第一章 二〇九三

運び屋 一


    一


 ダンの声は間違いなく、鋭く尖らされていた。意識してそうしたのだろう。それはダン自身のためでもあっただろうし、また、このときの彼に相対していた人物のためを思ってのことでもあったはずだ。

「俺たちの仕事が何か、言ってみろ」

 打ち捨てられた港湾倉庫の一室で、時代錯誤の裸電球に照らされたダンの顔は、くっきりとした陰影に縁取られていた。

 彼が険しい目を向ける先には、一人の青年の姿があった。どこか未熟さを漂わせた若者の姿がだ。

 その若者は両手を白いパーカーのポケットに隠したまま、視線を彼自身の足元に落としていた。腹の底から込み上げる震えをどうにかコントロールすべく、彼は唾を飲み込んだ。

 長く放置されたままの事務室は全体に湿気を帯びており、カビ臭かった。ひびだらけの壁際に雑に積まれた作業机と、その周りを彩るスプレーアートのグロテスクな原色は、それを目にする者のすべてにある種の警告を与えるかのようでもあった。その極彩色のうねりは、「ここがまっとうな社会から隔絶された空間である」という事実を、言葉もなく周囲に訴えかけている。つまり、それらは進入禁止の標識にも近しい印であるということだ。

 心理的な圧迫もあってかやや手狭にも感じられる室内には、そのとき全部で五人分の人影があった。一人はダンという男。もう一人は例の若者。そうして残りの三人は、部屋の中央で対峙するダンと若者とを緩く取り囲むような立ち位置で、静かに事の成り行きを見守っていた。

 若者――ジョシュア・ハーヴェイ――は、いかにも「不機嫌だ」という具合に歪められたダンの顔にちらりと視線をやったのち、言った。

「俺たちは運び屋だ」

 それも、あまり合法的でない種類の。

「そうだ。それで? お前が俺たちに加わってから、何年が経つ?」

「ああ、まるまる二年だ」

「そう、二年間だ。それで、俺が知るかぎり、この仕事は二年ももてば充分ベテランだ。責任だってある」

「わかってる、だから――」

「だからなんだ!」

 ダンはジョッシュの言葉を遮り、叫んだ。そうすると同時に、胸の憤りをそのままに積まれた机の足を蹴り飛ばす。

「だから警察と追いかけっこか? 馬鹿をやるのもいい加減にしろ!」

「だから、捕まらなかったろ!」

 歯を見せて怒鳴るダンに対し、ジョッシュは正面から食って掛かった。

 この若者はやや痩せ型で、二十歳という年齢に相応しい顔付きをしていた。つまり、肌の張りも血色もそれなりに良い反面、全体に角がなく迫力が足りない。

 一方、そのジョッシュと対峙するダンという男は、ヘビー級のボクサーを想起させる骨太の体格を持った男、それも、一種危うい雰囲気を漂わせる大男であった。

 この二名が睨み合うさまをはたから見ていれば、おそらく誰でも肝を冷やすことだろう。もしもダンがその気になったなら、痩せっぽちの青二才など腕一本で仕留められる。言うなれば熊が痩せ犬を叩き殺すようなものだ。

 己が肺を満たす緊迫感に肌を粟立てながら、ジョッシュはなお気の触れた犬のように叫んだ。

「そうだ、俺は逃げ切った。荷も無事に届けたし金も受け取った。あんたに取り分だって渡しただろう! それの何が気に入らないっていうんだ!」

「警察に目を付けられたんだぞ、お前は! マークされたってことだ、お前の乗ってるバイクも、ナンバーも、そのツラもだ」

「ヘルメットの中まで見られたって言う気か? 馬鹿いうぜ」

「お前のバイクは自前の物だろう。ナンバーから登録を調べれば、顔も住所も全部わかる。だいたい、この界隈であんな骨董品に乗ってるのは俺が知るかぎりお前くらいのものだろうが! 目立たないのに乗り換えろと、何度も言っておいたはずだぞ」

「ナンバーは適当なのに張り替えているさ、心配いらねえよ」

 当然、違法だが、律儀に法律を守っていては運び屋はできない。

 二〇九三年のアメリカにあって、車のダッシュボードや、あるいはバイクのトップケースに入る程度の小さな荷物を、わざわざ人の手で届けさせるのには理由がある。

 なにせドローンでも何でも発達した時代である。遠隔操作にしろAIによる自動操縦にしろ、物を届けるという意味では選択肢に困ることはない。にもかかわらず、人手による運搬という、時間も金も余計にかかる手段を取るからには当然、依頼人には特別な動機がある。たとえば、正式な記録を残したくないだとか、送付するブツの内容を詮索されたくないというような動機が、だ。

 大小の差というものはあれど、それらの事情がいずれ後ろ暗いことには変わりはない。危険もある。しかし、そうした事情につきまとうリスクそれ自体が、運び屋にとっては飯の種になる。要するに、なんらかの危険性をはらむ物品を、証拠を残さず、かつ確実に、一切のトラブルなく届けることこそが、運び屋の存在意義なのである。

「いいかジョッシュ。届ければいいってもんじゃない。金を受け取ればいいってもんでもない。信用なんだ、俺たちの仕事は。警察にマークされるような間抜けに、喜んで荷を預ける馬鹿がいるか?」

 このときのダンの苛立ちが、職務上のそういう性質に根差したものであることは、ジョッシュにもわかっていた。ゆえに、諭すようにそう言われると、いかに血気盛んな野犬といえどさすがに返す言葉を見つけられなかった。考えるまでもなく、非が彼の側にあるのは明白だ。

 言い負かされる形になったジョッシュは、そこでふたたび目を伏せた。

「……わかったよ、あんたの言うとおりだ」

 それが本心からの言葉かどうか、ダンには判断が付けられなかっただろう。だが、「二年ももてばベテラン」という彼自身の言葉は動かぬ事実である。ダンはその点を重視したらしい。部下に向けた厳しい視線はそのままに、彼はため息交じりにこう言った。

「とにかく、バイクは換えろ。新しいのは俺が用意してやる。文句は付けるなよ」

 ダンのこの言葉を契機にして、その日の会合は幕を閉じた。

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