第11話 ハチミツカレー
地下鉄の出入り口で解散する。
女子たちが鳥居っぽい階段を降りていくなか、僕はひとりで歩き出す。
駅周辺の繁華街をすぎること1分。急に下町の住宅街らしい景色になる。
しばらくして、足を止めた。2階建ての我が家からカレーの匂いが漂ってくる。
あっ、ピザバーガーを食べちゃったじゃん。腹減ってないんだけど。
どうしたものかと思いながら、玄関のドアを開ける。
すると、エプロン姿のモモねえが出迎えてくれた。白いエプロンの他には肌色しか見えないけど、気のせいだよな。なにはさておき、本日の従姉妹は若奥様風です。
「あなた、今日はカレーよ」
マジで、若奥様かよ?
「そ、そうなんだ」
「カレーにする? お風呂にする? 姉妹丼にする?」
「へっ?」
お風呂の後は、『私にする?』じゃないの? しかも、僕に妹いないし!
心の中でツッコミを入れていると。
「じゃあ、お姉ちゃんね」
モモねえは勝手に答えを決め、横を向いて――。
「ぶっ!」
噴いてしまった。
というのも。
横から見ても、エプロンと肌色しかないんですけど⁉
肉づきの良いお胸様と、桃尻がチラチラしてらっしゃいます。
癒やしオーラがハンパない。が、身体の一部が戦闘状態になりそう。
矛盾に脳内ツッコミを入れる余裕もない。従姉妹で覚醒したら、変態だろ。
「
あえて、フルネームで呼んで、心身の距離を取ろうとする。
「ぶー、せっかく裸エプロンにしたのに~」
口を尖らせるカウンセラーのお姉さん。顔が優しすぎて、まったく迫力がない。
「モモねえ、なんで裸エプロンに?」
「だってぇ、慎ちゃんに迷惑かけたんだもん~。カレーとお姉ちゃんで元気になってほしくて」
見抜かれていたか。
僕が神白冷花の支援に苦労しそうってことが。
「ありがとな。僕、元気になったよ」
元気になりすぎて、困ってるけどな。
「とりあえず、着替えてくるから」
僕は玄関から自室に向かった。
言えなかった。夕ご飯を食べてきた、と。
数分後、リビングに行く。モモねえは鼻歌交じりでカレーをよそっていた。
王様バーガーで美輝も言ってたよな。『ダイエットは来年から』って。
腹をさすりながら、僕は席に座った。
「どう、愛情たっぷりお姉ちゃんカレーは?」
「いつもながら、モモねえのカレーは絶品だな」
「そりゃ、そうよ~。おまじないをやってるし~」
「おまじない?」
「おいしくなーれ、元気になーれ、子どもになーれ❤」
裸エプロンでメイドさんの真似をする、20代半ばの従姉妹。
信じられないだろ、これでも高校でスクールカウンセラーしてるんだぜ。男子生徒や男性教師がひれ伏す姿しか想像できない。
夢紅が女帝の二つ名をつけたのも納得できる。
戸惑って無言でいたら。
「……慎ちゃんは、お姉ちゃんに甘えていいのよ~」
とろけそうなのに、真剣な瞳で僕を見つめる。
「お姉ちゃんが言えたことじゃないけど、本当に引き受けてよかったの?」
モモねえはハチミツの瓶を僕の前に置く。瓶にはアカシアのハチミツと書かれている。高級品だ。
香辛料の香りと混じり合って、辛さと甘味が不思議なハーモニーを奏でる。
「……僕に厳しい試練を課すように見せかけておいて、だだ甘なんだろ?」
僕はカレーにハチミツを垂らしながら言う。
「どうして、そう思うの?」
スプーンでカレーとハチミツをかき混ぜてから、口に含む。
カレーの辛さと、さっぱりした甘味が口の中に広がっていく。
「そりゃ、モモねえはハチミツカレーだし」
「ハチミツカレー?」
「カレーにハチミツが加わることで、まろやかさとコクが出てくる。ハチミツはカレーの辛さを抑えるんだよな」
「それが、どうしたの?」
「モモねえはハチミツカレーなんだよ。甘い。しかし、辛みもある。とにかく、おいしくなるように、いろんな味覚を刺激してくれる」
「……」
「僕に神白冷花という辛口のカレーを押しつけておいて、ただ辛いだけで終わらせるとは思えない。絶対にハチミツも用意している。僕がカレーを残さず食べられるようにな」
おおらかでいて、厳しくもいて。
でも、カレーを食べる僕を常に向いている。いつも僕を見守ってくれる。
そんな従姉妹だから、僕は信頼して一緒に住んでいられる。
「だって、モモねえは僕のことが好きだしな」
「うぅっ、慎ちゃん、反則だよ~」
モモねえは涙目になるが、かわいいとしか思えない。
「色を読まなくてもわかるし。普通、男子高校生の背中を流しに来るか?」
「……週に2回だし、我慢してるんだからね~」
思い出したら、急に恥ずかしくなってきた。いちおうバスタオルを巻いてるけど、かえってエロいからな。
だが、モモねえのエロはエロスであって、エロではない。
人を癒やすエロなんだ。
断じて薄汚れた性愛などではない。
自分が気持ち良くなることではなく、相手を喜ばせることしか考えてないのだ。
ただ、ときどき暴走して、裸エプロンになってしまうだけで。
ひたすら純粋で、モモねえ自身にエロスな感情は一切ない。
だから、僕も安心してモモねえと一緒にいられるわけだ。
不満といえば、家事を全部してくれること。僕が手伝おうとしても、『お姉ちゃん、家賃も入れてないし』と、断るのだ。僕と母が頼んで、同居してもらっているのに。
カレーの皿が空になる。
さすがに、満腹になった。眠くなって、妙に感傷的な気分になる。
モモねえも食事を終えている。
ちょっと甘えてみるか。
「モモねえ、覚えてる?」
「ん?」
「モモねえが、この家に来たころのこと?」
「もちろんじゃない」
従姉妹は即答する。
「あのころの慎ちゃん、やんちゃだったね」
小学3年の自分を思い出すと恥ずかしくて泣けてくる。中2病を卒業した人が陥る症状に似ているかも。
「バカだよな。人の感情が読めるのが面白くて」
思い出したくもない過去が脳裏に蘇る。
ある日、帰宅して父に向かって僕は言った。
『パパ、お外でドキドキしてスッキリしたの? すっごいピンクだよ』
固まる両親。
『どうして、ママに申し訳なさそうな顔をしてるの?』
先に動いたのは、母だった。いきなり、父の頬を叩いたのだ。
すると、父は。
『男と女がいたら、恋愛ぐらいするだろ。浮気の何が悪い?』
と、開き直ったのだ。
その後、メチャクチャ大げんかになった。しばらくして離婚調停に。
父は常に複数人と不倫をしていたらしく、母が全面勝利する。
「結局、僕が家庭崩壊させたもんだし。母さんが怒るのも無理はないな」
「……慎ちゃん」
僕は人を見て、色が見える変人。いまなら表には出さないが、子どもに我慢は無理だ。人に見える色を口に出すたびに、母に気持ち悪がられていた。『余計なことを言うな』と躾けもされてきた。
なのに、僕は乳の浮気をほのめかしてしまったわけで。
今としては母の気持ちも理解できる。
母と住むようになったのはいいが、母は僕に冷たく当たるようになっていた。
僕は自分を責めた。
家出をしたり、学校をサボったり。
小学生が頻繁に無断欠席をすれば、家にも連絡が行く。
しかし、母は僕と関わりたくない。
そこで、母が頼ったのが、モモねえである。
「ごめんな。小学生のときは学校の呼び出しにも付き合わせちゃって」
「ううん、お姉ちゃんだもん。かわいい弟分のためなら、火の中、水の中だよ~」
当時、大学1年だったモモねえ。心理学専攻で、将来の目標はカウンセラー。
問題のある息子に、従姉妹はふさわしいと考えたのだろう。
「だからって、母さんもモモねえにガキの世話を押しつけんなよ」
「この家からだと、大学への近くになるし。家賃もなし。かわいい慎ちゃんにも毎日会える。お姉ちゃんにとっても最高だったんだよ~」
モモねえが同居するようになって、母に代わって従姉妹が僕の世話をするように。
以前勤めていた商社に復帰した母は多忙を極める。しばらくして、海外赴任になった。
以来、モモねえとふたりきりで住んでいる。
「ホントにありがとな」
「……お姉ちゃん、うれしすぎる」
モモねえが僕に向ける色は、白。まっすぐに、純粋な親愛の情を示している。
「お姉ちゃん、慎ちゃんのこと大好きだよ~」
「モモねえは変わってるよな、僕の秘密を知ってるのに」
「大人ぶらないの」
「悪いな。他人の顔色をうかがって生きてて」
僕は感情が見える。顔色にすら出てこない情報も僕には読める。
他人に深入りしたら地獄になる。両親のときみたいに。
だから、僕はトラブルを避けるために、感情を読む。
「よしよし、お姉ちゃんに甘えるのよ~」
モモねえは癒やしのスペシャリスト。
だが、有無を言わさない強さもある。それゆえの女帝だ。いまは女帝モードである。ひれ伏したくなる。
「悪いな、恋愛嫌いの子どもで」
恥ずかしくなって、誤魔化すと。
「ごめんね、恋愛嫌いなのに、冷花ちゃんの恋のお手伝いなんて」
「いいって。さっきも言ったけど、モモねえなりの考えがあるんだろ?」
「そうね~。今は言えませんけどね」
癒やし系お姉さんは、小悪魔的な笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます