第32話 アサーション
「先日は、いいえ、以前から、たびたび無礼な発言をしたこと、深くお詫びいたします」
神白冷花は腰を90度も曲げる。
突然の最敬礼。いやでも周囲の目を惹いてしまう。
しかも、数日前に廊下で教師相手に暴言を吐いた死神がである。
注目を浴びるのは当然といえば、当然で。幸いといえば、会場の隅っこにいること。少しでも人目が減ればいい。
僕の心配もなんのその、冷花は顔色一つ変えない。作戦どおりとはいえ、彼女の胆力に驚く。
しかし、表面がクールだからといって、内心では不安を抱えているかもしれない。感情が読めなくて、もどかしい。力を失って、初めて後悔した。
いや、僕にできることをしよう。
「僕からも謝ります」
冷花の横で、彼女と同じ角度に腰を曲げる。荒い息の音が、僕の心臓にリズムを刻む。
せめて、冷花に寄り添って、彼女が受ける苦痛を分かち合おう。
僕たちの呼吸がぴったりと重なる。えもいわれぬ一体感を覚える。
威圧的な学年主任を前にして、まったく恐怖心が起こらなかった。
「貴様。自ら女の尻拭いをするとはな」
50すぎの親父が僕たちを見下す。
腹は立たない。
訓練次第で、怒りは制御できるから。いわゆる、アンガーマネージメントである。とっくの昔に従姉妹から伝授されたコミュニケーションスキル。
僕は冷静な頭で、哀れな大人に向かい合う。
「彼女は依頼人ですから。サポートはしますよ」
「いっぱしの仕事人気取りだな」
いちおうは、パーティーの途中だと認識しているらしい。声は抑え気味。だが、学年主任は圧を放っている。
「そりゃ、まあ、部活ですので。きちんと活動しませんと」
「女と話すだけでか?」
「……ええ。それを言ったら、スクールカウンセラーの華園先生も話すだけですよね?」
話すだけ。そう聞くと簡単なようだが、モモねえの会話テクニックはすさまじい。心理学的に裏づけられているしな。
高等技術であるのを理解したうえで、あえて話すだけと言わせてもらった。
プロの仕事を引き合いに出して、話すだけが難しいと思わせるために。
すると、教師は言葉に詰まった。
「あの人は別だ。大学院を出て、高度な資格も持つプロ。うちは高い報酬も払っている。学生の
敵も教師。簡単には負けてくれない。
なら、次の手は。
「先生にとって、資格や報酬が大事なんですね」
感情を出さずに、純粋な質問と思われる声のトーンで、相手の価値観を問う。
張り合ったら反発を生む。また、奴は声の大きさで僕たちを否定してくる。そうなったら、教師には勝てない。これだけの人の前で力押ししたら、僕たちが悪者になる。
「もちろん」
功を奏したのか、 僕の言葉に学年主任はうんうんとうなずく。
「学歴や資格は目に見えるもの。学校では進学率、特に、有名大学への合格実績。我が校を判断する、わかりやすい材料」
「ええ、そうですね」
僕たちは学年主任を相手に交渉し、廃部を撤回させたい。
だが、それは彼に反発することではない。不要な争いは避けたかった。可能なかぎり、彼の意見を尊重するつもりだ。
「いまの世の中、物があふれかえっている。昔のように努力して物を作っただけで、成長できる時代じゃない。特に、我が日本は恥ずかしながら、失われた30年のただ中にある」
「はあ」
数秒前の自分を恨みたくなる。ウザい説教なんか聞きたくねえし。
「どれだけ、目立てるか。SNSを見れば、貴様らも理解できるだろう」
「炎上マーケとかですか?」
「うむ。あれこそ数字主義の最たるものだ。SNSでバズりさえすれば、質はなんでもあり。目立てば勝ち。存在感を示せる。残念ながら、そういう時代である」
僕が適当に聞き流していたら。
「でも、炎上マーケはもう古いという見方もあるわ。やっぱ、バカね」
冷花が僕の耳元でささやく。
運良く学年主任は演説に夢中で、聞いていなかった。
「オレも教師。学生たちを世に送り出す身。教え子が熾烈な時代で挫折するのを見たくないのだよ」
冷花が息を呑む。学年主任が生徒を気遣う発言して、そんなに驚くとは。
「世の中、表面的にわかりやすいものが答えだ。でなければ、会社に入ってから苦労するぞ。たとえば、営業職。売上が多い物が正義。いまはエンジニアや研究職ですら、自分の成果を説明する能力が求められる時代である。自分の仕事をアピールできない人間は、世の中で不要とされるのだ」
そう言われても、僕たちは高1。正直、反応に困るのだが。
「貴様も今回の件を教訓にするんだな。今なら間に合う。若いうちに正しい価値観を身に着けておけ」
さすがに、カチンときた。
さっきから聞いていれば、数字で表れにくいものは価値がないみたいじゃないか。
こいつ、自分の正義を疑わず、僕たちに押しつけてきやがる。こいつに教わってないから知らなかったが、ウザい。夢紅以上だ。いまなら、わかる。冷花がキレていたのが。
しかも、僕の立場なら、なおさら頭にくる。
僕の力は、口に出てこない気持ちを読み取ること。感情は数字に表れない最たるもの。
僕はこれまで人の色を見て、表情や声を感じ取って、人の気持ちを推測して、生きてきた。
自分の能力が原因で親が離婚して、力に嫌気が差して。それでも、世の中では空気を読むことも求められ。
見えないものを感じることは僕のアイデンティティでもある。
自分という存在を否定された気する。悲しさと憤りが混じったような気持ちになった。
やるせない。
だが、怒っても、損をするだけ。冷花が謝っているのに、僕が台なしにしてしまう。
とりあえず、怒りを鎮めよう。
深呼吸する。少しずつ周りが見えてくる。
みんな関わりたくないのだろう、近くに生徒はいない。やや離れた場所で、噂する声がする。死神にフラれた男が「ざまあ」と言ったり、僕たちに同情的な反応をしたり。
「会話など曖昧なものの最たるもの。日本語をネイティブにする人間同士が、日本語で話してさえ誤解が生じる。言葉の解釈は、文脈、人の読解力、経験などで変わるのだからな」
不覚ながら、学年主任の言葉が身に染みた。
好き。
僕に向けられた、2文字の言葉。
夢紅と美輝の気持ちを、僕は友だちとしての意味だと思っていた。でも、彼女たち自身ですら気づかないところで、別の意味を持っていたわけで。
たしかに、言葉は曖昧だ。セリフはウソを吐く。
「貴様らの活動は会話で成り立っている」
「……え、ええ」
僕はユーカリもしているが、バラす勇気はない。
「会話は目に見えない。何が真実かわからない。理系のオレからしたら、理解不能な世界にいる」
出たよ~。いるんだよな、自分が理解できない世界を攻撃してくる奴。
「むろん、オレとて悪役をしたくない」
自分では生徒想い言うてるもんな。
「せめて、神白冷花が更生していれば、廃部など言わなかったのだが……」
「っつ」
自分の名前を出されて、冷花は唇を噛みしめる。
色が見えなくても、彼女の悔しさ、自責の念が伝わってくる。
もう限界だな。
ここまでは相手の意思を尊重してきた。余計な口を挟まず、学年主任に言いたいことを言わせる。
だが、一方的に話を聞いてるだけでは結論は変わらない。このまま、学年主任は自分の正義を押し通すだろう。
僕たちの活動を否定して、神白冷花を一方的な悪者にして。
それでも、耐えてきたのは、僕たちが対人支援部だから。
まずは、相手の話を聞くよう、顧問から教えられている。
人を助けられないから、と。ケンカになるだけだから、と。
だから、相手と自分の価値観が違っても、いったんは相手を受け入れて。
そのうえで。
自分たちが損をしないよう、自分を主張する。
それが僕たちの戦い方。
そろそろ頃合いだ。
自分たちの主張をしよう。
時間的にも頃合いだし。
黙って話を聞いていたのは、時間稼ぎの意味もある。
クリスマスパーティーはクライマックスに向かおうとしている。
生徒たちはダンスや遊びで盛り上がっていた。
吹奏楽部がある曲の演奏を終える。
しばらくの静寂ののち、人気アニメのオープニング曲を奏で始めたときだった――。
「ういぃぃ~~~~~~~~~~~す!」
ステージ上にピエロが現われ、大声で彼女は叫んで。
反対側の袖から、ワインレッドのドレスをまとった金髪少女が歩いてきて。
「みなさん、わたしたちと遊ぶんだよぉぉぉっっっ!」
さあ、反撃開始だ!
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