人気者の悩み -2-

「「かわいいーー!」」


 仕切りのガラス窓に張り付くようにして、女性陣がきゃーきゃーと黄色い声を上げている。


 高校の教室二個分くらいの広い部屋一面にカラフルなマットが敷かれ、あちこちに様々な遊具が置かれている。他のお客さんがいないのをいいことに、遠慮なしに声を上げて騒ぎ倒すほとりと桃子。二人が見ているのはガラス窓の向こう側。部屋のあちこちで各々が好き好きに遊び、休み、じゃれ合ってのんびりと体を伸ばしている生き物。


 猫たちである。


「カフェはカフェでも、猫カフェか」


「いいところでしょ?」


 俺と湊斗はガラス窓近くの椅子に腰を下ろして、猫たちがくつろぐ猫ブースに目を向けていた。湊斗が楽しそうに視線を向ける先で、十数匹にもなる猫たちがただただ自由に過ごしている。


 岡山駅近くにある商店街の外れ、岡山駅から歩いて十五分ほどの距離にあるビルのワンフロアを使ったカフェ、猫カフェムーン。


 近年、メイドカフェや執事カフェなど異色なカフェが増えてきているが、猫カフェや犬カフェなどの動物カフェは誰でも気軽に楽しめるカフェだ。東京にもは虫類やらフクロウカフェやら様々な種類のカフェがオープンしていた。中でも猫カフェは最もメジャーな動物カフェといえるだろう。


「それにしても、岡山にも猫カフェがあったんだな。知らなかった」


 言ってはなんだが、岡山のような地方に猫カフェができるとは驚きである。


 俺がそんな言葉を漏らしていると、奥の部屋からやってきた男性がお茶菓子を載せたトレイを俺たちの机に置いた。

 二十後半ほどの若い男との人で、短髪の童顔に柔らかな雰囲気を持つ人だ。猫カフェムーンの店長、木原さんである。


「去年ようやくオープンできたんだ。認知度はまだまだ低いからお客さんの入りはぼちぼちだけどね。これは湊斗の友だちだからサービスだよ。ドリンクバーは好きに飲んでね」


「ありがとうございます。いただきます」


 ガラス窓に同化するように張り付き猫を眺める女性陣の代わりにお礼を言う。


「見て見てヒノミヤン! 本物のヒマラヤン!」


「喧嘩売ってんのか桃太郎」


「桃太郎って言うな!」


「猫がびっくりするからでかい声出すな」


 カメラを持ち上げ、ガラスの向こうの猫を眺めるほとりの横顔をカシャリと一枚。


「騒がしくしてすいません」


「あはは、こちら側ならある程度は大丈夫だよ。中だと言う通り、猫が驚いちゃうけどね」


 動物とは繊細な生き物だ。知らない人と接することが多い猫カフェの猫たちといえど、長時間ストレスを与えれば体調を崩すこともあり得る。騒いで猫に悪影響を及ぼそうものなら目も当てられない。


「あのあの! 中に入って写真撮ってもいいですかっ?」


 興奮した様子でカメラを手に尋ねるほとりに、木原さんは笑顔で頷く。


「もちろん大丈夫だよ。ただ入る前に入り口に置いてあるアルコールできちんと消毒をお願いします。あとカメラのフラッシュは使わないでね。失明しちゃうこともあるから」


 動物を扱う以上、ルールを守ることは非常に大切だ。猫カフェムーンさんも利用する上での大事な約束事があちこちに記されており、マナー管理を徹底している。


「ああああ! しまったスマホの容量一杯になった忘れてたっす! ほとりん、猫の写真あとで送ってもらってもいいっすか?」


「もちろんだよ。ほらほらいこう!」


 賑やかなやりとりをしながら、ほとりと桃子はアルコールでしっかりと手を消毒する。そして、猫たちがいる部屋に続く二重扉を通って、猫たちがいるブースへと入っていった。


 多種多様な猫たちはよくしつけられているようだ。ほとりや桃子が同じ空間に入ったにも関わらず、目を向けるどころか意にも介さず各々が各々にくつろいでいる。

 桃子は椅子の上であくびをしている猫と視線を合わせ、頭を撫でて声を上げそうになるのを必死に耐えている。

 ほとりはマットにうつぶせになり、毛繕いをしている三毛猫にカメラを向けてほくほく顔だ。


 二人のはしゃぎように湊斗は笑みを浮かべ、トレイからチョコを一つとって口に運ぶ。


「木原さんとは家が近所なんだ。昔からお世話になってて、時々寄らせてもらってる」

 

「こっちこそ湊斗には助けてもらってるよ。いつもたくさんの女の子を連れてきてくれるしね」


 ああ、その光景は目に浮かぶな。


 高校に入学してまだもないというのに女子から絶大な人気を誇る湊斗が声をかければ、大抵の女性陣が付いてくるだろう。問題がある気がしないでもない。そのうち刺されるぞ。


 俺の乾いた視線に気づいたのか、湊斗は眼鏡の向こうで眉を曲げる。


「言っとくけど、僕が女の子たちに声をかけてるんじゃないからね。遊びに行こう遊びに行こうってしつこく誘われるから、ゆっくりくつろげるここを勧めてるの」


「猫とじゃれてたら女子の相手をしなくてすむと?」


「猫たちに女性陣の相手をしてもらって、僕はこっちのスペースでゆっくりお茶を飲むの」


 ……すごい発想だ。


 湊斗が端正な顔を歪めて頭に手をやる。


「だってみんなしてよってたかって僕を連れ回すんだよ!? こっちの都合も考えないでさ! 今日だってようやく一人の時間を作れたんだ! みんななに? 僕のことをマスコットかなにかと勘違いしてない!? いくら僕でも疲れるんだよ!」


 次第に言葉が荒くなりながら取り乱す湊斗。


「漏れてる漏れてる。闇が漏れてるぞー」


 俺は苦笑しながらビスケット一つ取って口に運ぶ。


「そりゃあ闇の一つや二つ漏れるよ! 僕の楽しい高校生活はどこにいったんだ!」


 慣れたことなのか湊斗の様子に木原さんは笑みをこぼしている。


「普通の男子は女の子に囲まれたら嬉しいものなのに、それを当たり前に喜べない湊斗にはちょっときついだろうね」


「普通だったらいいんだよ! 木原さんだって見てるでしょ僕に付いてくる女の子たちを! お互い僕のこと取ろうと牽制し合うから空気滅茶苦茶悪いの! 僕だって心がすり減るよ!」


 うわぁ……それきつそう……。


 思えば小学生のころから湊斗の奪い合いは発生していた。ずいぶんませた子どもがいたもんだが、触発されるように徐々に輪が広がっていき、湊斗の好きだという女の子が量産されていた。モテすぎるというのも考えものだ。


 湊斗は一通り闇を吐き出し終えたのか、眼鏡のブリッジを指で上げてため息を一つ落とした。


「ああ、でもやっぱり猫はいいね。見てるだけで癒やされる。僕の心が癒えていくよ」


「たしかにかわいいな。ガラス越しで見てる分には」


「あれ? 真也って猫苦手だっけ?」


「そういうわけじゃないんだけど……」


 俺は言葉を濁しながら、猫空間で楽しげにしているほとりと桃子にカメラを向ける。二人がこちらに気がつき、抱きかかえる猫と満面の笑みを浮かべたところでシャッターを切る。


「みんなは、瀬戸高の写真部なんだってね」


「はい。まだまだ始めたばかりの部活なんですけどね」


 人づてに写真部の話はそれなりに広がっており、料理研究部以降も簡単な撮影依頼がぽろぽろとやってくる。今のところ難しい依頼はなく、問題なく達成できている。


 ほとりは相変わらずだ。相変わらず、違和感を覚える。


 猫たちにカメラを向け、緩みきった表情を浮かべるほとりは、別段おかしなところはない。誰かと話をしてるときも、楽しげに高校生活を送っているときも、ほとりらしく生き生きとしている。


 だがそれでも、ほとりの撮影する写真はやはりおかしい。最初はほとりの言う通り、ブランクがあるからだと思っていた。青葉さんが亡くなってからまったくカメラに触ることなく、最近また始めたばかりだから、以前のように写真が撮れないのだと。


 しかしそれもよく考えれば少しおかしな話である。


 俺は雑誌やメソッド本を読み、勉強をして得た技術や知識をカメラに生かしている。

 だがほとりの場合、自己流で特に明確な撮り方もなく好きなように写真を撮っていると、ほとり自身が言っていた。そこにブランクのようなものが、明確に表れるものなのかどうか。高校受験のときから再びカメラを始め、かれこれ数ヶ月はたっているはず。それでもほとりの写真はおかしなままだ。


 俺がカメラを見下ろし黙り込んでいると、木原さんが少し考えるように腕を組んだ。


「写真部か。もしよかったら、相談させてもらってもいいかな」


 俺が首を傾げると、木原さんはちょっと待ってと言葉を残してバックヤードに下がった。再び戻ってくると、その手には猫カフェムーンのパンフレットが握られていた。といっても、テーブルに置かれているパンフレットとはまた別のもののようだ。


「お店を始めてみると、始める前と後では書くべきと思うことが違ってね。パンフレットを作り直そうかと思っているんだけど、ちょっとぴりっとした写真じゃなくてね」


 木原さんから手渡されたパンフレットを広げる。横から湊斗ものぞき込んでくる。


 レイアウトや文章に関しては門外漢もいいところ。写真だけに目を向ける。

 店内の写真を始め、猫たちが従業員の顔写真のようにずらりと並び、どの猫もかわいらしく写っている。料金やシステム、スタッフや店内でのルールに付随した写真も載っている。


「なにか問題なの?」


 湊斗が尋ねると、木原さんはわずかに眉を曲げた。


「なんかね、かわいいんだけどそれだけっていうか。なにかが足りないかなって思うんだよね」


 木原さんが気にしている部分は、店内やスタッフの写真はなく、猫の写真のようだ。明確に完成形を思い描けているわけではないようだが、言わんとしていることはわかる気がした。


「猫の写真、この写真を撮った人は誰ですか?」


 猫の写真は十数枚。猫の目線はしっかりとカメラを向いており、どんな顔の猫かがよくわかる写真だ。名前と誕生日、それからそれぞれに好きな食べ物やおもしろい癖などの一文が添えられている。


「知り合いにペットショップで働いている人がいてね。その人に撮ってもらったんだ。だから写真家やプロではないんだけど、なにか変に感じる?」


「写真自体が悪いってわけじゃないと思うんです。どの猫もかわいく写っていると思います。ただ、先入観のない素人目線で言わせてもらうと、猫カフェ感がないんじゃないかと」


「猫カフェ感?」


「はい。この猫たちの写真を見て、このパンフレットのお店が猫カフェだとわからないのでは、ということです」


 俺はガラス窓の向こうを見やる。


 別世界にトリップしているほとりと目が合った。こっちの世界に戻ってこいと手招く。名残惜しそうに肩を落としながら出てくるほとり事情を説明すると、真剣な表情で考え込み始めた。


「わ、私も素人なんで偉そうなことは言えないですけど、人を入れるのはどうでしょう」


「人……かい? それならスタッフのところに……」


 パンフレットの従業員写真を見る木原さんに、ほとりは手をぱたぱたと振る。


「あっえっとすいません。そうではなくて……」


 口下手で必死に言葉を選び混乱するほとりの代わりに、同じことを考えていた俺が答える。


「さっき湊斗が言ってましたけど、猫カフェって猫に癒やされる場所じゃないですか。たしかに、猫や犬って写真だけでも癒やされます。けど、触れ合って癒やされている人っての入れた方が、よりわかりやすくなると思うんですよね」


「そうそう! そういうことです!」


 ほとりが首をぶんぶん振りながら賛同する。


「それと、たとえば猫を一匹一匹一枚の写真にするのではなく、猫が十匹まとまってじゃれている写真とか、体を寄せ合って眠っている写真とか、猫カフェでないと見ることをできない写真もいいかと思います」


「……なるほど、たしかに言われてみれば、この写真だけだとここがどんな場所なのか伝わりにくいものね」


 木原さんが難しそうに顔を歪めてパンフレットに目を落としている。


 そこでほとりがびしっと手を上げた。


「さ、差し出がましいかもしれませんが、今なら他のお客さんもいないので、私たちが少し写真を撮りましょうか? しゃ、写真部の活動の一環としてよろしければ、ですけど?」


「本当かい? 願ったり叶ったりだよ。なら今日の料金はサービスするから、写真撮影お願いしてもいいかな?」


「は、はい! 喜んで!」


 嬉しそうに声を弾ませ頷くほとり。


 ……私たち……写真部かぁ……嫌な流れだな。


「人を入れるんだったらほとりの方が得意だろ。しっかり頼むぞ」


「が、頑張るっ」


 風景や動物のみの写真であれば俺でも撮ることもできるが、やはり人を含めた写真を撮るならほとりの方が慣れている。

 人を撮る際、俺は相手の視線を気にして戸惑ったり、いつも通り撮ったりすることができないことがある。だがほとりは対人コミュ力はミジンコくらい乏しいのに、人にカメラを向けることに関しては一切抵抗を感じない。相手が怯むほどぐいぐい写真を撮りにいく。


 つまり今回、俺は写真を撮らなくてもいいのだ。ほとりに任せてもいいのだ。


「というわけで湊斗、客寄せパンダよろしく」


「……え? なにがというわけなの? 客寄せパンダ?」


「お前のイケメン面が役に立つ貴重なチャンスだ。モデルとしてベストスマイルよろしく。女の子たちに削り取られた魂を存分に回復するがいい」


 話を理解した湊斗が引きつった笑みを浮かべる。


「きゃ、客寄せパンダって……。僕にモデルをさせるなら真也もやりなよ。不公平だ」


「俺は外からのんびり写真を撮らせてもらうよ。それに俺の面なんてパンフレットに載せたらお客さん来なくなるだろ」


「それは当然そうだろうけど」


「ぶっ飛ばすぞ」


 さらりと同意してんじゃねぇ。


 俺たちのやりとりを見ていた木原さんが楽しげに笑う。


「もし日宮君も協力してくれるなら嬉しいけど、アレルギーとかあったりするのかな?」


「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど、どうにも動物とは相性が悪くて」


 人ともいいわけではないけど。


 逃げる体勢に入っている俺の肩が、がしっと捕まれる。


「部長命令。モデルはともかく一緒に入って、写真を撮ってください」


「……お前、わかって言ってんだろ」


「私だけだったら写真が偏っちゃうよ。ガラス越しだとよくないし。二人で撮ってそこからいい写真を選ぶ。いつも通りにしましょうね」


 写真を再発足するにあたり、ほとりと決めた約束事。写真部の依頼はどちらかの写真ではなく必ず二人で撮影し、一番いい写真を選ぶ。写真部の依頼は競争ではなく依頼主の要求に応えること。二人で最善を尽くすことにしていた。


 それを言われるときつい。


「その写真にはきっと、かわいいが写ってるよ……ぷぷっ……」


「笑ってんじゃねぇよ……」


 断ることもできず押し切られる形で、深々とため息を吐きながらカメラを手に席を立つ。


 案の定、桃子と湊斗にげらげらと笑われた。


「あははははは! ちょ、ちょっと待つっす! なんでしんやんそんなに、くふふふっ」


「すごっ、なんでそんな、囲まれてるの、ははっ、……」


 猫を驚かせないように必死に笑いを噛み殺しているが、それでも漏れた笑みに腹が立つ。


 猫ブースの隅に座り込むと、部屋のあちこちに散らばっていた猫たちが一斉に俺の方に寄ってくる。小さな入り口でつながっている隣部屋からもぞろぞろぞろぞろ這い出てきて、二十を超える猫にまとわりつかれる。膝の上に、両肩に、頭の上に、よってたかってすり寄ってくる。


 猫ブースに入りたくなかった理由がこれである。俺はなぜか動物というものにむやみやたらとモテる。もう鬱陶しいほどにモテる。


「なんなんですか……っ。しんやん、体中にマタタビ擦りつけて来てるんすか……っ?」


「んなわけねぇだろ……」


 どこの世界に全身からマタタビ臭放って外出するやつがいるんだよ。


 空調でちょうどよい室温に管理されているにも関わらず、猫たちが体を寄せ付けてくるせいで非常に暑い。すぐ額に汗が浮かび始める。カメラは事前に湊斗に預けているので無事だ。舐められて故障でもしたら目も当てられない。

 木原さんも目の前で起きている光景がよほど珍しいのか、不思議そうに目を丸くしている。


「こ、こんなの僕も初めて見たよ……」


 猫に取り囲まれるオブジェを撮影していたほとりが楽しそうに笑った。


「真也君は昔から動物によく懐かれるんです。なんでかわからないんですけどね」


 俺もなんでかわからない。わかるなら全力で対策が取りたい。


「たしかに、猫たちもすごいくつろいでる」


 すごいことだと褒めるように言う木原さん。


 人によっては長所だと思う点なのかもしれないが、俺はぜんっっぜん嬉しくない。


「お兄ちゃんと奈良に遊びに行ったとき、鹿の群れに追いかけられるって事件があったよね」


「……ああ、あのときはマジで殺されるかと思った」


 初めて間近に見る鹿という生き物。

 俺は嬉しくなって、少し鹿に近づいて写真を撮ろうと思っただけなのだ。そうしたら周囲一帯の鹿が、獣色の津波のように一斉に追いかけてきた。情けない悲鳴を上げながら全力疾走で逃げたものの、相手は最大時速数十メートルにもなる野生の獣。逃げ切れるはずもなく、服を噛まれ腕を舐められ、体中をべとべとにされて半べそ掻いた最悪の思い出である。


「えっと、木原さん。パンフレットに載せる写真、『もしかしたらこんな幸せになれるかも!』ってキャッチフレーズでこの写真使うのはどうでしょう」


 おいなに提案してんだ。だいたい今の俺幸せそうな顔なんてしてないだろ。


「……おもしろいかもしれないね」


 そして木原さんも賛同しないでいただきたい。たしかに傍目から見れば笑えるだろうけど。


 不満げな俺の視線に気づいたほとりが笑う。


「さっき真也君が言ってたじゃない。猫カフェでしか見ることができない写真を使うって。少なくともこの写真は猫カフェじゃないと撮れないよ」


「そんなこと言いましたねこんちくしょう」


 ここぞとばかりにからかってくるほとり。いつか復讐してやる。


「真也君は周りから興味もたれやすいんだよね。人でも動物でも。遊びに行った先とか旅行先とかでも、子どもなのに写真を撮ってほしいって頼まれるの」


「なんでかっすかね。存在がおもしろいからっすかね」


「真也って雰囲気が人たらしなんだよね。性格は適当でがさつだけど」


 言いたい放題である。


 膝の上で首を持ち上げてこちらを見上げてくる猫のあごを撫でてやる。かわいいはかわいい。だがここまで来るとさすがに疲れを感じざるを得ない。


「ああもう、俺も写真を撮るんだお前らいい加減離れろ。湊斗、ほらカメラ」


「くくくっ、はい」


 猫をふりほどきながら笑いを噛み殺す湊斗からカメラを受け取り、毛並みのいいペルシャを代わりに渡す。


「……なんか僕より真也に気がありそうだけど」


 ペルシャは湊斗の腕から逃れて俺に飛びつこうと体をじたばたよじっている。


「そこはお前のイケメン面で籠絡しろ」


「動物相手に無茶言わないでよ」


 湊斗の腕に抱かれても、未だに俺に視線を向けて手足をばたばたさせる猫に、カメラを向ける。しばらく構え、猫の視線がこちらを外れたときに、シャッターを切る。


「あれ? 猫が見ている間に撮らないのかい?」


 俺がシャッターを切ったところを見ていた木原さんが聞いてきた。


「いろんな仕草をしている写真を撮った方が、バリエーションが豊かに見えるんですよ。パンフレットの写真、全て猫がカメラ目線でした。それだとパターンが決まりすぎて、薄い印象を受けるかなと」


 現行パンフレットの撮影者はペットショップで働いている人。その人が普段撮る写真とは、自分に共にいたいと感じる動物だとわかる写真のはずだ。だからしっかりと顔がわかる写真を撮ったのだと思う。


「たとえばこちらを見ている写真、見ていない写真、ただ寝ている写真、あくびをしている写真とか、そういういろんな写真を載せた方が、内容に厚みが出ると思います」


 パンフレットの写真が一枚だけならインパクトの強い写真で十分だ。しかし、複数枚の写真を並べる際に全てが同じインパクトの強い写真や同じ構図で撮った写真だと、抑揚のない内容になりかねない。


 マットの上でうつぶせになり、カメラを構え、寄ってくる猫を撮影する。


 アングルを変えて撮影することも大事。体中に猫の毛が付くだろうが仕方がない。だいたい最初に囲まれたときに体中は毛だらけである。


 ほとりも自らのカメラを手に、必死に猫にレンズを向けている。

 俺があれこれ考えながら写真を撮っている間にも、ほとりは一心不乱に写真を撮る。

 ほとりがカメラを構えている間に、ほとりが狙っていたメインクーンが俺の方へ駆け寄った。


 数瞬後、シャッターが切られる。


「あーもう、全部真也君の方に行っちゃうよぉ……」


 撮影したばかりの写真を眺めながら、ほとりがぷくっと口を膨らませる。


 なんだろう……今、なにか違和感が……。


 突然、猫が顔に跳びかかってきて視界が真っ暗になる。ぺりぺりと引きはがして桃子の頭の上に置き、くるりと丸くなったところを写真に収める。


「それにしてもここの猫たち、すごい人に懐いてますね」


 一度東京で猫カフェが流行したときに行ったことがある。そのお店の猫もやたらと俺に絡んできたが、ここまでわかりやすく人懐っこくはなかった。


 木原さんが少し嬉しそうに笑いをこぼす。


「できるだけお客さんに楽しんでもらえるようにって、世話をしてるとこうなったんだよね。結構評判がいいんだ」


 そうこうしていると、入り口に数人の女性がやってきた。お客さんのようだ。


 木原さんがなにか言う前に、湊斗が手早くブースの外に出て対応を始める。明らかに通常営業とは違うことをしているので、お客さんが入ることはよろしくない。こういうときコミュ力強者は助かる。特に女性に対して湊斗は最強。最終兵器湊斗。


「とりあえず私の方はかなり写真撮れたかな。真也君は?」


「俺も大丈夫だと思う」


 俺が頷くのを確認すると、ほとりは木原さんに向かった。


「今回の写真は、選別と整理をしてまた後日お持ちしようと思うんですけど。それでも、よろしいでしょうか?」


 少したどたどしいながらも、部長らしく提案するほとり。

 新たにお客さんが来たこの状況で写真の選別をすることはできない。妥当な判断だ。


「もちろん大丈夫。いきなりのお願いなのに本当にありがとう」


「い、いえ、こちらこそありがとうございますっ」


 嬉しそうにびしっと頭を下げるほとり。


 そんなやりとりをしていると、湊斗が戻ってきた。お客さんには事情を説明すると、少し待つくらい構わないとのことだった。


「じゃ、じゃあ最後に、木原さんの写真を撮らせてもらってもいいですか?」


 写真撮影の依頼報酬は依頼主の写真。写真部気泡方針もほとりはしっかり忘れていない。


「せっかくだから桃ちゃんや結城君も入ろうか。猫ちゃんたちと一緒に」


「じゃあそうさせてもらおうかな。真也も入りなよ。猫たちが寄ってくるからちょうどいいでしょ?」


「ええ……」


 別に依頼主と一緒に写真部員が写真に写ってはいけないルールがあるわけでもない。実際これまでの写真部の活動でも、依頼主と一緒に写真部員が写っている写真もあった。

 どうしようか考えている間にも、体中に猫たちがまとわりついてくる。何事かとブースの外から女性客が笑いながらのぞき込んでいる。お客さんもいるし、致し方ない。


 あまり写真写りがいい方ではない。気は乗らないのだけど。


 猫たちに囲まれたまま遊具を背に腰を下ろし、周囲に木原さんたちが並ぶ。


「えーと……」


 ほとりがカメラを構えてマットの上に片膝を突き、猫たちがいる低い位置に陣取る。


 ほとりの持つD80に使われているレンズは視野角が固定された単焦点レンズ。人の視野角と範囲が近いタイプを用いており、カメラを始めてからほとんど同じレンズを使っていることもあって撮影位置選びに迷いがない。


「はーい、じゃあいきまーす」


 フィアンダーをのぞき込みながらほとりが声をかける。


 みんなの視線がほとりの手にあるカメラへと向かい、シャッターが切られるのを待つ。

 だが猫たちに待てというのも無理な話。一匹ならまだしも、気まぐれな猫たちである。


 俺の頭によじ登っていた人懐っこいシャム猫が、カメラを構えるほとり目がけて跳んだ。


 突然の出来事に、全員の視線がカメラから外れる。


 直後、シャッターが切られた。


 跳んだ猫がほとりの頭に着地し、ほとりはカメラを落としそうになりながらも踏みとどまる。


「いたっ……ええっなにっ!?」


 頭に乗っかり髪を引っ張り始めるシャム猫に、ほとりが驚いて声を上げる。


「おおっ、猫好かれ体質がほとりんにも移った」


「でも今のおもしろい写真が撮れたんじゃない?」


 ほとりは困り顔ではあったが猫を抱えたままどこか嬉しそうに、撮影した写真を確認する。


「あ、うん、大丈夫みたい。木原さん、ありがとうございました」


「お礼を言うのはこっちだよ。写真、楽しみにしてるね」


「はいっ」


 ほとりは部長らしく、はっきりと返事をした。


「……」


 俺は体中にへばりついている猫を一匹一匹引きはがしてマットの上に転がしていく。


 体中に付いた猫の毛を払い落としながら立ち上がり、深々と息を吐き出した。



 やっと、理由がわかった。

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