人気者の悩み -1-

「それではいきまーす。はい、チーズ」 


 岡山駅の待ち合わせスポットとして有名な桃太郎像の前で笑う三人の女子大生を、彼女たちから渡されたスマホで写真を撮る。

 緊張で背中にだらだらと汗が流れていく感触が、気持ち悪く情けない。


「ありがとうございます!」


 見ず知らずの女子大生はテンション高く頭を下げながら、俺からスマホを受け取った。


「おお、すっごい綺麗に撮れてる。ウケル。さすがいいカメラを持っている人は違いますね」


「いえいえ、それほどでは。ああ、それと、もしよろしければ、皆さんの写真を僕のカメラで撮らせてもらってもいいですか?」


 俺は首から提げていた一眼レフに触れながら尋ねる。


「私たちを?」


 女子大生さんたちはお互いに顔を見合わせていた。


「はい、出会いの記念に。誤解がないように言っておきますと、誓ってネットに上げたり誰かに渡したりはしません。ただ、思い出になればと」


 自分でも微妙なことを言っていると理解しながらも、いつも通り偽りなく伝える。


「そういうことでしたらオッケ! その代わり可愛く思い出に残してくださいね」


 ノリよく受けてくれた女子大生さんに、俺は笑ってカメラを上げる。


「大丈夫です。皆さん美人ですから写真を撮るだけで写真が色めきます」


「まあこの子わかってるじゃん! お上手ね!」


 女子大生さんたちはきゃっきゃっと盛り上がっている。


 テンション高い。本当にテンション高い。着いていくだけで精一杯である。

 俺は再び桃太郎像の前に並んでくれる女子大生さんたちに、カメラを向ける。写真を撮らせてほしいとお願いするときとは裏腹に、自分のカメラで見知らぬ誰かを撮るときはいつも緊張する。汗が手にじとりと広がるのを感じながら、シャッターを切る。


 お互いにお礼を言い合いながら、女子大生さんたちと別れる。


 人生、なにがきっかけになるかわらからないと、最近常々思う。楽しげな感情溢れる女子大生さんたちを写すカメラへと目を落とす。あの日、ほとりと青葉さんに出会うことがなければ、きっとカメラに触れることはなかった。


 もしかしたらなにか他に打ち込めることを見つけていたかもしれない。なにもやることがない無為な生活を送っていたかもしれない。ただ一つ間違いないのは、今の俺はカメラを手に送る生活が楽しいということだ。


 そんな週末の休日、俺はボーダーのポロシャツにジーンズという簡素な服装で、岡山駅まで出てきていた。


 女子大生たちと別れると同時に、ちょうどほとりたちがバス停の方から歩いてきた。


「おーい、真也くーん」


 出会ったばかりのころからは考えられないほど親しく話すほとりと、なにやら口にくわえた桃子がやってくる。


 ほとりは丈の長いスカートに白いカーディガンを羽織っており、写真を撮りながら来たのか首から愛機であるD80を提げている。


 桃子はまだ四月の終わりだというのに、半袖パーカーにショートパンツという露出度の高い格好だった。口にくわえていたのはどこかで買ってきたのかメロンパンだ。


「悪いっすね。寝坊して、朝なにも食べてなかったもんすから。そっちはナンパっすか?」


 むしゃむしゃとメロンパンを食べながら桃子はにやにやと笑っている。


 俺が女子大生たちと話しているのを見ていたようだ。


「写真撮ってほしいって頼まれてただけ。大学四年になって、暇だから友だちと旅行してるんだって」


 撮影したばかりの写真を見せながら答えると、ほとりが楽しげに笑った。


「相変わらず真也君は写真撮るの頼まれるね。しかもちゃんと真也君のカメラを撮らせてもらってる」


「せっかくだからな。もう会わない人だとしても、写真に撮っていればちゃんと思い出になるからな」


「しんやん、キャラじゃないんだからそんなロマンチックなこと言わないでくださいっす」


「ほっとけ」


 キャラじゃないことくらい自覚しとるわ。


「そういえば、後楽園で写真撮るの頼まれて遅刻したとかって言ってたっすね。見てくれはまともに見えるのにぶっ壊れてるっすよね」


「……マジでほっといてくれていいですか?」


 黒歴史を引っ張り出さないでもらいたい。ついこの間の話だけど。


「図書館の用事はもう終わったの?」


「ああ、今日は本を返しに行っただけだから」


 週末一緒に買い物に行かないかと、ほとりから誘われたのは金曜日のこと。


 日曜日に岡山駅近辺を桃子と回る予定だったらしい。図書館に本の返却以外に特に予定はなかったので、せっかくなので付き合わせてもらうことにした。

 俺とほとりの家は近いが、俺は図書館に本を返す予定があったため岡山駅集合になった。


「今日はどこにいくつもりなんだ?」


「とりあえず適当にぶらぶらしながら、服とか雑貨を見るかな。これといって決めている場所はないよ」


「だったらどこかで紀伊國屋寄ってもいいか? 新書をチェックしておきたい」


「あはは、もちろんだよ」


 ほとりは楽しげに笑いながら、ぶらりと歩き始める。


 メロンパンを食べ終わった桃子がうーんと体を伸ばしそれに続く。


「それにしてもしんやん、どれだけ本好きなんすか? 図書館に行っても足りないんすね。私なんて、年に何冊も本読まないっすよ」


「岡山県立図書館の入館者数と貸出数は全国一だ。お前が読んでなさ過ぎるんだよ。たしかに桃子と本ってミスマッチにもほどがあるけど。鍋敷きとか、漬け物石に使ってそう」


「……失礼っすね。まあたしかに料理本を鍋敷きにしたことならあるっすけど」


 あるんかい。


 前を歩いていたほとりがくるりと回ってカメラを構え、シャッターを切った。

 何気ないひとときを撮影するときでさえ、ほとりは楽しげだ。


「二人が仲良くなってくれて本当によかった。これで写真部も安泰かな」


 いくらなんでもそれで安泰は気が早すぎると思う。


「きびだんご食わされたら桃太郎さんには従わざるを得ないからな」


「桃太郎って言うな! また食わせるっすよ!」


 鞄から取り出した保冷ケースに収めたきびだんごを突きつけてくる。本当になぜ持ち歩いている。


「だいたい両手に花で休日にお出かけとか、クラスメイトが聞いたら卒倒するっすよ。感謝するっす」


「涙ちょちょぎれるわー」


「わー棒読みっすねー」


 俺たちのやりとりに、ほとりはまた楽しそうに笑い、シャッターを切っていた。


 これまで通り、昔と同じように写真を撮るほとりは、本当に幸せそうで楽しげだ。

 青葉さんが亡くなってから、もう三年。

 いや、ほとりにしてみればまだ三年なのかもしれないが、青葉さんと写真を撮っていたとき同様、写真が好きという気持ちは変わっていない。

 ほとりの写真に対する違和感の正体は、依然掴めていない。違和感があるだけで、それ以上なにかがあるわけでもない。写真部の活動にしても特に問題というほどのものではない。


 だからこそ、どうすればいいかわからない。このままではいいわけがないと感じているが、結局のところ俺にはわからない。


 首から提げているカメラに手を触れながら、岡山の街々に目を向ける。

 久々の岡山は、俺が東京に行ってからそれほど変わっていないのかもしれない。それでもなぜだかじっくり見てしまう。俺がいない間にも時は流れ、少しではあるが確実に変わっている街の風景。そして住んでいる人たちも、俺たちも変わっている。


 きっと、ほとりも。


 桃子は女子高生らしくテンション高く駆け回り、ほとりがわちゃわちゃとしながらそれに続き、さらに後ろを俺がのんびりと歩く。


「そういえば前から気になってたんすけど、しんやんのカメラはズームができるっぽいっすけど、ほとりんはズーム使ったりしてないっすよね?」


 突然の質問に、俺とほとりは顔を見合わせる。


「私のレンズは単焦点レンズっていって、ズームができないレンズなんだ」


「ズームができない? カメラって本体にズーム機能があるんじゃないっすか?」


「コンパクトデジタルカメラとかスマホのカメラはそうだけど、一眼レフカメラは違う」


 俺は首から提げていた自分の一眼レフカメラ、D7500を桃子に見せる。


「一眼レフカメラでなにを撮影できるかは、取り付けたレンズによって決まる。ボディは露光やセンサー感度、ホワイトバランスとか、まあ撮影のいろんな設定を行う役割を持っているけど、外部から光を取り入れる部分は全てレンズが担ってる。ズームに関してもそう。こうやって、レンズを回すとズームをしたり、ピントを合わせたりすることができるんだよ」


 実際にカメラの画面をライブビューにして、ズームとピント調整を実践する。


「それで、ほとりの使っている単焦点レンズっていうのは、俺のズームレンズみたいに視野を可変することはできない、そもそもズームする機能がないレンズなんだ。その代わり、写りがよかったり、単焦点ならでは撮り方ができたりするっていうメリットもある」


「でも、ズームができないんなら、アップで撮りたいときはどうするんすか?」


「そういうときは――」


 ほとりは流れるような動作で、桃子のすぐ目の前に駆け寄ってシャッターを切る。


「単焦点使いは足で接近するのです。自分で撮りたい写真を撮るために、自分の体を動かして撮影ポイントを探すの」


「おお、なるほど。カメラマンっぽいっすね」


 すぐ近くでシャッターを切られたにも関わらず、慣れたことなのか桃子は動じた様子もなく腕を組み納得している。


「ま、まあ、ズームしたいって思うときもあるにはあるかな。私はずっと単焦点レンズだから、こっちが向いていると思うけど」


 実際、単焦点レンズにはデメリットもある。どんな写真を撮影するにも自分が動かなければ目的の構図で撮れない。だから場合によっては、撮りたい構図で撮れないこともあり得る。だが、自分の足で動くからこそ、同じ視点に捕らわれることなく写真を撮ることができる強みもある。撮影技術の向上には単焦点レンズを使え、と言い切る人もいるほどだ。


「最終的には、自分に合っていると思うカメラとレンズを使えばいいんだよ」


 入学祝いに父さんが勝ってくれたD7500は、レンズも同梱されているレンズキットで、ズームレンズがセットで付いていた。そのレンズは俺にとって非常に使い勝手がよかった。他にもいくつかレンズを持っているが、ほとんどレンズを交換することなく写真が撮れている。


「たしかにカメラ関係の道具って、かなり高そうっすもんね。高校生がほいほい買えないっすか」


「店に見に行くことは行くけどな。本当に高すぎて手が出ないけど」


「カメラ見に行ったりするのって、やっぱりカメラ屋さんとかに行くんすか?」


「カメラ屋にもあるけど、最近は家電量販店とか、あと中古ショップにもあるな」


「私も、見る分にはね。雑貨屋さんとかにもアルバムや可愛いカメラアクセサリとかあるし」


「へぇ、一言にカメラって言っても、いろいろあるんすね」


 うんうんと頷き感心する桃子に、ほとりが目を輝かせながら近づいた。


「なになに桃ちゃん、ようやくカメラに興味出てきた? 写真部に古いカメラだけどあるから使ってみる? 使い方は私がレクチャーするかな。どう? どう?」


 嬉しげな表情でずいずい近づいていくほとりに、桃子は楽しげに笑う。


「お誘いは嬉しいんすけど、私はそんなカメラを使いこなせる気がしないので、当面はスマホで十分っすよ」


 桃子は桃子で写真部とは関係なくよくスマホで写真を撮っている。


 とはいえ、中学時代からほとりとずっと一緒にいたというが、桃子はあまりカメラのことを知らない様子だ。中学入学と同時に知り合い三年。思えばほとりは、中学時代にまったく写真を撮らなかったと言っていた。そもそもカメラの話をする機会自体がなかったのだろう。


 カメラを持つ俺が写真部に入り、これまで話題に上げにくかった写真のことを話しやすくなったのかもしれない。俺が岡山に帰ってきたことで、ほとりや桃子になにかいいことがあったのであれば、嬉しいけれど。

 内心笑みをこぼしながら、何気なくカメラの話題で盛り上がっている二人を撮影する。俺のカメラには珍しい人物写真が、女子大生たちに続き入った。その写真を見ると再び笑いが漏れた。


 写真をモニターで確認していると、視界の隅で誰かがこちらに近づいてきた。


「ああ、やっぱり真也だ」


「……なんだ湊斗か」


 カラオケかイベントの客引きかと思って無視しようとしたのだが、知り合いだった。現れたのは瀬戸高一年が誇るクールイケメン湊斗だ。淡い青色のシャツにジーンズという、なんとも涼しげ服装が爽やかさを助長している。


「街の往来でカメラ片手に騒いでるやつなんて、真也くらいしかいないもんね」


 にやにやと笑みを浮かべながら湊斗が言う。


「うるさいその眼鏡へし折るぞ」


 それに忘れないでもらいたい。この場にカメラを持って騒いでいる人間はもう一人いる。


「あ、結城君、こんにちは」


 やってきた湊斗に、ほとりが気づく。


「こんにちは、初瀬さん。今日は写真部で仲良くお出かけ?」


「うん、まだまだ駆け出しなので、親睦もかねてかな」


 初対面やあまり親しくない人とは緊張ばかりするほとり。しかし、湊斗とは小学生時代に結構話しているので、自然と会話ができている。


「およよ? こちらのイケメンさんは誰っすか?」


 同じ中学とはいえ湊斗とは初対面だったのか、桃子が体ごと首を九十度横に傾ける。


「桃ちゃんは初めてだったかな。こちらは結城湊斗君。私と真也君と同じ小学校で、何回か同じクラスになったんだ。中学は私たちと同じで、今は真也君と同じクラスだね」


「なんと! 同じ中学に同じ高校でしたか!」


 桃子は相変わらずブレーキが壊れた車のようにハイテンションに、湊斗の手を掴み取る。


「私は写真を撮らない写真部員、春原桃子っす! よろしくお願いしますっす!」


「よ、よろしくね、春原さん」


 千切れてどこかに飛んでいくんじゃないかという勢いで手が振り回される。いつも笑みの鉄仮面を貼り付けている湊斗の頬もさすがに少し引きつっている。強烈なデジャブだ。


「お前も一人で買い物か?」


「いや、近くにある知り合いのカフェに行くところだよ」


 あっと思いついたように、湊斗が手を打った。


「そうだ。みんなも一緒にどう? すぐそこだけど、おもしろいカフェなんだ」


「「おもしろいカフェ?」」


 ほとりと桃子がそろって首を傾げ、湊斗が楽しげに頷いた。

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