探偵 四


    六


 駐車場をあとにしたザックは、続いてその駐車場の管理事務所へと向かうことにした。監視カメラを通して記録されたであろう映像を確認するためだ。

 情報提供に関する交渉は当初難航するかに思われたが、市警から要請を受けての捜査であることが確認されると、管理事務所の担当者は快く協力に応じた。下手に反抗して痛くもない腹まで探られたくはない、といったところかもしれない。あるいは、単なるチンピラ同士のいさかいということで、どう転んでも管理者側に悪影響はないだろう、とふんだのか。いずれにせよ、映像にはいくつかの個人情報も含まれている。迂闊にコピーをやり取りするわけにはいかず、結局は、ザックは管理事務所内での動画閲覧のみを許可される運びとなった。


 事務所に到着したザックを出迎えたのは、またずいぶんと恰幅の良い男だった。

「フィッシャーさんですね? お待ちしておりました」

「どうも」

 担当者はお定まりといった調子の笑みを浮かべながら、必要以上にきびきびと動いていた。そうした彼の立ち振る舞いには「警察関係者への心象を良くしたい」という目論見がはっきりと表出していた。

「どうぞこちらへ」

 と言って通されたのは殺風景な部屋だった。質素なテーブルセットがあるほかは、宣伝用のパンフレット立てくらいしか見当たらない、どこか物寂しい感じのする一室だ。

 どうやら、七階建て商業ビルの三階部分、ワンフロアぶんを丸ごと借りて、事務所として使用しているらしい。書類作業を行うためのオフィスや種々の事務用品を保管する倉庫、簡易の休憩所などがあるほか、ザックが通されたような来客用の部屋もいくつかあるそうだ。

 その後、担当者はザックに待機するよう言い残すと、いったん部屋をあとにした。

 それから少し経ったのち、男は十七インチのモニターを備えたラップトップを抱えて戻ってきた。その年季の入った機器をザックのつく卓上に下ろしながら、男は訊ねた。

「ここに当日の映像が入っています。すぐ、ご覧になりますか?」

「ええ、お願いします」

「ではこちらを」

 男がキーボードを叩く。するとすぐに、ノングレア液晶ワイド画面の中央に、夜の駐車場の風景が現れた。ついさきほどまで、ザックが身を置いていたのと同じ空間のものである。

「それで、いつごろの映像をお求めなんです?」

「さしあたり、五月十六日の午前一時からでお願いします」

「承知しました、ちょっとお待ちくださいねえ……ええ、こちらです」

 やはりというべきか、真夜中ともなるとビルの窓に灯る明かりも一層に少なくなり、宵闇がその濃度を増した。四角い画面にそって切り取られた空間のなかで、互いにひしめき合う多数の乗用車たちの隙間を、霧のような暗闇が満たしていた。

 ザックは担当者から了承を得たうえで、画面上の表示を操作した。途端、止まっていた時間が堰を切ったように高速で動き始めた。そのまま早回しの映像がいくらか過ぎたあと、不意に、地を滑る光がそこに現れた。煌々とヘッドライトを光らせたSUV車が、やや緩慢な動作で敷地に侵入してきたのだ。その一台は迷うような様子も見せず、真っ直ぐに停車位置まで進んだ。

 そこに遅れること約十秒。新しい顔ぶれが到着した。厳ついクロームパーツで四方を飾る4ドアのピックアップトラック。例のデモニアス側の三人組が乗った車である。

 そこから先の展開というのは、事前に聞き及んでいた内容をそっくりそのまま再現するものであった。ダンフォールが降車する。三人組が取り囲む。刃物を用いて攻撃を仕掛けるも、武器を奪い取られ、反撃を受ける。ものの見事にそのままだ。

 期待どおりの映像に手応えを覚えるザックとは裏腹に、彼の対面に座す担当者はすっかり青ざめていた。内面の困惑が玉の汗となって額に浮き出ている。

 詰まったような声で担当者が訊く。

「あの、これは、我々の責任にはなりませんよね?」

「責任、というのは?」

「あ、いやあの、まさか傷害事件だとは考えていなかったもので……」

 どうやら、この男はこのとき初めて襲撃の映像を目にしたらしい。おおかた、悪ガキ同士のいさかいくらいを想定していたのだろう。降って湧いたような刃傷沙汰に、誰が代償を支払うのかと戦々恐々しているのだ。管理事務所の従業員ということなら、それはまさに死活問題だとも言えた。

 そのことを踏まえたうえで、ザックは質問に答えた。

「我々、というのが、どういう範囲の話なのかはともかく、私に言えることは一つです」

「はあ、つまり?」

「私には判断ができません」

 実際のところ、一連の出来事がこれから先どういう方向に転んでいくのかは定かでない。この一夜のことを把握しておらず、また当日の映像を警察に届け出ていなかったことが、管理事務所に対してどんな影響をもたらすかなど、それこそザックの知るところではない。

 どうあれ気休めなど言っても仕方がない。言葉を失う相手を尻目に、ザックはこう言葉を続けた。

「差し支えなければ、この人物の人相データをいただきたいのですが」

 ザックが指で差し示す先には、大写しになったダンフォールの顔があった。迫りくる暴漢らに対し厳しい表情で振り返った瞬間を切り取ったものだ。監視カメラはいささか古めかしい代物ではあったが、ズーム機能は驚くほど的確に機能していた。これならサンプルとして申し分ない。

「ええ、じゃあ、構いませんよ、まあ必要であれば……」

 担当者は明らかに上の空といった様子で応えた。視線こそ客人に向けられてはいるものの、意識のほうは完全に明後日の方向を向いている。完全に集中を欠いているのだ。とはいえ、この男を責めるのは酷というものであろう。たとえいかなる立場の人間であろうと、自らの平穏な生活が脅かされるのは恐ろしいものだ。ましてその原因が、決して変えることのできない過去の事実に起因するものであるのなら、なおのこと恐怖を禁じ得まい。そういう視点から見るのであれば、この担当者の男もまた、例の襲撃事件の被害者なのだということができるのかもしれない。

 ともあれ捜査続行だ。ザックは携帯電話を取り出すと、それを有線でラップトップに接続した。必要なデータを複製および移動するためだ。

 そうして慣れた手つきで作業を進めるあいだにも、ザックはずっと見られていた。四角い画面の中から振り向きざまの視線を向けるひとりの男に。いまや、撃退したはずのギャングに追われる身となった、不運な運び屋のリーダーに。

 もはやダンフォールに逃げ場はない。世の理不尽によって形作られた歯車が、けたたましい音をたててきつく噛み合う。その歪な残響を、ザックは己が耳の奥に聞き取った。


    七


 やがて、街に夜が訪れた。温暖たる光を注ぐ太陽の下にあっては、喧騒と理知とによって抑圧されていたはずの本能が群青の夜空のもとに這い出てくる。後ろ暗い喜びに満ちた時間。この街にとっては、これこそが真実の顔なのだともいえた。

 時刻は夜の十二時を回ったところだった。空には薄い雲がかかっていたが、それはまたやけにゆっくりと、西から東へと向かって移動を続けていた。街それ自体が放つ輝きのせいだろう、星の瞬きはほとんどまったく見られない。とはいえ、それを必要とする者もほぼいない。その街路の中ではただ一つ、煌びやかなネオンの光を見分ける能力さえあれば、欲する物のほとんどを、その光の近くで手に入れることができるのだ。アルコールにしろ女にしろ、はたまた芸術の喜びも、薬学的知見に基づく快楽というのものも。あるいは、そういった誘惑から逃げ出すための最も適当な手段――鉛玉か何か――でさえ。サイケデリックな光線を目一杯にぶちまけた大通りは、ありとあらゆる欲望をその身中に抱えたまま、需要に対する供給に努め続けるのだ。

 そんな歪な活気に満ち満ちた市街地の片隅に、このとき、彼と彼の愛車は佇んでいた。息を殺し、身を低く保ちながら。

 ファストフード店の窓から漏れる明かりを横目にザックはシートにもたれかかった。腕を組み、目を半分閉じるようにして身体を休める。そうしながらも、神経だけは絶えず働かせ続けていた。

 彼はいま現在、張り込みの真っ最中だ。奥まった路地に停めた愛車の窓には、一軒の借家の姿が映り込んでいる。二階建てで、左右を隣家に挟まれた細長い造りの家屋だ。ややくすんだ様子の白い壁には、面白みのない窓がいくつか並んでいる。ガレージのたぐいは見当たらない。どうやら、車を置いておくスペースは用意されていないらしかった。その家は間違いなく、ダンフォール・ハリスの名義で借り受けられたものだった。

 例の録画から取得した人相をSLPDのデータベースで照合したところ、該当する人物の情報が見付かった。さきにバーテンダーの男が保障したとおり、ダンフォールという名前も本名で間違いなかった。手続きに不備がないかぎり、住所も記録のままになっているはずだ。

 住処を見張ることで手掛かりを得るか、それとも手ぶらで退散する羽目になるのか。その点は定かではなかったが、とにかく、「張り込むだけの価値はある」とザックは踏んだ。そういう予感があるのも確かではあるのだが、とはいえ彼としても、まったく憂慮がないわけではなかった。

 何より気にかかるのは、先立っての三人組の襲撃がどれほどの衝撃をダンフォールに与えたか、という点である。突然、路上でナイフを突きつけられた人間が、その後に何事もなかったかのように日常生活を送るとは到底、考えられない。強弱の差というのはあれど、警戒心を抱かないはずがないだろう。

 また、すでに犠牲者が出ているという点も気になった。仮に、ダンフォールがリチャード・ベイカーの死を察知したとすれば、本格的に雲隠れをする可能性は非常に高い。さらに言うなら、事件の発生から丸一日近くが経過するあいだ、この運び屋グループのリーダーに、彼自身の部下の死を知る機会が訪れなかったとは考え難い。

 以上のようなことを踏まえると、こうして自宅を見張ったところで、そこに獲物が現れる可能性は低いのかもしれない。そうした不安を助長するかのように、ダンフォールの家の窓はどれもぶ厚いカーテンに塞がれたまま、明かり一つ漏れてこなかった。事実、いまのところ屋内には誰もいないのだろう。そのことについては、ザック自身も確信に近いものを感じていた。

 だが、それでもなお彼はこの場所で粘ることを選んだ。このアイデアを伝えた際、スタンリーには「代わりの張り込みを送ろうか」と提案されたが、しかしその申し出を断ったうえで、ザックはひとり見張りを実行した。もちろん、ある前向きな予測に従ってのことである。

 時が来ればわかる。ここでじっと待ち続けることに、はたして意味があったのかどうか。ほかの手掛かりをすべて後回しにしてまで、ただ一人ダンフォールのみに的を絞ったという、その決断が正しかったのかどうか。

 探偵は腕を組んだ格好で、まんじりともせず暗闇を睨み続けた。まるで、その暗中に姿を隠したままの、他人の存在を見透かすかのように。

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