第9話 エリザベスとスパーリング

 明美さんが加入してから6ヶ月、途中来年度の入門希望者の新弟子試験を挟んだが、彼女に反感を募らせる人達との関係は改善できないままだ。

 それでも最低限の連絡事項は伝えあい何とか新弟子業務は成り立っていた。

 それが出来てないと連帯責任で全員が酷い目に遭うので出来るようにするのは当たり前なんだけどね。

 そして明美さんの加入から6ヶ月ということは、ついにあたし達もスパーリングが解禁という事である!


 まぁその前に首周りを中心としたトレーニングで基礎的な肉体づくりが出来ているか?の確認はあるけど、ここまで真面目に稽古してきたならそれで弾かれることはまずない。

 予想通り新弟子全員にスパーリングの許可が下り、午前の練習は身体づくりやそれぞれ伸ばしたい方面の身体トレーニングをの他に受け身の練習も余念なくすることになる。午前の練習の締めとしてコーチに投げまくられるのだ。

 ちなみに午後のスパーリングの前にも受け身の練習はする。


 丁度今の時期は巡業が終わりオフシーズンなので休暇を取る選手もいるが、道場に詰めている先輩方もいらっしゃる。

 前世のあるプロレス団体では関節の極め合いを主体としたグラウンドの攻防をスパーリングと称してやっていた。

 安土女子もその団体と同じく前座の試合で使っていい大技はドロップキック一回までという点こそは同じだが、スパーリングの内容は大きく違う。


 大前提としてスパーリングで怪我をしない、怪我をさせないという決まりはある。

 レスラーは試合をすれば必ず身体のどこかを痛める、それは他の格闘技と違い相手の攻撃を防御したり避けたりせず、鍛え上げた己の肉体で受ける、または磨き上げた受け身の技術で受けることで、相手の肉体や技の素晴らしさを見せることがプロレスがプロレスである為の絶対条件なのだ。

 だから相手の攻撃を受けないレスラーは基本的に軽蔑される、攻防の中で相手の技を敢えてすかしフィニッシュに繋げるなどの例外以外で受け(バンプ)が出来ないレスラーはレスラーとは言えない、前世では総合格闘技をやっていた外国人選手がプロレスの巡業に帯同したことがあったが、その評価は散々なもので「しょっぱい試合の駄目外人」と評価され二度と呼ばれることはなかった。

 プロレスと総合格闘技では目指すところがまるで違うのだ。

 でも練習の時まで、怪我する前提や怪我する直前まで関節を極め合うことは、お客さんに鍛え上げた肉体と磨き上げた技術を見せることで興行を成り立たせるという商売のロジックからは大きく外れる。

 なので安土女子では打撃の練習はサンドバックやウォーターバックを相手にしたりキックミットを持ってもらって練習するし、グラウンドの練習では相手の関節を極められると判断した時点でホールドを解く。

 投げ技の練習もショックを和らげるマットを重ねた上に投げる、ただ受け身の練習はリングの上で様々な状況を想定して行われるためこれが一番危険できついとあたしは思っている。


 そしてあたし達はコーチの指示のもと、基本的な後ろ受け身、左右の横受け身、前受け身、前回り受け身をこなした後、様々な投げ技をかけられて受け身を取る、勢いをそのまま生かしてひっくり返されたり、コーナーポスト最上段から前回り受け身をしたり、ありとあらゆる形で受け身を取り、それを身につけようとする。

 これを上手く出来るかどうかで選手寿命も変わるだろうし、試合内容自体も大きく変わる。

 プロレスは派手な大技の方こそが目に付くが、本当に重要なのは鍛えた肉体であり、バンプの技術こそが最も重要なのだ。

 それさえしっかりしていればドロップキック一回で試合をまとめること不可能ではないし、それが出来なければ安土女子のプロレスラーとしてデビューする資格はない。

 そういう事なのだ。


 あたし達が必死に受け身の練習をしていると道場に先輩方が入ってリング上のあたし達を眺めている。

 新弟子たちが一通り投げまくられると新弟子試験であたしの相手を務めてくださった萩尾奈々さんが、

「パツキンお前から相手してあげるからこっち来なさい」

 と、もう一つのリングにあたしを呼んでくださった。


 あたしはコーチに一礼すると素早く隣のリングに移動し、

「よろしくお願いします」

 と奈々さんに頭を下げた。

「うちのスパーリングのやり方は聞いてるわね?」

 奈々さんはそう確認すると、

「はい」

 そう返事をする。

「あれからどの程度成長したか見てあげるからかかってきなさい」

 奈々さんは余裕の棒立ちであたしを見下ろす。

「開始ってことでいいんですか?」

 勢いで挑発に乗らず確認すると、

「いつでも来なさい」

 奈々さんは棒立ちから構えを取るのだった。


 奈々さんが差し出した右手を容易に取らず、こちらの手を掴ませに来させるため左肘を曲げて様子をうかがう。

 掴みに行ったら捕まる、そんな印象を受けたあたしは素直には組み合わず焦らし続ける。

 焦れたのか?奈々さんが一歩踏み込んできたところこちらも併せて前に出て左手で奈々さんの右手首を掴み奈々さんの腹の下に潜り込み肩に乗せてファイヤーマンズキャリーで崩す…つもりだったが動かない。

 彼女は左手であたしの右肩を掴み奈々さんは大地に根を張った大樹のように全く動かない。


 その瞬間あたしが感じた驚きを見透かしたような奈々さんがあたしの肩から体勢をずらし仰向けになるように押しつぶす。

 なす術もなく奈々さんを上に乗せたままあたしは抑え込まれ徐々に体をずらした奈々さんが顔の上に乗り胴で鼻と口を塞がれる。

「どうした~パツキン!?さっきの威勢はどうした~?」

 あたしの上に乗ったまま腕を軽く極めた後すぐに放し奈々さんが煽る。

 あたしは必死にブリッジで返そうとするが息を吸ったところで重心を動かしただけの奈々さんに潰される。

 そしてまた顔の上に乗られ呼吸が出来ない状態になる。

 必死にもがいて呼吸をするがその度にまた抑え込まれ上に乗ったまま軽く関節を極められる。

 まともに呼吸が出来ないので関節を極められるのは諦めて必死に呼吸が出来るように藻掻くがどうやっても逃げられない。

 そして永遠に続くかと思う抑え込み地獄から解放されると、

「ありがとうございました」

 かろうじて一礼しリングを降りる。


 リング下で膝をつき荒い呼吸のを整えながら時計を見ると、まだ5分ほどしか経っていなかった。

 ほぼ何もできないまま5分間上に乗られたまま呼吸を塞がれラッパを喰らわされていた、その事実を認識すると安土女子の先輩たちの実力の凄まじさを改めて痛感したのだった。

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