運び屋 二


    二


 彼らの住むサウスランドシティは合衆国の南部に位置し、国際空港と貿易港を有するグローバル都市である。彼らはその港湾地区を活動の拠点としていた。

〈スパイクボーイズ〉は運び屋のグループであり、いわゆるギャングのたぐいではない。しかし顧客の大半はその筋の人間だ。つまり、暗いビジネスを共有するという面においては、両者は同じ穴のムジナなのだとも言えた。

 そもそも、ボーイズのリーダーたるダンはギャング出身なのだ。六年前に足を洗ったものの、されど普通の生活には戻れず、結果、自分で運び屋のチームを立ち上げたのだと、メンバーのあいだには伝わっていた。行動派というか、やると決めたらやる、という男だ。

 そういうタイプの人間に面と向かって刃向かうあたり、きっと自分は長生きしないな、とジョッシュも時折は自省する。それはたとえばいまのように、ボーイズたちが溜まり場にしているバーの片隅で、ダンの姿を見かけたときなどに、だ。

 決して広いとは言えない店の奥、薄暗いソファ席に佇むダンの姿は、「是が非でもこの人間との衝突は避けろ」という威圧感を、無言のうちに周囲に漂わせていた。黒目の小さい、獣じみた両の眼が、爛々と燃えて熱を放つ。この男と本気でやり合うのなら、始めから仕留めるつもりで掛かるべきだろう。最初の一手を誤れば、その時点で命の保証はない。

 そうした恐怖心を抱くのは、決してジョッシュだけではないらしかった。そのとき、彼の仲間の一人が、ジョッシュに向かって小さく耳打ちした。

「馬鹿だよお前は」

 その男は先の会合での口論を間近で見ていた、三人のうちのひとりだった。名をレイモンド・ディアーコといって、ボーイズの幹部に当たる人物だ。ジョッシュにとっては運び屋での上司ということになる。一回りも歳が離れているにしては、ふたりは不思議と馬が合った。

「下手を打ったのはお前なんだから、ハナから謝っとくべきだったんだ」

「黙って頭下げていたら良かったって?」

 彼らは店内の入り口近く、バーカウンターの端の席に並んで腰を下ろしていた。店の中央に据えられたビリヤード台に背を向けたふたりは、これまたそろってハイネケンの瓶を傾けている。

「誰彼かまわず噛み付くことはない、ってことだよ」

「でも、言われっぱなしは悔しいですよ、やっぱり」

「うしろ向いてから舌でも出せばいいさ。ツラだけ反省してるように見せて、やっこさんを納得させるのさ」

 レイモンドというのはこういう男だ。軽薄なタイプだが、そのぶん世間ずれしている。

「そうは言いますけどねレイ、俺には無理ですよ、そんなの」

「だろうな。お前は馬鹿だから」

 そう言うと、レイは瓶の底を天に向け、ぐいっと中身を飲み干した。

(まったく……今日は言われてばっかりだ)

 ジョッシュは不愉快に視線をさ迷わせた。塗装の剥げかかったカウンターの向こうに、無愛想な中年のバーテンダーが立っている。この男はいつでも無愛想だ。そのバーテンダーの肩越しに見えるのは、陳列棚の上に折り重なるほどに詰め込まれた酒瓶の列と、その中に一本だけ混ざりこんだ、上等のマッカランのボトルであった。それは明らかに場違いであると同時に、それでも、まるでそこにしか居場所がないのを自覚するかのように、棚の中央で萎縮しきりな調子であった。

 その棚からまた逸らされたジョッシュの視線は、直後には通用口のドアへと向けられ、そこでやっと居心地の良い場所に収まった。冷たい鉄製のドアは、彼に余計なことを思い起こさせなかったからだ。

 彼の視線が止まったすぐあとにそのドアが開かれたのは、まったくの偶然からであった。この店は港湾地区の隅に位置している。お世辞にも治安がいいとは言えない地域だ。ボーイズが入り浸るような時間、つまり、日が暮れて以降ともなると、人通りはほとんど途絶えてしまう。そんな時間帯に、わざわざこのバーを訪ねて来るような人間は極めて稀である。そういう事情もあって、店内の目は一斉に訪問者らへと向けられた。

 現われたのは三人組の男たちだった。姿かたちで言えば三者三様。それほど統一性はなく、強いて共通点を挙げるなら、三人ともジーンズを着用しているということぐらいである。にもかかわらず、その場にいたほとんど全員が、それとはまた別の共通項をこの三人の立ち振る舞いに見出していた。

(筋モンだな、あれは)

 ジョッシュの場合は大抵、相手の歩き方と目つきを見て、それを判断する。

 運び屋にとってのギャングとは、ときに顧客であり、またときには、大事な荷を掠め取る略奪者でもある。飯の種であると同時にトラブルの種でもあるということだ。近付くにしろ避けるにしろ、その手の人種を見分ける能力は、運び屋には必須の技術だと言える。

 訪問者らがギャングだとすると、問題は、この見慣れぬ三人組がどういう目的でここに来たかということだ。

 ダンをはじめ、ボーイズの面々は目を光らせ、聞き耳を立てた。店内にいる人間のうちボーイズのメンバーは全部で五人。あとは常連の飲み客が一人と、雇われのバーテンダーが一人、そして、バックヤードにはマスターが引っ込んでいる。それが、この建物の中にいる全員だった。

 しかし、そういうボーイズたちの緊張感とは裏腹に、訪問者のテンションは弛緩していた。実際のところ、この三人はただ飲みに来ただけなのだろう。近くに用があって、そのついでに、ビールでも飲もうかと立ち寄っただけ。目に付いた店が偶然、運び屋の溜まり場であったに過ぎない。それが証拠に、一斉に向けられた警戒の視線に、男たちは驚き、肩をすくめるばかりであった。

 それさえわかれば無闇に構える必要はない。ジョッシュたちはふたたび、思い思いに時を過ごし始めた。


 異変が起きたのはそれから一時間ほどが経過したときだった。

 三人のギャングたちのうち、最も図体の大きい男が、レイモンドに目を付けたのである。

「おい、お前、いつまでこっちを睨んでるつもりだ」

 そんな具合に因縁をつけながら、男はカウンター席に近付いてきた。レイが三人組から目を離していなかったのは確かに男の言うとおりである。睨む、というほどではなかったにしろ、警戒を解いていなかったのは事実だ。

 レイは座ったまま男のほうへと向き直った。そうしてから、悪意のない笑みを浮かべて見せた。

「いや、見るつもりはなかったんだがな。ただちょっと、この辺りじゃ見慣れない奴らだと思ってね」

「その口ぶりなら、お前はここの常連ってわけか。なるほどな、シケた店には似合いのツラだ」

 からかうような口ぶり。蔑みの感じられる冷たい視線。くだんの男の様子からは、挑発の意図がはっきりと見て取れた。おそらく、アルコールのもたらす高揚感が、この男にそういう態度を取らさせているのだろう。もしくは、単に喧嘩をしたい気分だというだけなのかもしれない。

 ともあれレイモンドにしてみれば、わざわざそんなことに付き合ってやる義理はない、というものだ。

「すまないが、暴れたいならほかを当たってくれないか。何も好きこのんで、俺みたいなシケた奴を相手にすることはないだろう?」

 レイはわざと自嘲的に言ってみせた。男の気が白けるのを期待したのだ。ところが、その目論見はどうやら外れたようであった。あしらわれたと感じたのか、男はかえって逆上し、いよいよ声を荒げ始めた。

「おい! いいかクソ野郎、俺はな、お前みたいな奴が大嫌いなんだよ。人をナメたようなツラしやがって、ナニサマのつもりだこの野郎!」

 何か嫌なことでもあったのだろうか、この男は誰かを殴らなければ気が済まないらしい。この調子だと、いくらレイモンドが衝突を避けようとしたところで、延々と喧嘩を吹っかけてくるに違いない。

 いったんこの場を離れるべきか、とレイが腰を上げかけたとき、それに先んじて立ち上がる者がいた。レイの隣に座っていた、ジョッシュである。

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