第8話疑惑千里を走る

 五月一日、朝食を食べながらニュースを見た松原は、茫然自失のあまり手に持っていた箸を落としてしまった。

「え・・・久野さんって確かラニーの声を担当しているよね・・・。やはりあの時、ハッキングで何かをされたんだ。」

 そう確信した松原は居ても立っても居られなくなり、朝食を残して荷物を持って大急ぎで株式会社DNAへと向かった。電車に乗っている途中、DNAから電話が鳴った。

「もしもし、松原君かね?」

 部長の大門の声である。

「はい、そうです。何かありましたか?」

「実は我が社の管理している個人情報が流出した、流出したのは『大逆転オセロシアム』の声優の個人情報の一部だ。」

「それでしたら、ニュースで知りました。」

「そうか、それなら話は早い。実は警察が来ていて、事情聴取をしているんだ。君にも協力してもらいたい。」

「もちろんです。」

「ではまた会社で。」

 そこで通話が切れた。埼京線の渋谷駅で降りると、すぐにDNAへと向かった。入り口付近に着くと、何だか騒々しい気配がするのを感じた。中へ入ると、そこで待っていたのか、大門が声をかけた。

「松原君、警察の方は君の仕事場にいる。くれぐれも言葉に気を付けて。」

 大門の念押しに松原は頷いた、部署の部屋に着くと二人の警官が声を掛けた。

「失礼します、松原さんですか?」

「はい。」

「初めまして、警視庁捜査一課から来ました古井です。」

「渋谷所轄署から来ました、柳崎です。」

 二人は警察手帳を見せた、本当に警察が来たと改めて感じた。

「今回、個人情報の流出先がこちらだと伺って来ました。ハッキングについて何か心辺りはありますか?」

「ハッキングされた日、パソコンに不調があったのを感じましたが、あの時はまさかハッキングされていたとは思いませんでした。」

「では四月二十二日にハッキングが明らかになったそうですが、自身で気づかれましたか?」

「いいえ、矢島さんからのスマホの画像を見て知りました。そして直ぐにセキュリティー会社を呼んで確かめましたが、特に問題は無く、念のためにセキュリティーの強化をしておきました。」

「分かりました、それで今日矢島さんはいらっしゃいますか?」

「今日は定休日でいませんが、明日は出社します。」

 そういうと古井と柳崎は署に戻ろうとした、松原は呼び止めて質問をした。

「あの、一ついいですか?データは抜き取られていなかったのに、どうして個人情報が拡散されたんでしょうか?」

「ああ、どうもハッカーの野郎は、個人情報を複製したんだ。」

「複製・・・つまりコピーしたんですか?」

「ああ、ハッキングして個人情報の一部をコピーすることで、ハッキングされてもデータが抜き取られていない安心感を与えて、あなた達を油断させた。だから堂々と拡散できたんだ。」

 そう言うと古井と柳崎は、警視庁へと戻った。

「そんなことをするなんて、とんでもないハッカーだ・・・。」

 松原は謎のハッカーの技術に、恐怖を感じた。




 一方こちらは蓑宮の勤めるセキュリティー会社「インターネット・D・T」、今日報じられた声優ストーカ事件を受けて、蓑宮は上司から呼び出された。

「お前、これはどういうことだ?何故情報が抜き取られていないのに、拡散しているんだ!」

「ごめんなさい、まさかハッカーが情報を複製しているとは予想外でした。」

「我々は、企業の大事な情報を管理して守ることが仕事だ!これでは、我らの面目が無いではないか!!」

 上司は鬼の形相で、蓑宮を叱責した。

「まあいい、蓑宮君もその後の対策をしてくれた。そのことについては、認めよう。」

 インターネット・D・Tの社長・池上御守が言った。

「社長の言葉に免じて今回の件は、あまり責めないであげよう。これからは、責任を持ってセキュリティーに勤めるように。」

「分かりました・・。」

 蓑宮は上司と池上に頭を下げて、自分の持ち場に戻って行った。



 五月三日、新型コロナウイルスの影響で異例の外出自粛のゴールデンウイークを迎えたこの年、ネット上では大逆転オセロシアムの声優個人情報流出事件で盛り上がっていた。コロナウイルスの情報ばかりで退屈だったネット上に現れたので、芸能人の間やバラエティー番組でも取り上げられることがあり、たちまち事件についての書き込みが増えた。そしてとうとう、匿名でこんなことが書かれてしまった。

『大逆転オセロシアムの声優の個人情報流出は、内部の者の仕業じゃないか?』

 この書き込みが、疑惑を走らせる合図のピストルとなった。




 五月五日、ゴールデンウイークが終わり出社する松原に一人の記者の男が話しかけてきた。

「すみません、私は週刊新潮の者ですが、お話させていただいてもいいですか?」

「えっ、週刊誌ですか!!」

 松原はそう言うとDNAに向かって走り出した、証言したら週刊誌にあれこれ書かれて、DNAに迷惑がかかるからだ。運動はあまり得意ではない松原だが、運よく記者を振り切ることができた。

「・・・あの記者、もしかして例の事を聞きに来たのか?」

 松原はそう思い、これからの事に気が重くなった。そして二時間後、パソコンに向かっている松原に、人事部で同期の月野伸二が声をかけてきた。

「松原、ちょっといいか?」

 松原が月野の顔を見ると、月野の顔が複雑な表情をしていた。席を立って廊下に出ると、月野が言った。

「松原、かなりマズイ事が起きた。」

「何ですか?」

「大逆転オセロシアムの新超駒を出すに当たって、その声優をオーディションで選考して決めたよな?」

「はい、明日後には音声を録音する予定です。それが何か?」

「選んだ声優全員から、キャンセルさせてもらうと電話が来た。」

 松原は危うく、派手な大声を出すところだった。

「やっぱり、例のストーカ事件・・・。」

「ああ、それとネット上で『大逆転オセロシアムの個人情報流出事件の犯人は、社内の人間じゃないか?』という噂が広まっているらしい。それでプライバシーポリシーが守れない会社では、自分の声を渡せないと批判されてキャンセルされたんだ。」

 松原は落ち込んだ、もうイベントの準備は進んでいるのに、新駒が発表されないとなると、イベントの魅力が半減してしまう。

「教えてくれてありがとう、これからの事は考えておくよ。」

 そうは言ったものの、タイミングが悪すぎて新駒の事はどうしようもない。松原の全身から、不安が霧のように出ていた。



 捜査一課の古井はあれから手掛かりを追っているが、正直何も見つかっていない。ハッキングの形跡はあったが、それに繋がるパソコンが見つからないのだ。捜査中に空腹を感じた古井は、池袋所轄署の柳崎に「例の事件について、一緒に話したい。」と昼食に誘った。場所は西池袋公園の近くにあるラーメン屋である。古井が先に来て注文してから五分後に、柳崎が来て古井の向かいの席に着いた。

「わざわざ来てくれてありがとう。」

「はい、こちらもあなたと同じことをしようとしていました。」

 柳崎が注文すると、話しが始まった。

「ところで今回の事件での犯人の目的は、DNAの信用を失墜させることです。」

「うむ、まあそうだろう。」

「私としてはDNAに恨みを持つ人間・・・例えばDNAとトラブルになって辞めた社員とDNAのスポーツチームをよく思わないファンが考えられます。」

「なるほど、しかしスポーツチームをよく思わないファンではない。」

「何故ですか?」

「もしその中に腕利きのハッカーがいるなら、何故大逆転オセロシアムの個人情報を流出させるんだ?」

「・・・なるほど、確かに復讐の対象が違う気がします。」

「それよりも大逆転オセロシアム自体を、良く思わない奴が犯人だと思う。」

「しかしたかがスマホゲームでしょ、良く思わない人がいるのですか?」

「私には分からないが、スマホゲームはやり込めばやり込むほど単純作業化して刺激が減り、いつか不満と敗北の悔しさだけがつのるというのを聞いたことがある。おそらくそれが爆発して、復讐心になるのだろう。」

「そうなると容疑者候補が多すぎて、簡単に解決しそうにないですね。」

「インターネットの犯罪の恐ろしさは、誰でも隠れて出来るという点だ。」

 ここで古井が注文したラーメンが来たので、会話は一時中断になった。


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