第10話ㅤ路地裏で

 雨が降っている。正確には少し前に降ってきた。

 アンバスにも別れを告げようと中庭に来たが雨が降っていてはあの元気なアンバスも外出はしないかと頭が冷えてわかった。


「ここを出て行くって本当?」


 背後から聞こえた声。この声は知っている。


「どこへ行くの?」

「あなたには関係ない」

「関係あるから僕は聞いてる」


 振り向かずに答えるとユーリスは前にきた。

 そして俯きぎみなノノアントの顔を覗く。


「どうしてそんな顔をしているの」

「本当の自分がなんなのかわからない。だからこうして口調さえ定まらない」


 これまでアビンス家の娘、ルナの姉を演じ続けてきて、どれが本当の自分なのかわからなかった。

 どちらからも解放された今、ユーリスともどう話せばいいか悩んでいる。

 会話を交わすのもこれが最後だと思ったから、たまには偽りないことを話すのも良いと思った。それなのに。

 本当の自分なんてどこにもいなかったのかもしれない。


「それが君……なんだね。どんな相手でもどんな状況でもその場に合わせることのできる器用な人間。だから、器用すぎてわからなくなってるんだ」

「馬鹿じゃないの。あなた馬鹿なんだわ。私は器用なんかじゃない。こうして喋り方にさえ困っているのに」

「だったら不器用でいい。俺が補うから」

「俺……?」

「僕も実はよくわかっていない。けど、全部『自分』だから迷わずにいれる」


 偽物の自分なんていない。

 偽物の感情なんてない。


 本当を求めるとそれを忘れてしまうかもしれない。疑心暗鬼に駆られて逆に偽物を求めてしまっている。

 それは知らぬうちのことで誰かそれに気づかせてあげないといけない。

 誰にでもあることだ。本当の自分を追求して本当の自分さえ別モノとして扱ってしまう。


 本当を求めているのも本当の自分。

 ややこしそうで簡単な答え。

 簡単だからそれは違うと無意識にはねのけてしまっている。

 全て自分。

 認めるのは難しい。

 認めれば嫌な自分も全部本当の自分として認めらなければならないから。

 でもそれが酷でも自分を疑うより良い。


「似た者同士ね。第一人称が変わるとか煩わしいわ」


 ユーリスはひとつ嘘をついた。

 それをノノアントが見抜いたかはーー。


「小さい頃からの縁。だからこれからもずっと大切にしたいと思ってる。

 パンをくれた日のこと覚えてる?

 路地裏で、君は僕を救ってくれた」


 いつか話したけれどノノアントは何もわかっていなさそうだった。何も感じていなかったのだと勘違いしたけれど本当は何も覚えていなかったのではないか。

 ユーリスは確信したかった。

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