第17話 観覧車

 冬至まで、あと10日ほど。短い陽は沈みかけ、五重塔が朱に染まる。観覧車が上がるにつれ、塔の見え方も変わっていく。


「きれい。エロゲの背景で使えるかも」


 神白は外の景色を見て、しみじみとつぶやく。


「……ホントにエロゲ脳だな?」

「悪い?」

「いや、うらやましいかな」

「?」

「僕には夢中になれる趣味もないから」


 率直な感想を言うと、神白は頬を染めた。

 白銀の髪に夕陽が当たり、幻想的な雰囲気が少女を彩る。


「使えるかも」

「えっ?」

「うわぁぁっっっ! そういう意味じゃねえから」


 思いっきり失言したじゃん。

 うっかり見とれただけでなく、何に使おうとしてたんだよ?


 やっぱり、女子とふたりきりで観覧車は刺激が強すぎたか。


 密室のゴンドラ。神白の色が、恥ずかしさと嬉しさで彩られている。

 非常に甘酸っぱい空気なんですけど。恋愛嫌いとしては、勘弁願いたいです。


 けれど――。


『最後に観覧車に乗りたい』と、ヒロインにリクエストされたんだ。

 今日の目的は、神白にデートを体験してもらうこと。

 だったら、断れない。


 というわけで、観覧車に乗ったのだが、正直、間が持たない。

 斜め前に座る神白と目が合った。バツが悪くて、僕は視線をそらす。


「隠岐くん、あなた……いつも冷めてるわよね」

「そうか」

「そうよ。あなた、エロゲ主人公レベルで淡泊というか。ホントに男子なのって思うぐらい、欲望がないわね」

「……」

「いつも女子に抱きつかれて、おっぱいを楽しんでるけど、それだけ。自分からは積極的に動かない。かといって、女の子から逃げるわけでもない。本当に植物ね」

「そりゃ、ユーカリかラベンダー役だしな」

「……不感症の童貞お○んぽ野郎マシマシ」


 神白さん、今日、毒舌は封印したんじゃ?


「あなた、本当に本当に、まったく恋に興味がないの?」


 神白は腰を浮かすと、僕に顔を近づけてくる。

 琥珀色の瞳に僕の顔が映る。彼女から見える僕は、氷のように無表情だった。世捨て人の隠者である。


 神白の目は僕の本質を捉えていた。

 けっして彼女を誤魔化せない。

 笑っちゃうよな。感情が読めるはずの僕が、心を丸裸にされているのだから。


「僕から見える恋の色は、血のようにどす黒い赤。醜くて、残酷で、自分勝手で……」


 神白の目が僕を離さない。彼女自身の瞳に余計な感情を挟まず、ただ、ただ、僕だけを映し出している。


「僕にとって世界一汚い色が、恋なんだ」

「そう」


 死神は抑揚のない声で言う。


「怒らないのか?」

「どうして、あたしが怒るの?」

「そりゃ、おまえは恋愛脳で、エロゲ主人公を求めてるわけだし。なのに、主人公役の僕が恋愛嫌い。迷惑じゃないのか?」


 これまで言えなかった秘密を打ち明ける。

 なのに、神白は顔色ひとつ変えない。


「……だって、それが隠岐くんの本音なんでしょ?」

「ああ」

「だったら、第三者が口を挟むことじゃないわ」


 言い方は淡泊だったが、僕を想う気持ちがダダ漏れだ。


「隠岐くんは恋愛を嫌うだけの経験をしたのね」

「……」

「経験はね」

「うん」

「事実と、事実で感じた気持ちで成り立ってるの」


 まるで、カウンセラーモモねえだな。


「たとえば、こっぴどいフラれ方をして、憂鬱な気分になったとする。フラれるという事実と、憂鬱という感情が結びつくわけね」

「うん」

「1回ならまだしも、フラれるたびに憂鬱な感情が強化されていくの。そのうち、告白=憂鬱と脳が認識するようになるかも。パブロフの犬みたいに」


 パブロフの犬。心理学で有名な実験だ。犬の飼い主が、ベルを鳴らして犬にエサを与えた。毎日、それを繰り返す。そのうち、ベルが鳴っただけで、犬はよだれが出るようになった。たしか、そういう話だったはず。


「失恋は憂鬱よ。ヤンデレだったら大惨事になる」


 神白は眉根を寄せたあと。


「あたし、100回殺されていてもおかしくないわね。リアルにヤンデレがいなくて、命拾いしたわ」


 おまえ、告白されたとき、壮絶な毒舌を吐いたじゃねえか。

 恨まれている自覚あるんだったら、もうちょっと配慮しろよ!

 あと、リアルでも事件は起きている。ニュースも見ような。


 どこから突っ込もうかと思っていたら。


「隠岐くんも無謀な恋を経験したのね」

「はあぁっ!」


 唐突に僕の話になって、間の抜けた声が出てしまう。


「ミジンコ以下の生命体だと罵られたら、恋愛嫌いになってもしょうがないわ」


 こいつ、好きに言わせておけば。


「失恋が原因じゃねえからな!」

「そうなの?」

 

 神白は軽く驚いたあと、胸をなで下ろす。


「まあ、原因はいいわ」

「いいのか?」

「繰り返すけど、隠岐くんの恋愛嫌いに対して、文句を言う立場じゃないから」

「ありがとな」


 神白なりの気遣いに頭を下げる。


「……あたし、エロゲみたいな恋に憧れているわ。だからといって、隠岐くんたちに過度の迷惑をかけるつもりもない」


 気持ちとしては助かるが、神白の琥珀色の瞳がまっすぐすぎて。


「おまえに伝えたいことがある」


 真摯に向き合うべきだと思った。


「なに?」


 僕は両親の離婚の件を打ち明けた。夢紅たちにも言っていない、僕の暗部だ。


 ただし、感情が見えることは秘密である。

 子どもなりの直感で、僕が父の浮気を見抜いた。僕の不注意な発言がきっかけで夫婦は大げんかに。結局、別れることになった。

 自分の軽薄さと、父の浮気がトラウマになって、恋愛嫌いになった。


 そう説明する。

 事実は変えているが、気持ちにウソはない。いまの僕ができる精一杯だ。


 死神は話を聞き終えても、顔色がまったく変わらない。


「つまらないわ」

「へっ?」


 重い話のつもりだったのに、この反応である。


「エロゲを舐めないでくれる?」

「なぜ、ここでエロゲ⁉」

「エロゲ主人公や、ヒロインにはトラウマ持ちが多いの。ヒロインが世界の命運を担っているとか。両親の離婚ぐらいで同情はしないから」


 突き放した言い方だが、色と表情は僕を気遣っていて。

 優しくされるよりも、かえって心が軽くなった。


 それに、神白の言うことももっともだ。世の中的にはありふれた話だし。


「けど、あなたの話を聞いていて、少しひっかかるわね」

「なんだ?」

「昔のあなたは直感が優れていて、口が軽かった。そういう理解で合ってる?」

「ああ。カツラのおっさんに、『ママ~、あの人、カツラだよ』と、何度も言ったことあるぞ。メチャクチャ怒られたよ」

「ふーん」


 神白は顎に手を添え、左上をじっと見る。


「どうしたんだ?」

「ううん、なんでもない。それより――」


 神白は僕に頭を下げて。


「ごめんなさい。慎司くんの事情を知らなくて、恋愛ごっこに巻き込んで」

「いや、モモねえに頼まれたことだし」


 気づけば、観覧車は下りになっていた。残り時間もわずか。


「おまえの支援は仕事でやっている。気にすんな」

「冷花?」

「へっ?」

「おまえじゃなく、冷花って呼んでくれないかな」

「……」

「仕事でエロゲ主人公役をするのよね?」

「ああ」

「名前呼びぐらいしてくれてもいいんじゃない?」


 マジでか⁉

 恥ずかしいが断れない。というか、夢紅たちは普通に名前呼びだ。今さらだった。


「冷花?」

「よろしい」


 冷花は形の良い胸を張った。

 フラグも今まで以上にビンビン立ってるんですけど⁉


 自分の気持ちに気づいてないのかよ。そう言いたくなるぐらい、ラブラブオーラ全開だった。


 しかも、よりによって、恋愛嫌いな僕とは。

 気づいてないフリをして、神白の恋の支援をしていいのか?


 神白から見える色と、神白の願望だけを考慮するなら――。

 僕が彼女と付き合うことが支援になる。


 でも、自分を犠牲にする支援は紛い物。

 自分を大切にしながら、相手のしたいことを叶える。

 それが、本当の対人支援。そう、僕の師匠モモねえは言っていた。


 だから、僕は神白と恋をするつもりはない。


 一方で、彼女の気持ちを知って、適当に関わること。それも無責任すぎる気がする。


 板挟みになり、頭を抱えたくなる。

 そういえば、さっき神白はという言葉を使ったよな。


 ならば、今こうして、観覧車に乗っているのも、冷花にとっては経験である。


 神白が観覧車イベントを経験したことで、理想の恋が見つかる可能性も上がったわけで。

 どれだけ効果があるかは不明だが、塵も積もれば山となる。


 きっかけ作りをする。

 それが僕たち対人支援部の役割である。

 なら、自分たちのできることをしようじゃないか。


 朱に染まる銀髪少女の手を引き、観覧車を降りる。

 地面に着く足に、僕なりの決意を乗せた。

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