第8話ㅤ少年の記憶

「あげる」


 路上にいた男の子の前に一つのパンが差し出された。

 驚いた男の子ははっとしてから、いいの? と問うと、女の子は頷く。

 素直に受け取ると女の子が立ち去ろうとするので、男の子は反射的に女の子の手を取り「まって」と呼び止めた。


 「なあに?」と今度は女の子に問われる。


 パンをくれると言われ渡されたがまさか丸々一個だとは思わなかった。

 女の子の容姿を見る限り自分と同じ「一人で生きている子」だった。だから、パンを分けてくれる自体おかしなことで。


 手元にあるパンを差し出し返した。


「なんで? いらないの?」

「……一緒に食べよう」


 真っ黒な瞳はもう『生』を宿していなかった。

 自分はこんなにも生きようと必死なのに目の前の女の子は……と男の子は怖くなった。

 無理な言い分かと思ったが、了承してくれた女の子と隣合って半分に割ったパンを食べた。


「どうして僕にパンをくれたの?」

「……なんとなく。目に入ったから」


 横に目をやると女の子はどこか真っ直ぐを見て両手でパンを食べている。

 不思議な女の子だと思った。

 寄せ付けない空気を持ち合わせながらどこか人を引き付けるものを持っている。

 実際、男の子は女の子とどうすれば仲良くなれるか思考していた。


 ーーもっと話したい。


 男の子の心の中に強く浮かぶ。

 初めて同じくらいの歳の子に会ったからかもしれない。このまま時間が止まってしまえばいいのにと思った。

 空腹を知らずに彼女と話を、できるなら永遠(ずっと)。


「君の名前は?」

「ノノアント」

「いい名前だね。僕はユーリス」


 自己紹介が済んでしまえば、あとに話題がなかった。

 ーー会話が続かない。だけどもっと話したい。


「……今日はいい天気だね!」

「そう? 雨降りそうだけど」


 見上げると確かに曇り空で、恥ずかしい失言をしてしまったと思った。けれど。


「でも僕には今日が輝いているようにみえるよ」


 本当に輝いているようだった。



 その後、雨が降り、屋根のあるところに移動しようと二人で路地裏から移動した。

 パンを一緒に食べていた時のように隣り合って座れば、そこだけ暖かいように感じた。


 雨が何かに遮られる音に目を開け、上を見るとそこには赤い傘をさした女性がいた。


 男の子に声をかけると今度は女の子に喋りかけた。でも女の子は一切反応を示さない。

 心配して横を見ると、まるで何も聞こえていない彼女のことなんか見えていないかのように真っ黒な瞳でただ一点を見ているだけで。


 女性は困ったかのように笑う。


 膝を曲げ女の子の目の前で笑顔で話しかけると、そこでやっと女の子は微かに瞳を揺らし女性の存在を確認したようだった。

 それからは女の子は女性のことを見続け、男の子は喋りかけられたら答えるということを繰り返し。


 気づけば二人とも車に乗せられ、降りたところは大きな屋敷だった。そこで二人は別れることになった。


 お風呂に入れられ綺麗な衣服を着せられた男の子は部屋へ案内され、その部屋にはあの女の子がいた。近くにいってみるとその女の子の美しさに驚いた。

 艶のある綺麗な黒い髪、きめの細かい白い肌、動かずに一点を見つめている姿はまるでお人形さんだった。

 部屋に入ってきた時に大きなお人形があると勘違いしたほどだ。


 名前を呼ぶと、女の子は男の子の姿を目に止めた。

 もう一度名前を呼び話を続ける男の子。不確かだったが現状に興奮を覚えていた。

 喋り続ける男の子の話をただ聞く女の子。


「ノノアントちゃんは、どう思う?」


 そう聞いても女の子の反応は薄かった。


 「ノノアントちゃん?」と首を傾げる。

 やはり反応はない。


 まるで、その時初めて会ったかのような感覚だった。

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