第7話

 ミズが、まだ慣れない握り方で鉛筆を持ち、紙に文字を書いていた。ア、イ、ウ、口をパクパクとさせながら、楽しそうに書いている。


「ここは跳ねて……そうそう」


 すこし助言をすると、薄い唇から形の良い歯をみせ、ニコニコと嬉しそうだった。また、背中を丸めて手帳に集中している。肩はまだ力が入っているが、初めよりはまだマシだろう。何回も練習したのだろうか、ショウイチ、とミズだけはうまく書けていることが、微笑ましかった。


 伏せた目を囲う睫毛は、瞬きするたび蝶が羽ばたいているようだった。陶器のような滑らな頬は、口が動くたびふわふわと柔らかそうに動く。


 耳にかけていた長く柔らかい髪が、ぱさりと桶に落ちる。まるで花びらが水面に浮かぶように、髪の毛が水に浸った。


「あ、髪が……」


 色素の薄い髪の毛は、まるで天蓋のようになり、完璧にミズの顔を隠してしまう。ミズは、そんなことこれっぽっちも気にしていないようで、変わらず鉛筆をカリカリと動かしていた。髪越しに鉛筆の音が聞こえる。


 そんな一生懸命なミズに、正一はくすりと笑った。そんなささやかな笑い声に、ぱ、とミズは顔を上げる。どうしたの? とでも言うような、きょとんとした表情に正一は、目を細めながら、ハハ、と爽やかに笑った。


「髪、結ぼうか」


 そういうと、正一はコートの内ポケットからなにかを取り出した。というのも、あとあと清に纏わりつかれながら買ったものだった。

 

「これなんだけど……」


 正一の手に乗っているのは、簪だった。簪の先には、細かな硝子が吊るされている。透明な硝子は光を乱反射して、床に光を散らばせた。硝子同士が擦れる音は、シャラシャラと綺麗な音を奏でている。


「ど、どうだろうか」

「……」


 ミズは、その簪をジイっと見つめるだけだった。


 これを店先で見つけた正一は、すぐにこの簪を送ろうと決めた。うしろから、そんな古臭いのはやめろだの、こっちのほうが可愛らしいだの、沢山の戯言は聞こえないふりをした。


 小さな硝子ひとつひとつ輝く姿はミズの鱗のようで、反射した光が瞳孔に入るとキラキラと輝いた。まるで、ミズに一番最初会ったときの正一のように。

 硝子達を太陽に透かせば、海の底から太陽を見ているようだった。きっと、そんな場所がミズには一番似合う。そう考えたら、この簪の他、送るものは見つからなかった。


「流行とか分からなくて……やはり西洋の、リボンとかの方が良かったのかな」


 しかし、やはり不安な気持ちもあった。保険をかけるように出てくる言葉が、正一自身格好悪いと自覚している。


「……着けてくれるか?」


 そう、困ったような顔をしながらミズに問うと、ゆっくりと頷いた。正一はミズの後ろに回ると、まるで骨董品を扱うが如く、そろりと髪に触れた。


 絹のようで細い髪の毛は、少し力を入れれば千切れてしまいそうなほどか弱かった。正一は、慣れないで手つきながらも髪をまとめていく。最中、正一の指に、ミズの髪が引っかかってしまった


「すまん! 大丈夫か?! 痛くなかったか」


 正一は焦り、大きな声で確認した。全く平気なミズは正一の焦りように、フフ、と微笑んだ。髪を束ねている正一に気を遣ってか、遠慮がちに頷いた。


「ああよかった、気をつける……慣れていないものだから、中々……」


 ミズは、心地よさそうに、目を瞑っていた。纏めた髪の毛に、簪をスッと刺す。恐る恐る髪の毛から手を離しても、崩れる事はなかった。


「よかった、出来た」


 簪で纏めたことによって、見えないうなじが見えている。後毛が、艶っぽかった。小さな頭から、細い首がスッと伸びていた。

 輝く髪の毛に、煌めく鱗に、細かな硝子がよく似合っていた。


「……よかった、似合ってる」


 ミズは、照れたように微笑むと、桶に張った水面で髪の毛を確認した。キラキラと反射する簪は、少し頭を傾ければシャラリと音が鳴る。それが気に入ったのか、なんどもなんども、水面を見ながら頭を振った。


「……嬉しい?」


 正一は、優しげな笑みを浮かべながらミズに問う。ミズは、思い立ったように手帳を取り出すと、今言ったことを書いて、と身振り手振りをした。

 

「嬉しい、を書けば良いのか?」


 そういうと、ミズは頷いた。ミズの髪から涼しげな音が鳴る。


「ウレシイ……こうだよ」


 正一が書くと、すぐその下にミズが書き始める。今度は背中を丸めても髪の毛が落ちてこないので、何を書いているかすぐわかった。


ミズ、ウレシイ


 そう書かれた手帳を、正一の前に開いた。正一はびっくりしながらも、一番嬉しいのは自分だなと確信する。


 よかった、と呟くと、2人、優しく微笑んだ。

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