生存者 七

 そのとき、もはや適わないと悟ったのだろう、銃を握っていた男は背を見せて逃げだした。あるいは応援を呼びにいこうとしたのかもしれない。

 黙って行かせる道理はない。ジャッカルは長い四肢を存分に活かし、すぐさま男の首根っこを捉えた。その勢いに任せるがまま速やかに止めを刺す。焦りと恐怖とによって張り裂けんばかりになっていた男の胸に、ガス抜きの穴を開けてやったのだ。瞬間、男の目が焦点を失った。意思が中空に溶け消え、肉体が支えをなくす。百八十ポンドはあろうかという身体が傾いたかと思うと、それは大きな音をたてて床に転がった。

 死してなお堅く握り締められた男の手から、ジャッカルは拳銃をもぎ取った。そうしてから、その照準を廊下の端で座り込む一人の男に向けた。ジャッカルが初撃でナイフを命中させた相手だ。

「た、頼む! 撃たないでくれ」

 相手は完全に戦意を喪失していた。受けた傷がどうこうということではなく、「太刀打ちできる相手ではない」という諦念のためだった。まるで手の内を晒すかのように両手を上げたその男は、目じりに涙の粒を浮かべていた。


 そのとき、稲妻のようなフラッシュバックがジャッカルを襲った。鮮血の飛び散った壁に、まるで貼り付けにでもされたような格好で背を付けた男の姿が、ジャッカルの脳裏に強烈なノイズを作り出す。

 彼には記憶があった。それは、彼自身の視覚を通さずに残された記憶だった。

 港の廃倉庫。十四名ぶんの死体。内臓を引き出され、壁一面に張り付けられた者たちの姿。運び屋グループの最期。

 それらは彼自身がその目で直接見たものではない。それは、SLPDの捜査記録から抜き出されたデータの一部だった。実際にその場に居合わせたのではないにもかかわらず、細部まではっきりと取り出せるほど鮮明な記録である。

 これは彼の記憶ではない。だが、記録として残されたその情景の中に見えるものを、彼は覚えていた。思い出すことができた。

 レイモンド・ディアーコ。クリケット。コルトン・ミルズ。ジョニー・リッチモンド。ダンフォール・ハリス――ダニエル・ハリス。 

 彼らの最期を見届けたわけではない。しかし、彼らが生きていたときのことは思い出せる。これらの情報は学習用の電気信号ではなく、紛れもなく本物の記憶だった。ジャッカルの脳に残された思い出の一部だ。

 目立たないのに乗り換えろ――。

(だが、これは俺の記憶ではない。これは俺が生まれるより前の――)

 

「ゴー、ジャッカル」

 そのとき、彼の耳にゴートの声に届いた。その声に導かれるがまま、彼は二度続けて引き金を引いた。間を置かず射出された二発の銃弾は、両手を上げた状態の男を容赦なく捉え、絶命させた。びくりと肩を怒らせるや否や、男の身体が壁伝いに倒れ込む。力なく。ゆっくりと。濡れた線を残しながら。

「相手はデモニアスだ、ギャングなんだぞ。情けをかけてやる必要はない。そうするだけの価値もないような連中だ」

 一方的に告げると、ゴートはすぐさま通信を遮断した。

 万が一の傍受に備え、作戦中はなるべく音声通信をしないように取り決めてあった。ジャッカルがコールに応えないかぎりは、彼を取り巻く環境音すらゴートのもとには届かない。

 反面、ジャッカルの視界の映像に関しては、どうしても共有を保持し続けなければならなかった。そうしなければ作戦の進行状況が掴めず、指示の一つもままならないからだ。

 このとき、ゴートはその映像からジャッカルの戸惑いを読み取った。ジャッカルは無抵抗の相手を嬉々として殺めるほど冷酷ではなく、また成熟してもいない。とはいうものの敵方は武装組織の構成員だ。非合法な活動、それも一般に凶悪犯罪とされる行為に手を染めるような者たちである。その点は失念するべきではない。

 それに、作戦はまだ始まったばかりだ。問題はまだ何一つ片付いていない。すなわち、考えごとに耽るような時間はない、ということだ。

 いまは足を止めるべき時ではない。火薬と血の匂いで満たされた狭い通路の中を、ジャッカルは再び歩み始めた。


    八


 分かれ道を過ぎたあと、彼は従業員用の控え室へと向かった。その控え室を抜けた先は、ナイトクラブのオーナールームに続いている。現段階における彼の最終目的地だ。

 単に控え室といっても、殺風景な小部屋じみた空間ではない。そこはビリヤード台や大型のモニター、ソファにテーブル席まで用意された、一種の娯楽ホールのような空間である。そういう広々とした場所であれば、何をするにしてもスペースに困ることはない。つまり、銃撃戦にも充分対応できるということだ。

 ソファの影やテーブルの裏、ビリヤード台の対面。あらゆる物陰に火器を携えた悪漢たちが潜んでいる。直接姿は見えないまでも、押し殺した荒い息遣いや、自然と伝播する緊張感といったようなものが、ジャッカルに彼らの存在を気付かせた。

 またこのときジャッカルは、今度は拳銃ていどでは済まないだろうということも察知していた。明確な殺意を向けてくるギャングらの手には、マシンガンやライフルのたぐいまでもが握られていたのだ。高い殺傷力を持った銃口の数々が、舌なめずりで獲物の到着を待ち侘びている、といったところだろう。

 ジャッカルがその事実を確認したのは、実際の発砲があってすぐのことだった。控え室に押し入ったあと、その奥を目指して数歩を踏み入った瞬間、彼の影はたちまち集中砲火に呑み込まれた。耳をつんざく銃声が部屋中で折り重なる。熱せられた薬きょうが飛び交い、もうもうと白煙が立ち込める。が、そうした騒々しさはすべて副産物だ。莫大なる破壊力を成り立たせるための、いわば余剰な事象に過ぎない。その機構の本懐は、あくまでも弾丸の射出にある。

 そうした「本懐」たちの集合が、一斉にジャッカルを脅かした。まともにくらっていればただでは済まなかっただろう。いかな最新型の防弾繊維といえど、貫通力の高いライフル弾までは防ぎきれない。

 このとき彼の身を救ったのは、何よりも事前の計画に他ならなかった。建物内の見取り図をあらかじめ確保していたジャッカルとゴートは、この控え室で待ち伏せをくらう可能性が高いと踏んでいたのだ。だからこそ彼は、発砲の直前にその兆候を嗅ぎ取り、素早く回避行動を取ることができたのである。

 彼は通用口付近の物陰に身を潜めていた。ひとまず被弾の恐れはないが、いつまでもこうしてはいられない。ジャッカルは事態の打開に向け行動を起こした。防弾コートの下に隠し持った、小型の短機関銃に手を伸ばしたのだ。改良型機械義肢の強靭な腕力を活かすため、あえて銃床を廃したモデルである。後部を切り詰めたぶん銃身はあるていどの長さを有しているので、無理な連射さえしなければ精度の面でも過不足のない性能を発揮する。携行性能と火力とを両立させた一丁だ。

 彼が反撃の態勢を整えるあいだにも、空を裂く弾丸はやむことなく飛び交い続けていた。まるで興奮に我を失ったかの如くに、男たちはやたらに発砲を繰り返している。狂気の風が吹き荒れる室内の一角で、ジャッカルは固く銃把を握り締めた。

 安全装置を解除し、ひとたび呼吸を整える。そうしてから、彼は一瞬の間隙を縫って敵の前面に躍り出た。

 複数の目が瞬時に彼の姿を捉える。ジャッカルは、それらの目線の中央を目掛けて順番に鉛をめり込ませていった。それからほんの一呼吸というあいだに、三人の暴漢が三名分の亡骸へと変容した。彼らには反撃の猶予もなかった。

 とにかく三人は黙らせた。しかし問題が片付いたとは言い難い。控え室の中だけでも、少なくともまだ五人は残っているようだった。また、ジャッカルの背後から敵の増援がやって来る可能性も捨てきれない。

 となれば、重要なのは速度だ。石橋を叩いて渡るのではなく、橋が崩れる前に駆け抜ける。ときにはそれくらいの無茶を通せなければ、要人の殺害など実現できるはずがない

 幸い、命知らずのギャングたちにもだんだんと恐怖が芽生え始めたようだった。それも仕方のないことだろう。さきのT字路での戦闘と合わせれば、この時点ですでに十人もの人間が憐れな骸と化しているのだ。それも、たった一人の反逆者の手によって。

 この恐怖のイメージを利用しない手はない。ジャッカルは銃口を前方にまっすぐ向けると、驚くほど堂々と敵陣に切り込んだ。恐れを知らぬ怪物。不死身の化け物。そういった不滅の存在に、彼は自らを装ったのだ。

 そうする彼をどうにか仕留めるべく、果敢に立ち向かってくる者もあるにはあったが、それも威勢が良いのは最初だけだった。命知らずを二人ほど黙らせると、残った者たちはついに息を潜めて怯え始めた。ジャッカルにとって、それらはもはや脅威と呼べるようなものではない。こうなればあとは順番に、一人ずつ片付けるのみだ。

 気付けば、モニターは砕け、テーブルは倒され、壁はところどころが崩れかかっていた。同じく、それらの恩恵に預かっていただろう男たちも、一人残らず無残な姿に変えられている。

 いかに強力な武器を揃えようと、最終的に引き金を引くのは人間である。そういう意味においては、男らの敗因は精神的な要因によるものだと言うことができた。全員で結束し、自分たちの備える武力を適切に制御することができたなら、全滅という結果にはならなかったかもしれない。

 こういう場面で必要になるのは、冷たく燃える鋼の心臓だ。つまり、冷静かつ大胆に、また徹底的に戦うというその意思である。

 そういった条件を完璧にクリアする代物が、ジャッカルの行く手には控えていた。どれほどの強敵を前にしようとも、決して揺るがぬ鋼鉄の化身。設置型の自動防衛システムだ。

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