南の島(10)

「あれ? どこかへ行くの?」

 東の小屋で出掛ける準備をしているムラコフを見て、マヤが尋ねた。

「ああ。今日はこれから、ラムの工場を見学させてもらうことになってるんだ」

「そっか。せっかく遊びに来たのにな」

 マヤは残念そうにつぶやいたが、やがて控えめにムラコフに聞いた。

「ねえ。その見学、私も一緒に行っていい?」

「え? そりゃもちろんいいけど、でも退屈じゃないか?」

「ううん、私も見てみたい。行きましょ、ルディの工場でしょ?」

 そんなわけで、二人は一緒に西の浜辺にあるルディの工場へと向かった。

 到着してみると、そこは工場というよりは、雑然と樽が並んだ倉庫という感じであった。

「来やしたね、兄貴。待ってやしたぜ」

 ルディは嬉しそうにムラコフを倉庫の中へと迎え入れたが、その後ろにいるマヤの姿を見て目を丸くした。

「へえ! これはこれは、酋長の娘さんがこんな場末の倉庫に何の用です?」

「私も工場の見学に来たのよ。酋長の娘なんだから、この島のことは何でも知っておかなくちゃ。いいでしょ?」

「そりゃまあ、あっしは構いませんけど……」

 ルディは納得できないという表情でムラコフとマヤの顔を交互に見回したが、そのまま何も聞かずに二人を倉庫の内部へと案内した。

 まず最初に案内された部屋には、刈り取られた後のサトウキビがうず高く積まれていた。

「こちらが、ラムの原料になるサトウキビの蓄えです。今年は特に豊作でした」

「雨がたくさん降ったからよね」

 少し得意げな顔でマヤが言った。

 それもそのはず、この島では酋長の娘であるマヤが雨を降らしていることになっているからだ。

「そうですね。――で、こうやって搾って汁を出します」

 ルディはその場で、サトウキビを一本手に取って搾って見せた。

「その後、搾り汁を煮詰めます。そうすると、砂糖の結晶が分離しますでしょ? その後残った蜜を水で薄めて、発酵させるんです。それでは、こちらへどうぞ」

 次に案内された奥の部屋は、窓がなく周囲よりも少し暗くなっていた。

「こっちは、樽で寝かせているところ。ちょっと試しに飲んでみます?」

「いいのか?」

「もちろん。兄貴のように、味がわかる人間は大歓迎でさぁ」

 ルディは熟成中のラムの樽の一つを開けて、ムラコフに飲ませてくれた。

「ちょっと薄いな」

「熟成中ですからね。コイツらは、これからこの樽の中で成長するんです」

 そう言うと、ルディは満足そうに黒い樽を叩いた。

「ところで、ラムの味は何で一番変わると思いやす?」

「ラムの味?」

 ルディの質問に対して、マヤが答えた。

「それはもちろん、原料になるサトウキビじゃないの?」

「サトウキビ? 違います。兄貴はどう思いますか?」

「うーん、水かな?」

「水も、もちろん重要です。でももっと大事なのは、この樽。樽の良し悪しで、味が変わってくるんですよ」

「へえ、樽で。面白いな」

 ムラコフはルディの説明に聞き入ったが、ちょうど話が一段落したところで、マヤが口を挟んだ。

「私は外で待ってるわね」

 やはり退屈だったのか、マヤはそう言い残すと、ルディの倉庫から出て行ってしまった。

「へえー、兄貴は酋長の娘とそういう関係なんですか? まったく、驚きやしたよ」

 マヤがいなくなったのを確認すると、ルディは「待ってました」とばかりにムラコフに問いかけた。

「そういう関係って、どういう関係だ?」

「またまた、とぼけないでくだせぇよ。酋長の娘といやあ、老いも若きも、どんな男が誘ってもまったく見向きもしねえんで、ちまたじゃ男嫌いって噂されてますよ。だのに自分の方から進んでついてくるだなんて、まったくこりゃぁたいしたもんだ!」

「そうか? ただ単純に、この工場を見学したかったんじゃ……」

「んなわけあるもんか! 最初からずっと退屈そうにしてたし、現に出ていっちまったじゃないですか。そうじゃなくて、兄貴についてきたかったんですよ。そうに違いねえ」

 ルディはその後他の部屋を案内して、その度にムラコフにラムを飲ませ、それから別れ際にこう言った。

「色々と事情はあるんでしょうが、まあ頑張ってくだせぇや。あっしは、兄貴を応援してますからね」

 そう言ってムラコフを送り出すと、ルディは「おみやげに」と言って、瓶詰めしたばかりのラムを一本持たせてくれた。

 外に出ると、マヤは暇そうに入口の前の階段に座っていた。

「退屈させて悪かったな」

「ううん、ムラコフ君が謝ることないよ。私が勝手についてきたんだから」

 マヤは立ち上がると、服についた砂を払った。

「お酒の良さって、やっぱり私にはよくわからないな。まあ、わかるはずもないんだけどね。そもそも私は、お酒が飲めないんだし」

「ふーん」

 それを聞いて、前にも一度考えたことのある疑問が、再度ムラコフの頭に浮かんだ。

 酒が飲めないというのは体質なんだろうか、それとも島の決まりか何かだろうか?

「決まりなんかないわよ。この島では老いも若きも、みんな水と同じようにラムを飲んでいるもの」

 尋ねてみると、マヤはあっさりと返答した。

「じゃあ、体質で?」

「うん」

 ムラコフが尋ねると、マヤは眉をひそめてこう言った。

「お酒って、本当においしい? 飲んだ瞬間、ムッとしない? それに飲み終わった後も胃がムカムカするし、何もいいことなんかないわ」

「そうか?」

 ムラコフは考えた。

「いや、そんなことはないだろ。それはたぶん、飲み方が悪かっただけだ」

「飲み方?」

「ああ」

 無理な飲み方をすれば確かに不快なだけかもしれないが、ちゃんとおいしい飲み方だってあるのだ。

「わかった、俺が証明してやる。……えーと、そうだな。とりあえず材料を持ってくるから、そこで待ってろ」

「うん?」

 不思議そうな顔をしているマヤをその場に残して、ムラコフは東の小屋へと走って行った。

 数分後。

 ムラコフが持ってきたのは、先程ルディにもらったラムと、それから前にマヤが持ってきてくれたヤシの実だった。

「ラムと、ヤシの実?」

「ああ、前から思ってたんだ。混ぜたら、たぶん美味いはずだ」

「え? 混ぜちゃうの? これとそれを?」

 困惑気味のマヤには構わず、ムラコフはヤシの実の上部をくり抜いて、そこへルディにもらったラムを注いだ。先程試し飲みさせてもらったらかなりアルコールが強かったから、ほんの少量でいい。それからさっきくり抜いた部分でフタをして、よく振って混ぜる。

 ムラコフは出来上がった液体を、試しに一口飲んでみた。

「どう?」

 不安げな表情で、マヤが尋ねる。

 それはラムの苦さとココナッツの甘さが溶け合って想像以上に美味だったが、言葉だけでは何とも伝えにくい味である。

 ムラコフは返事をする代わりに、ヤシの実をマヤに向かって差し出した。

「とりあえず、飲んでみろ」

「え? でも私は――」

「安心しろ、味は俺が保証する」

 マヤはしばらくの間ためらっていたが、ムラコフが差し出した手を引っ込めないので、やがて諦めたようにおずおずと口を付けた。

「……」

「どうだ?」

「……うん」

 実際に味を確認してみて、マヤはやっと安心したらしい。

「意外とおいしいかも」

「だろ?」

 マヤはようやく笑顔になって、さらにもう一口その液体を飲んだ。

「ねえねえ、これほとんどココナッツの味しかしないけど、本当にお酒が入ってるの?」

「ああ、ジュースみたいだろ?」

「うん、どんどん飲めるよ。ゴクゴク」

「どんどん飲め。なんなら全部飲んでもいいぞ」

「えへへ。私って、実は意外とお酒強いのかな?」

 嬉しそうに即席のカクテルを飲むマヤの横顔を見ながら、ムラコフはこう言った。

「オレンジとかココナッツとか、そういう甘くて味の強い果汁で割ると、アルコールの強さに気付きにくくなるんだよな。ジュースみたいだと思ってどんどん飲んでたら、いつの間にか歩けないほど酔ってたってことになるから、気を付けた方がいいぞ。男と二人だけの時は、特にな」

「え? それじゃまさか、私を酔わせる目的で?」

「俺に酔わされたいなら、そうしてやってもいいぞ。俺が先に酔うことはないから、介抱してやる」

 ムラコフがそう言うと、マヤは赤くなってうつむいてしまった。

 どうやらかなり、ムラコフの今の発言に動揺しているようだ。

「大丈夫、安心しろって。いくら俺でも、昼間はそんなことしないから」

「……ってことは、夜ならするの?」

「ああ、夜ならするぞ。なんなら今夜にでもどうだ?」

「ちょっと、あんまりからかわないでよ!」

「からかってない。本気だ」

「もう、余計に悪いよ!」

「ははは」

 声を出して笑っているムラコフに対して、マヤはふくれっ面をしてみせた。

「でも本当、意外においしいね。新しい発見かも」

「そうだろ? でももうちょっと、苦みがあってもいいかもな。うーん……パイナップルの汁でも入れたらいけるかも……」

「そう? 何でわかるの?」

「勘、かな? 長年ずっと飲んでると、何を何で割ったら合うかが感覚的にわかるようになるんだ」

「長年?」

「いや! まあそんなに長くはないけどな!」

 慌てて否定するムラコフを見ると、今度はマヤが「ははは」と笑った。

 それにつられて、ムラコフ自身もまた笑ってしまう。

「じゃあ今度は、ヤシの実と一緒にパイナップルも持ってくるね」

「ああ、よろしく」

 ほんのり赤く染まったマヤの頬を見ながら、ムラコフはふと思った。

 自分が酒好きなのはこの際ともかく、アルコールを人に勧めて飲ませてしまった。

「まあ、いいか」

「ん?」

「これだけ空が青いんだからな」

 そんな言い訳にもならない言い訳を口にしたムラコフの横を、涼しい潮風がサラリと吹き抜けていった。

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