第8話 エリザベスと最後の新弟子

 それは入門して4日ほど経ったある日それは突然起こった。

 毎日のハードトレーニングと次々渡される雑用でてんてこ舞いな上筋肉痛に悩まされながら朝の支度を始めようとしていたあたし達に、

「いい加減にしてよこのデブ!毎晩毎晩あんたはいびきと歯ぎしりが酷いのよ!めぐさんとエリゼは眠りが深いようだから気にならないかもしれないけど、あたしは眠りが浅いからあんたの出す騒音で眠れそうになるとたたき起こされるの!もうほんと勘弁して!」

 優子が突然切れだした。

 それに対して負けん気の強い真琴が言われっぱなしの訳がなく、

「なんだとこのヤンキー女!文句があるなら表に出ろ!」

 その言葉に激高し真琴の襟首をつかもうと踏み出したその前へ恵さんが一歩早く身体を割り込ませる(この人凄い反者神経と身体能力!)あたしがびっくりしていると恵さんは、

「エリゼ咲さん呼んできて!」

 と叫ぶので、あたしは一目散に部屋を飛び出して寮長の波瀬咲さんを呼びに行くのだった。


 その後痛みに疼く体を引きずりながらも今日の稽古と仕事をこなした後、あたしたち新弟子七人は夕食後食堂の片隅で咲さんを前にして正座させられていた。


「あんたたち入寮してたった四日で問題起こすっていい度胸してるわね」


 普段は優しい咲さんの声が冷たい。


「で?喧嘩の原因は?」


 咲さんが優子を問い詰める。


「入寮してから我慢してたんですがこのデブが毎晩いびきと歯ぎしりがうるさくて、

 眠りの浅いあたしはここしばらくほとんど眠れてないんです。一度寝たら朝まで起きない他の二人は気にならないようですが、まともに眠れないあたしはもう我慢の限界です…」

 優子は吐き出すように事情を説明した。


 それを聞いて思案気に右手を顎にあてていた咲さんに、

「あの…うちの部屋でも支倉さんがちょっと…」

 恐る恐るといった感じで直子ちゃんが右手を上げて発言した。

 咲さんはうんざりした様子で

「そっちの揉め事は何?」

 と簡潔に問うと。

「支倉さんが寝るときに音楽をかけてるようなんですが、夜中にイヤホンが外れて音が響いて夜中に起こされるんです」

 恵子ちゃんがそう断言する。

 渋面でしばし打考えた後咲さんは、

「あたしから社長に事後報告するから、長友と支倉は消灯前に荷物持って部屋を交代。しばらくそれで問題がないようならそのままの部屋割り。問題が出たらまた考えるから喧嘩する前に言いに来ること。それじゃ今回は連帯責任で全員その場でプッシュアップ50回!」

 そういわれてあたし達はくたくたの身体で懲罰としてプッシュアップをするのだった。


 毎日のハードな練習、絶え間なく積み上げられる下積みの仕事、拷問トレーニングを乗り切った先輩たちによる嫌味、そんな苦しい事ばかりが続く毎日だが3ヶ月が経つ頃には多少の余裕を感じるようになった、

 だがそれを見抜いたコーチによりハードで負荷も強度も高い練習内容を積み上げられただけなのだが、確かな成長を感じた。

 同期の人間関係は部屋替え以降問題は起きていない。真琴と優子の仲は険悪だがお互い虫が好かないという程度で喧嘩になるほど悪くはない。あたしと恵さんは仲がいい方だと思う、直子さんと恵子ちゃんはよく一緒にいるが恵子ちゃんのあたしを見る目は非常に厳しい。何かやったかな?あと恵さんは真琴とも優子とも響とも仲がいい。響ちゃんは暇があったらあたしにメイクやお肌のお手入れなどいろんなことを教えてくれる。

 曰く

「エリゼは元が良いんだからきちんと手入れすれば人気が出る」

 とのことだった。


 それから一ヶ月後、歪なりとも人間関係を築いていたあたし達の前に爆弾が落とされる。

 そうプエルトリコで基礎トレーニングを終えた最後の新弟子がやってきたのだ。

 今回も歓迎会が行われる、何でもゲン担ぎも兼ねた伝統だそうで欠かすことはできないらしい。

 咲さんに案内されてきた160㎝程でしっかりした体つきの黒髪ポニーテールの女性は席に着くと、

「達川明美16歳です。161㎝56㎏、格闘技経験はありませんでしたがプエルトリコのスクールで基本を学んできました」

 そう簡潔に自己紹介を済ませた。

 奇麗な顔立ちをしてるけど結構性格きつそう…

 あたしはそんなことをぼんやり思いながら、このパワハラ宴会の中しっかりと食事を摂るのだった。

 達川さんは隣の3人部屋に入るとして今日だけは雑用は免除だ、あたし達は残りの仕事を片付けていく。

 今日の仕事を終え風呂も上がりつかの間の休息をしていると、隣の部屋の四人を連れた2年先輩の方々があたし達の部屋に入ってきて全員を正座させると、

「あんたら何で自分が正座させられてるか分かる?」

 2年上の先輩たちの中でもあまりぱっとしない人達が女の理不尽を振りかざす、

「わかりません」

 あたしは素直にそういうと、拳にタオルを巻き付けた先輩は無言であたしの左頬を殴りつける。

「あんたらがさ新弟子の仕事も満足にできないからうちらが上の人達にしっかり指導しろって嫌味言われてるんだよ」

 そういって別の先輩が同じように拳にタオルを巻きつけ隣の恵さんの頬を殴る。

 そして順番に今日入ったばかりの達川さんにまで暴行を加えた。


 あ~これが真琴の言ってた後輩いびりか、うちらは洗濯物はきちんと仕分けして洗ってるし、マンション周りの掃除も風呂掃除も余念はない。咲さんとイシュタルは指導期間が終わるときに『自分たちの時より良くできている』と褒めてくれたくらいだ。

 咲さんは2年先輩でイシュタルは1年先輩だからこの3年間でうちらが一番仕事が出来てるはず…あぁ、なるほど、そうだからか。

 要するに彼女たちは自分達より優秀な後輩に嫉妬し、目障りだからストレス解消のために八つ当たりしているのだろう。

 ならこんな連中の行動に心を悩ませる必要はない。

 それでもリングを降りれば先輩後輩の関係が絶対の縦社会、正論で泣かすこともできると思うけどそれをやったら余計事態が悪化する。

 そう思ってあたしは先輩の暴行を黙って受け続けた。

 しばらくして気が済んだのか先輩達は部屋を去った。

 痛みにうめきながら怪我がないかそれぞれ確認し合い手当てをする。

 ここまで露骨ではなかったが先輩達からのいびりやいじめは何度かあった、

 でも所詮それは売れてないとかパッとしない先輩たちによる新弟子を使ったストレス発散に過ぎないとあたしは思って眼中にもなかった。

 でも、

「あたしもう耐えられない!もう辞める!」

 大人しめで引っ込み思案な性格の小川直子がついに耐えられなくなったようで、

 そう口にした。

「直子ちゃん、あたし達は4か月このきつい生活を乗り切ってきたんだよ、このあと6か月頑張れば身体づくりの他にスパーリングだってやらせてもらえる。その時ガツンと仕返ししようよ」

 あたしはそう言って翻意を促すが、

「あの先輩たちあたしが一人でいるといつもあんな感じで小突いたり蹴ったり酷いこといったりするの!今日だけじゃないの!ここしばらくずっとなの!もう辛いからやめたい…」

 それを聞いて、

「それって直子ちゃんが基礎を終えてスパーリング出来るようになったら、自分達に勝ち目はないし、体の大きい直子ちゃんの方が自分達より会社にプッシュされるっていうのが分かってるから辞めさせようとしてるんじゃないの?直子ちゃん優しいから誰とでも仲良くしたいんだろうけど、自分の食い扶持荒らす相手と仲よくしようっていう才能のない連中がいると思う?」

 そうあたしは身も蓋もない事をぶっちゃける。

 涙を浮かべていた直子ちゃんは瞳を驚きで見開き、

「そうなの?」

 と問い返す。

「メグさん、レスリングの国際強化の選手合宿とかでもそういうのなかったです?」

 あたしは恵さんに水を向けると、メグさんは苦笑いしながら、

「あったねぇ…中途半端な奴ほど盤外戦で後輩に圧力かけること多かったわね。女の腐ったのって感じの連中がそうやって邪魔な後輩とか蹴落とそうとするけど、適切な努力や効果的な練習もなく、頭を使って試合することもないそんな連中で選ばれるのは縁故のある女くらいだったわね」

 苦虫をかみつぶしたような顔でそういう。

「あの手の連中はそういう生き物だと思ってまともに相手する必要ねぇよ」

 優子さんも同意してくれる。

「皆ありがとう…」

 感極まったのか直子さんが泣き崩れる、と

「何この会社!私今日入門したばかりなんですけど!」

 達川さんが怒りと共に声を上げる。

「そりゃレスラーはさ身体を張った仕事だしリング上で殴られたり蹴られたりするのは当たり前、そんなの分かってるよ!でも私たちは先輩のサンドバッグじゃない!でも金髪さんの言う通り仕返しはスパーリングでっていうのはわかった、絶対泣かせてやるけどね。でもさあんたその図体でメソメソ泣いてるだけならやめた方がいいんじゃない?悔しいとか負けてなるか!って思えないならやっている意味ないでしょ?」

 そうマシンガンのように言葉を叩き付けると、あたしもう寝ると部屋を去っていった。

 部屋に残った者の大半が達川明美に対し反感を持ったのはこの瞬間だった。

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