生存者 六

 どうあれ従業員用の区画に向かうためには、この警備員と話をつけなければならない。ここに至ってようやく、ジャッカルは己の出で立ちというものを省みた。足を止め、全身写真のようなイメージを頭に思い浮かべる。

 威圧感のある武骨な顔。黒いコート。大きな背丈。見るからに只者でない屈強な身体つき。そうしたゴートの目論見がどこまで実現されているのかはともかく、この日のジャッカルはそういった設計のもとに造形されていた。

 そういう容姿の男に突然に話しかけられたなら、あの警備係の男はどんな反応を示すだろうか? いぶかしげに眉を曲げるか、気にもかけないか、それとも一応は客商売だからと、一定の誠実さをもって相手の声に耳を傾けるか。何であれ出たとこ勝負の感は否めない。あるていどはアドリブで対応せざるを得ないだろう。

 そこまで考えたとき、ジャッカルの耳に呼び出し音が届いた。頭部内蔵式の通信機から伝わるその音は、外部の大音量に紛れないだけの明瞭さをもって彼の鼓膜を揺らした。

 彼は短く応答した。

「ジャッカルだ」

「こちらゴート。ゴー、ジャッカル、ゴー、ジャッカル」

 通信内容はそれで全部だった。裏を返せば、それだけで充分だったということだ。直後、彼は迷うことなく警備係に近寄っていった。走りこそしなかったもののあくまで足早に、かつ速やかにだ。

 両者間の距離が二十フィートまで縮まったとき、警備係の男とはっきりと目が合った。それまで見るともなく前方を見ていた警備係の目に、真新しい警戒の色が浮かぶ。敵意と呼ぶにば言葉が過ぎるが、かといって歓迎するつもりなど微塵もない。そういう思考を態度で示すかのように、男は警棒の柄に手をかけた。

 だがジャッカルは歩幅を緩めることはしなかった。堂々とした態度を崩すことなく、あくまでも大股に歩みを進める。そうして前進を続けること数秒後、やがて両者は真正面から対峙することになった。

 口火を切ったのは警備係のほうだった。

「すいません、ここは立ち入り禁止です」

「ドアを開けろ」

 ジャッカルは簡潔に言った。彼があまりにも落ち着き払っていたせいか、対する警備係は幾分たじろいだ様子だった。ジャッカルの顔を凝視する男の双眸には、もしかすれば関係者の誰かなのではないかと疑っているような感じがあった。

「申し訳ありませんが、身分証を拝見しても?」

「わかった」

 ジャッカルは上着のポケットに右手を差し入れた。その手を引き抜くと同時、彼は己が手に握りこんだ道具を迅速に相手の眼前に突きつけた。すなわち、煌くナイフの先端を、だ。

「これで満足か?」


    七


 ほどなく扉が開かれると、上下左右を黒い壁面に囲まれた幅の狭い通路がジャッカルの前に姿を表した。正面の突き当りで道が左右に分かれている。つまり、T字路の形になった空間だ。

 警備係の男は気を失っていた。ジャッカルとしても、そうなるように処理を施したつもりだった。「処理手順」を実行した際にはさすがに、フロアの客たちのなかにも異変に気付いた者が数名は現われたらしかった。ならば、店側の人間は言わずもがなだろう。トラブル発生の伝達はすでに実行されているはずだ。

 そうしたジャッカルの予測を証明するように、彼が通路に侵入するのと時を同じくして、奥の分かれ道から複数の男らが飛び出してきた。ざっと見たところでは七人か。いずれも目を血走らせたいかつい男たちだ

 相変わらずの大音量が壁越しに伝わるなか、男らは怒りと不信感とをむき出しにしてジャッカルに迫った。頭のいかれた闖入者を血祭りにあげようというのだ。それも、バットなり解体用のハンマーなりを用いて。

 ジャッカルは躊躇なく手中のナイフを投げた。それは短い風切り音を鳴らしたかと思うと、その次の瞬間には、男たちのうちの一人に命中していた。

 踏み出したばかりの男の腿に鋭い刃物がめり込む。途端、不運な被害者はバランスを崩して転倒した。負傷により即刻退場、とまではいかなくとも、とにかく乱闘に混ざるのは不可能だ。

 そうしてうずくまった一名を除くと、残る刺客は全部で六名だった。この六人は倒れた者には目もくれない。優先順位というものだろう。察するに、彼らの目的は一にも二に外敵を排除することにある。与えられた命令にどこまでも忠実な兵士。訓練の行き届いた兵隊のような連中だ。

 ジャッカルは、その連中の懐に自ら進んで飛び込んでいった。さきの投擲に自身を重ねるかの如く、思い切り良く一直線に、だ。

 当然のこと、男らは一斉にジャッカルを取り囲んだ。拳銃が一丁。バットが二本。マチェット、ハンマー、ナイフがそれぞれ一本ずつ。以上が、敵方が揃えた得物の内訳である。

 その波立つ殺気の中心に立った瞬間、ジャッカルは生まれて初めて実感した。人の怒気や憎悪、あるいは悪意というものには、精神を圧迫するような質量があるのだと。そうした抗い難き圧迫感はやがて、暴力という形をとって彼に襲い掛かってきた。ジャッカルの背に鋭い衝撃が走る。木製のバットが振り下ろされたのだ。その一打を皮切りにして、一団は歯止めの利かぬ暴徒と化した。彼らは己自身の拳で、脚で、あるいはそれぞれが手にした凶器を用いて、たった一人の反逆者を闇雲に打ち据えた。

 狭い通路に罵声と怒号が鳴り響く。怒りを乗せた叫び声と肉を叩く鈍い音とが、何度も黒い壁に反響した。明白な暴行のサインだ。されど、この音が外部に漏れることはない。背後の扉の向こうには、それを掻き消してしまうほどのリズムの奔流が存在し続けているからだ。目撃者も証人もここにはいない。 

(遠慮することはない。もっと早くに行われるべきだったことを、実行するだけだ)

 そのとき、ジャッカルは最も近くに立っていた男の顔面に目掛けて、自身の腕の先端を振り切った。彼の動作に一瞬遅れる形で、相手の男が呻き声とともにうずくまる。自身の顔を押さえる男の手指の隙間からは、赤々とした血液が激しく噴出していた。

 あまりに突然の出来事ゆえか、さすがの暴徒らも今度こそは狼狽を浮かべた。ただ、どうやら仲間がやられたことに驚いたというのではないらしかった。男たちは一様に、どういう理由から生じた傷なのかということを気にしていた。それが証拠に、残る男たちの目は悲鳴を上げ続ける仲間の一人に対してではなく、ジャッカルの手元にのみ寄せられていた。

 ジャッカルは素手のままだった。広げられた右手中に凶器はない。しかし、そこには確かに刃が存在した。彼の手首を起点とし、そこから手指の先端方向に向かって刃渡り十インチほどの刀身が伸びていたのだ。それは、ジャッカルの人工義肢に搭載された攻撃機能の一つだった。いわゆる仕込み刀の一種である。

 新鮮な血の滴るその刃を、ジャッカルは再び振り下ろした。続けてもう一度。さらに加えてもう一撃。彼が右手を翻すたび、赤く滲んだひと連なりの線が男たちの身体に刻み込まれていった。ときには胴に、ときには首にと、激しい裂傷が生み出される。骨や筋繊維が見せる抵抗を力ずくに寸断する。それら一つ一つの手触りが、ジャッカルの感覚器をあまねく行き渡った。同時に、それが生み出す得難き高揚感もだ。

 直前まで暴徒であった男らは四人、五人と続けざまに倒れ、いまやその多くが致命的な出血に襲われていた。いずれも長くはもつまい。長くて数十秒の命だろう。

 そしていよいよ最後の一人かというとき、突然のショックがジャッカルを襲った。男らの所持していた唯一の拳銃が、ジャッカルに対して使用されたのだ。高速で射出された弾丸は見事、彼の腹部に命中した。凄まじいまでの破壊力が一点に凝縮され、彼の体表面で炸裂する。

 だがそれだけのエネルギーをもってしても、彼の内部機関に損傷を与えることはかなわなかった。防弾繊維の織り込まれたコートが拳銃弾の貫通を防いだからだ。さすがに銃弾の威力をすべて殺せるわけではないが、彼にとってはそれで十分だった。たった一度の被弾、それも体外で止まった一撃のみで行動に支障をきたすようには、ジャッカルは設計されていない。実際にダメージを負ったのは、表皮と皮下組織の一部くらいのものである。

 反射的に防御姿勢を取った彼の両腕を、さらなる銃弾が襲う。直後、あるいは弾き飛ばされ、あるいは砕け散りながら、目的を果たせなかった弾頭が通路中に跳ね返った。有効打の一つも望めないまま、拳銃はなおも薬きょうを吐き出し続ける。ジャッカルは正面からその銃身を睨みつけた。

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