運び屋 三

「黙って聞いていれば、いいかげんにしろよ、お前」

 相手はギャングだ、手向かうべきではない。それぐらいは重々承知しているのだが、因縁を付けられたままじっと黙していられるほど、彼は老成していない。

「喧嘩を買うつもりはないって言ってるだろう。相手が欲しいなら、どこか余所に行って探せよ」

「ぴいぴい喚くんじゃないぜ小僧、俺がどこに行くかは、俺が決めるんだよ」

「ガキに指図されるのは嫌か? だったらマナーぐらい守るんだな、ストリートのクソガキだって、お前よりは礼儀をわきまえているぜ」

 そこまでジョッシュが口にしたところで、レイモンドは彼の肩を強く掴み、引き止めた。

 しかし当のジョッシュは煩わしげに肩を払っただけで、上司からの静止に応じようとはしなかった。すっかり熱くなっていたのだ。

 そうして頭に血を登らせたジョッシュに対し、男が言う。

「はっ、威勢がいいな犬っころ。そんなに死にたいならお前からやってやる」

「ああそうかよ、だったら先に殴らせてやるぜ、レディーファーストだ。ほら、どうした、やってみろよ!」

 いよいよ一触即発だ。あとはきっかけさえあれば、すぐにでも血が流れることになるだろう。それが誰の血であるのかは定かではないが、しかし、誰かがツケを払うのは間違いない。

 さあどちらが先に仕掛けるか、と緊張感が高まりきったちょうどそのとき、鋭い破砕音が空間を駆け抜けた。するとすぐさま、ジョッシュとレイモンドと、また因縁を付けてきたギャングたちのそれをも含む多くの目線が、音源のほうへと向けられた。

「おっと、しまった」

 と、小さく呻いたのはダンであった。見ると、ダンが座すソファの足元に、割れたグラスとアルコールの染みが広がっていた。

 その足元に彼自身の目を向けたまま、ダンは言葉を続けた。

「情けないな、酔っ払っちまったらしい。おいジョッシュ、代わりに掃除しといてくれ」

「俺はバーテンダーじゃないぜ」

 ジョッシュがなかば反射的にそう応えると、ダンは部下の顔をまともに睨みつけ、さらにこう告げた。

「聞こえなかったのか?」

 その目つきも、その声も、決して脅しなどではなかった。逆らうのであれば容赦はしない。泣いても叫んでも打ちのめす。少なくとも、腕の一本ぐらいは叩き折ってやる。

 そういった断固たる決意というものを、ダンの表情は言下に訴えかけていた。冷徹に結ばれた口元と、真っ直ぐに標的を見据えたまま、揺るぎもしない黒檀色の瞳。そういった造形のすべてが、抗しがたい威力となってジョッシュを襲った。

 このとき、ジョッシュははっきりと臆した。自身の内から込み上げる恐怖に対し、敗北を認めざるを得なかった。それでもどうにかそれを飲み込むと、代わりに、彼は大げさに舌打ちをして見せた。

「わかったよ」と口の中でもごもごと音を立てながら、彼はモップとバケツを取り出すべく、重い足取りで歩き出した。彼はバーテンダーではないが、この店の掃除用具の置き場所は知っていた。時折、店の雑用を手伝わされるからだ。そんなことをさせられるぐらいには、店に迷惑をかけているという意味でもある。

 が、当然ながら、そのジョッシュを引き止める者が一人いた。

「おいコラ、ガキ! どこにいくつもりだ」

 くだんのギャングはまだ熱が収まっていない。

 ところでこの男の仲間たちであるが、彼らはにやにやと嫌らしい笑みを表情に浮かべつつ、事の成り行きを見守るばかりであった。当面のところ行動を起こすつもりはないようだが、内心、早く流血沙汰にでもならないかと、歪んだ期待を抱いていることは想像に難くない。

 嘲りと罵声を背に受けながら、それでもなお、ジョッシュは男たちを相手にしなかった。

「うるせえ! 掃除だ掃除。終わるまでどこにも行くんじゃないぞ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、彼は振り向きもせずにぐいぐいと歩みを進めた。

 そうして置き去りにされたギャングの男は、いまさらレイモンドにケチを付けなおすわけにもいかず、かといってダンに噛み付くほど本気にもなれず、すっかり肩透かしをくらったかたちとなってしまった。

 さてレイモンドであるが、この抜け目のないベテランの運び屋は、ギャングたちの視線がダンに集まった瞬間、とっさにカウンターの奥へと逃げ隠れていた。とくに腕っぷしが立つわけでもないレイが長く裏稼業に携わってこられたのは、ひとえにこのすばしっこさのおかげである。

 ともあれ、不満をぶつける先を失ったギャングの男は、その心中にある口惜しさをそのまま態度で示すかのように、血走った目をあちこちに向かってさ迷わせていた。しかしそのうち、ひとりで立っているのも馬鹿らしくなったのだろう、彼はカウンターテーブルを一度、拳で叩いたのち、丸型のスツールに勢いよく腰を落とした。

 途端、直前までこの男を突き動かしていたはずの無軌道な狂暴性が、まるで引き潮が遠ざかっていくかのごとくにその身体から消え去った。

 と同時に、残す二名のギャングと、ボーイズの面々を包んでいたある種の熱気が、目に見えて冷めていく感覚というものを、その場にいる誰もが感じ取った。


    三


 翌朝のこと。

「昨夜の騒ぎのあと、店から引き上げる家路のさなかで、ダンが三人組の男たちに襲われた」という事実を、ジョッシュは起き抜けのベッドの上で知らされた。

「やったのはあいつらで間違いない。夕べの三人だよ」

 電話越しに伝えるのはレイモンドだった。さすが幹部のひとりだけあって、非常時の行動というのは心得ている。携帯電話のビデオ通話に映るその表情には、興奮と心労とが半々の割合で浮かんでいた。

 そんなレイの表情に真剣な目で応じながら、ジョッシュは訊ねた。

「確かなんですか?」

「そりゃあ、ダンから直に聞いたからな」

「直接? じゃあ、ダンは無事なんですね」

「無事、ってわけにはいかないな、腕を刺されてる」

 レイモンドの語るところによると、襲撃は闇討ちに近いかたちであったらしい。ダンが自宅付近――これもまた、あまり治安のいい地域ではない――で一人になったところを、尾行していた三人が襲い掛かったというのが、大まかな構図である。引き潮のように引いた凶暴性が、また満ちるように戻ってきた、といったところだろうか。

 それにしても、最初に相手に目を付けられたレイモンドでも、また口論になったジョッシュでもなく、よりにもよってダンが狙われたというのは、ジョッシュにとっては意外な展開であった。万が一にも誰かが闇討ちを受けるのなら、標的は自分かレイになるだろうと考えていたからだ。同じく、ダンの受けた傷の具合というのも、ある意味においては意外だった。

「でも、その状況から腕を刺されただけで済んだのなら、むしろ幸運なのかもしれませんね」

「ところが、あながち運だけじゃないらしくてな」

「というと?」

「つまり、そこからやり合って勝ったってことだ。片腕でも、チンピラ三人なら物の数じゃないのさ、うちのボスにとってはな」

 弾む声でそう言ったかと思うと、レイは急に声のトーンを落とした。あまり興奮するのも不謹慎だと考えたのかもしれない。

「しかし、それはいまさらどうでもいいことだ。俺が連絡したのは、ジョッシュ、お前に今夜の予定を伝えるためだ」

「ええ、それで?」

「とにかく二十時にはいつもの場所に集合だ」

 レイの言った「いつもの場所」とは、港湾地区の廃倉庫のことである。その建物内にある古い事務室を、スパイクボーイズは会合場所として使っている。無許可ではあるが、さりとて誰かに文句を付けられたことはない。この街の誰からも忘れ去られた場所なのだ。

「そこであらためてボスから通達が出る。それまで、目立つことはするんじゃないぞ」

「わかってますよ。ギャング、刺された、返り討ちにした。それだけ聞けば充分です」

 その三語だけで、いまがどれほど緊迫した状況なのかジョッシュにも理解が及んだ。この次に起きるのは、逆上と報復だ。

「まったく、ツイてないな、俺たちも」

 独り言のように零すレイモンドに、ジョッシュは言った。

「俺かレイが奴らにのされていたほうが、後々には良かったのかもしれませんね」

「かもな。しかしまあ、過去は変えられんさ。それじゃあ、また夜に」

 そこでレイモンドはぷっつりと通話を切ってしまった。彼も忙しいのだ。差し迫った状況に関する連絡は、確実に行われなければならない。ゆえに、レイモンドはこの手の場合では、文字を介した連絡手段は用いない。相手が事態を把握したかどうか、きちんと自らの目と耳で確かめるためだ。これはほかのボーイズ幹部も、またダンにしても同様であった。

 ジョッシュは、くしゃくしゃになったベッドシーツの上に通信端末を放り出した。昼飯時はとうに過ぎてしまったが、日暮れまでにはまだ時間がある。彼はベッドの端に座り、頭を抱えると、しばしその格好を続けた。そうしたあと、思い立ったように顔を上げると、彼は身支度のためにシャワールームへと向かった。

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