第7話 エリザベスと稽古
その日入寮したあたしたちは、荷物を解き最低限生活していける環境を整える。
四人で相談して二段ベッドの寝る位置を決めた頃には日が傾いていた。
あたしたちが部屋を整えていると隣の部屋に入寮した三人を連れた寮長の波瀬咲さんが、
「そろそろ食事の時間よ。今日は歓迎会だから主賓扱いだけど、明日からは稽古の他に調理の補助や配膳をやって貰います。他にも先輩の衣服やリングコスチュームの洗濯とか仕事は色々あるけど最初の一週間は指導の先輩がつくけどそのあとはあなた達だけでやってね」.
そういって新弟子の一日のスケジュールをまとめたプリントを全員に配ると、あたしたちを食堂へ案内してくれた。
二階の部屋をいくつかぶち抜いた大食堂には寮住まいの先輩達がすでに座っており
あたしたちが一人ずつ食堂に入るたびに歓迎のクラッカーを鳴らしてくれた。
20人ほどの先輩方がそれぞれ四人掛けのテーブルに座っている間を咲さんに導かれ幾つかのテーブルを繋げ調理場近くの上座にしつらえた席へと座らせられる。
あたし達の席の右前に立った咲さんが、
「それでは、本年度入門の第32期新弟子の歓迎会を始めます!今日だけは先輩後輩の垣根なく新弟子ちゃんたちの入門をお祝いしましょう!」
と宣言すると食堂内が歓声に包まれる。
そのままバイキング形式で食事をとりつつ明日以降の仕事について説明を受けるが、これ歓迎会といえるのか?という内容の話を次々投げかけられる。
まず朝五時半に起きてマンションと周辺を清掃、そのあと着替えて6時半から朝食の支度の補助、安土女子は今はちゃんこではなくほぼバイキング形式で食事を摂るらしい。
8時までに全員が食事を済ませるのでその間に交代で食事をする。
30分の休憩を経て8時半から新弟子は二時間身体づくりの稽古をする。
去年の暮れから拷問トレーニングは廃止され、有酸素運動を中心としたサーキットトレーニングを始めたらしい。
それで楽になったか?といえばそんなことはないらしく、きちんと相手の技を受け怪我をしない体を作るトレーニングとして、徐々に強度を上げていくとのことだが、それでも付いて行くには相当な覚悟がいるようだ。
10時半頃から先輩のトレーニングが始まるらしいがあたし達は昼食の準備や先輩の物を含めた洗濯に駆り出される。
11時半から13時までが昼食時間でその間交代で食事を摂る。
昼食は基本的に軽めで消化の良いものが中心らしい。
そこから1時間ほどの休憩をはさんで午後から又二時間のトレーニング、その後は洗濯物を取り込んできちんとアイロンをかけたりお風呂の準備などの雑用をこなし食事の準備と補助が17時から20時そこも交代で食事、そのあと先輩たちの後に入浴しようやく自由時間。
でも21時半には消灯なので特別何かができるわけではなさそう…
歓迎会と称してはいるが正直これから先の新弟子生活に不安しか感じない、それは他の子達も同じようで皆沈んだ顔をしている。
新弟子は身体作りと受け身を身につけるのが主な仕事なので基本的に巡業には帯同しない、体が出来て受け身が取れるとコーチに判断された者からスパーリングが練習メニューに入る。
そこまでは雑用と基礎的な稽古ばかりなので入門試験に受かった者でも何人もの人が挫折して辞めていくらしい。
率直な感想を言うなら先輩達はこれから厳しい制約のある生活を送らなければいけないあたし達を憐れみ半分面白半分で脅しているように思えてならない。
でもまぁここにいる人達はそれを乗り越えて生き残った先達なのだろう、なら余人に出来たことがあたしにできない道理はない!
そう覚悟を決める。
ある意味パワハラじみた新弟子歓迎会はお通夜じみた雰囲気の新弟子達とは対照的に浮かれる先輩達という対照的な光景のまま閉幕し、今日だけはあたし達は後片付けを免除され部屋に戻るのだった。
「どう思う?」
部屋に向かう道すがら恵さんがあたし達に問いかける。
「どうってぇ?」
響ちゃんが問い返す。
「あの歓迎会という名のパワハラ宴会の事よ」
身も蓋もない言い方で恵さんが問い直す。
「あぁ~あれね。新人たちに対する威嚇と先輩たちのガス抜きなんじゃないのかなぁ?」
やっぱり響ちゃんは見た目に反して頭がいい。彼女がそう返すと、
「やっぱりそうよね…でも実際はこれから先もっときついと思う」
恵さんは何かを思い出すようにそう呟く。
「でもそれを乗り越えてトップになった人もいるんだから、あたし達だって超えられるはず」
あたしがそういうと、
「気持ちで負けたらこの仕事は続けられない…か」
真琴が言葉をつないでくれた。
それをきっかけに全員の雰囲気が変わる。
皆覚悟を決めたようだ。
そしてあたし達は明日から始まる新弟子生活に備え早めに眠るのだった。
翌早朝5時に起きたあたしはまだ寝てる子を起こして身支度を整える。
恵さんはすでに起きていたが真琴は寝過ごしそうな勢いで眠っていた、優子さんはあまり眠れなかったのか目が赤い。
あたし達が着替えを終え身支度を整えていると、褐色系美女がバケツと棒切れを持って部屋に入って来た。
あたし達がすでに起きているのを見た彼女は露骨にがっかりして、
「みんな起きてたのね…」
と呟いた。
多分寝ているあたし達のそばであのバケツを棒きれで叩いて、無理やり起こそうと思ったのだろうがそれを楽しみに入ってきた瞬間がっかりした顔が印象的だった。
彼女は確かイシュタルという若手選手で両親が中東出身だが日本語しか話せないのにプリンセスオブバビロニアというフレーズをつけられていた選手だったはずだ。
母譲りの金髪碧眼のくせに日本語しか喋れないあたしと同じ偽外国人なので親近感がわく。
「今日は私があなた達に仕事を教えます。もう一つのグループは咲が教えます。皆さん張り切っていきましょう!」
イシュタルがそういうのをあたし達はちょっと引きつつ返事をした。
前日説明されていた通り掃除を済ませ着替えて調理と食事の補助は問題なくできた。
だが肝心の稽古がきつい。
メニューはホットヨガで体を温めてから念入りな柔軟。
タオルを使った首のトレーニングに前ブリッジと後ろブリッジをそれぞれしながら首を左右に曲げ満遍なく首周りを鍛える。
その後はプッシュアップから腹ばいになってジャンプして交互に腿上げやステップを刻んだ後に腿上げしてジャンプ後ろ受け身を取ってからクランチ素早く起き上がって腿上げしてジャンプからプッシュアップから腹ばいになって背筋など複数の運動を混ぜたメニューをこなすのだが、きついのは
「何回やれ」
という指示がなくコーチが合図するまでそれをしなければならず、
「きちんとできてない」
と判断されると一からやり直しとなるのでペース配分も出来なければ、適度に流すなどという事も出来ず、ただひたすら懸命にメニューをこなすしかないのがまずきつかった。
メニューをこなすごとに筋肉をもみほぐすのだがしばらくは筋肉痛に苦しむ日々が続くだろう。
一つの動きは20回くらいが目途なのだが、時々その倍くらいやらせるので予測がつかず本当にしんどい。
他にもシャトルランをしながら合図があればプッシュアップから腹ばいになって背筋をしてジャンプからのダッシュなど、拷問トレーニングを廃止しても選手の質を落とさないという意気込みを身をもって嫌というほど味わうメニューばかりだった。
拷問トレーニングのような数字の暴力こそないが、稽古の内容は酷く濃い。
後に前年の暮れから稽古の内容が切り替わった先輩に拷問トレーニングとどちらがきつかったか?を聞く機会があるのだが先輩は数字での印象から拷問トレーニングの方がきつそうに思えるけど、負荷や強度としては切り替わった後のサーキットトレーニングの方がきついと聞くことになる、だがこの時まだそれを知らないあたし達は稽古を必死にこなすので精いっぱいだった。
二時間経つ頃にはボロボロになったあたし達はよたよた歩きながら着替えて次の仕事に向かうのだった。
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