探偵 三


    四


 愛車に戻ったザックは、シートに座ってすぐに携帯電話を手に取った。ついで通話アプリケーションを起動し、アドレス帳から相手の名前を探す。呼び出し音が幾度か繰り返されたあと、それに応えたのはスタンリーであった。

「ああ、俺だ。どうしたフィッシャー?」

「相手の素性がわかった」

「本当か? ついさっき相談を持ち掛けたばかりだぞ。ずいぶん早いじゃないか」

「ああ。例の飲み屋の従業員が、予想より内部に通じていた」

「大当たりか、それで?」

「ベイカーはギャングじゃない。運び屋だ」


 それからザックは、手帳に記した情報を事細かに説明していった。

 ザックらの捜索対象たる一団の正体は、〈スパイクボーイズ〉と名乗る運び屋の集団だった。サウスランドシティ南部の港湾地区を活動の拠点とし、主に、そこから運び出される種々の荷の移送を請け負うグループだ。言うまでもなく、彼らは違法なブツを取り扱っている。構成員の正確な数は不明だが、「少なくとも十名以上はいる」と例のバーテンダーは証言した。

 あのバーテンダーは部外者ではあるものの、連中と依頼人との仲介を請け負うなど、いくつかの役割を通して協力をしていたらしい。とはいえ、さすがにボーイズの全員と顔見知りというわけではないらしかった。あるいは、それだけメンバーの入れ替えが激しいということか。

 もちろん一部には、くだんのバーに入り浸るなどして、親しく付き合っていた者もある。とくに運び屋のリーダーたる〈ダンフォール・ハリス〉とは旧知の仲らしく、それがダンの本名で間違いないということを、バーテンダーの男は力強く保障した。

 ただ残念なことに、「連中と連絡を取る手段はない」とのことだった。すなわちこのバーテンダーは、ボーイズが非常時に用いる連絡手段も、また隠れ家のたぐいというのも、先方から知らされてはいないのだ。あくまでも堅気と裏稼業との境界線を守ろうとしたのだろう。


 以上のような事柄をザックが告げるあいだ、電話口のスタンリーは相槌をうちながら、いくつかの内容を復唱していた。個人名を何度か聞き返すなど、やはりメモを取っているような雰囲気だった。

 そうして情報の伝達をひととおり終えると、ザックは最後に、この時点で判明している幾名かの氏名を挙げた。

「ダンフォール・ハリス、ケヴィン・ミュラー、コルトン・ミルズ――M、I、L、L、S、ミルズだ――、ケイリー・グエン、レイモンド・ディアーコ、ジョシュア・ハーヴェイ。それとあともう一人、クリケットと呼ばれる男がいるが、これは通称らしい。本名はわからない」

「ジョシュア・ハーヴェイ……クリケットは仇名、と。とりあえず七人か、オーケイ、データベースで照会してみよう」

「それと、このジョシュアという男だが、若い男らしいんだがな。聞いたところでは、ガソリン式のバイクを乗り回しているらしい」

「本当か? ずいぶん目立つ物に乗っているんだな。捕まらない自身があるのか、それとも馬鹿なのか」

 ベテランの警官たるスタンリーがそういう感想を抱くほどには、交通手段、ことバイクの世界においては、電気動力が主流となっている。ずいぶんと前からそうだった。

「まあいいか。わかった。じゃあそいつについては、ナンバーの登録から当たってみよう。そのバイクから何か掴めるかもしれん」

「ああ」

「いやしかし、運び屋か……ギャングでないのなら、見せしめなんて必要ないだろう。一度、俺のほうからアレックスに相談してみよう。検問もせずに済むかもしれん」

「検問?」

「まあ、可能性の話だ。マルドネスの機嫌を損ねないためなら、警察もそれぐらいのことは喜んでするさ。実際、俺は今そのための書類を整えていたところだ」

 またずいぶんと大層なことを、と思いはしたが、ザックはそれを言葉には出さなかった。口にしたところで、空しい響きが生まれるだけからだ。

「ともあれ、そのまま調査を続けてくれ、フィッシャー。こちらも、状況が変われば連絡する」

「ああ」

「頼んだぞ」

 そこで、ぷっつりと通話が途切れた。

 張りの弱ったフェイクレザーのシートにザックは深く身体を沈めた。濃いグレーのダッシュボードによく似合う、孤独と静けさが心地よかった。だが、いつまでもそうしてはいられない。

 エンジンスイッチを親指で押し込むと、すぐに鮮やかな光線の群れが計器のうえで踊り始めた。と同時に、傷だらけのボンネットの真下を起点にして、騒々しいエンジンの鼓動が伝わってきた。

 手掛かりを追う――。

 いますべきことはそれのみ。事の成り行きに思いを馳せる必要はない。命令とは、忠実な者の手によって実行されるためにこそ、存在するのだ。

 会ったこともない男たちの足跡を追うため、彼は駿馬を走らせた。


    五


 それから少し時間が経過したのち、ザックは、大通りに程近いある駐車場の敷地内に立っていた。数で言えば五十台は同時に停められるだろうか、それなりの規模を備えた屋外パーキングだ。ただ、大通りに近いとはいっても、周囲に並び建つビルのせいで細長い敷地は見通しが悪かった。まだ夕暮れ時で、人通りが多いにもかかわらず、一帯にはすでに背筋の寒くなるような薄闇が漂いはじめている。誰かを急襲するのには悪くないシチュエーションだ。

 この場所で、ダンことダンフォール・ハリスは襲われた。三人の男たち、つまり、デモニアスの雑兵三人に、だ。ザックがスタンリーから伝え聞いたところでは、ダンフォールが車から降りたところをギャングの三人が一斉に取り囲み、いきなりナイフを突きつけた、ということだった。そうした劣勢状態に置かれてなお闘志を失わず、ついには腕を刺されながらも、しかしダンフォールは戦い抜いた。のみならず、最後には一対三という数の不利をさえ、この男は覆してみせたのだ。

 瞬間、いまだ姿の見えぬ敵の印象が、ザックの脳裏に映し出された。驚くほどに強大で、かつ恐ろしげな男のイメージが。

 ザックはそこで、彼自身の追う相手についてそれ以上の思案を控えることにした。過大であれ過小であれ、偏った評価は目を曇らせる。充分な判断材料を持たぬ状態での思索は危険だ。「追う対象を侮らない」というルールだけは、何があろうと絶対に忘れてはならない。

 そうする代わり、彼は現在もパーキングに停められている車両、とくに、シルバーのSUVに的を絞ってナンバーをあらため始めた。

 この、襲撃した相手の車種とナンバーとを覚えていたということが、例の三人組の唯一ほめられる点であった。ただでさえ勝手に問題を起こし、デモニアスの名に傷を付けたうえ、その後始末を自分たちのボスにさせているというのだから、おそらくはこの三人も無事ではすまないだろう。情報が必要なあいだは生かされているだろうが、この一件が片付けばお払い箱。遅かれ早かれ何らかの処罰を受けることになる。軽い私刑で済めばいいが、でなければ、彼らはサウスランドシティ・ポートの底に沈むことになるだろう。まだ息のあるうちに、重しを括りつけられて。いずれにせよ、「彼らと自分とが顔を合わせることは多分ないだろう」という直感が、このときのザックにはあった。

 その後、彼は敷地じゅうの車両を確認したが、やはり目的の一台は見つけられなかった。それらしい物は何台か見受けられたのだが、いずれもナンバーが一致しない。そう簡単に尻尾を出す相手ではないらしい。ナンバープレートを張り替えたのか、いま現在もどこかを走行中なのか、駐車スペースを別に用意したのか。あるいはそれらの全てか。

 ともあれザックとしては次の一手を打つのみだ。幸いにも、そうするためのヒントはすでに得ている。

 そのとき、彼の目が傾いた西日に細められた。その黒い瞳が見つめる先では、まっすぐに背筋を伸ばした一本の鉄柱と、その上端付近に備えられた防犯カメラとが、ただ無言のままに下界を見下ろし続けていた。

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