「ですよね……」




 コヂカの記憶は間違ってはいない。あの日、廃部になった部室の整理を任されて、部屋を片付け、ゴミを捨てた。カヅキとシグレと一緒に。


 それなのに、あのスケッチブックの存在だけがぽっかり抜け落ちていた。あるいはスケッチブックの記憶をコヂカだけが何者かに植え付けられたのかもしれない。とにかく世界がまるごとからかいにきているような、不思議で不気味な心地だった。




「……コヂカちゃん疲れてるんじゃないかな? いろいろ大変な仕事をお願いしちゃったし」




 ユリカはそんなコヂカを見て、優しくそう声をかけてくれた。カヅキも気にしているようで心配そうな顔をする。コヂカはユリカの言葉で自分を納得させた。今週は挨拶活動もあり、ぼーっとしていることが多かった。きっと睡眠時間がたりてない。




「そうかもしれません、今日は早めに寝ようと思います」


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