第6話

 正一は、文具店に来ていた。並ぶ万年筆とともに置かれている値札に唸っていた。


「やっぱり、良いものは高いな……」


 ずらりと並ぶ万年筆は、どれも高価なものだった。正一がいい家の出身だとしても、まだ学生の身分。簡単に手が出るようなものでもなかった。


「おう、正一じゃないか。どうしたんだ? こんな所で」

「清」


 うしろからひょっこりと、清が顔を出した。空いているのか分からないような糸目は、正一の吟味していた万年筆を追っていた。


「ひゃー、万年筆か? たっかいなぁ」

「ああ、これは手も出ない」

「欲しいのか?」


 正一は、ミズに万年筆を、と見ていた。きっと、深い藍色のインクが似合うだろうと思った。そんな安直な理由なのが恥ずかしいが、そう思ってしまったのだから仕方がない。きっと、ミズも綺麗だと思ってくれるはずだ。あの、字を教えたときのような嬉しい笑顔をもう一度見たい。そう思った。


「……まあそんなところだ」

「へえ、物に無頓着なお前がね」

「いいだろ、なに買ったって」

「まあそう怒るなよ」


 正一は、教授の父の手伝いでもして、金を貯めてから買うか、と文具店を後にする。まるで一緒に出かけていたように、当たり前に清もついてきていた。


「なんだ」

「まあまあ、せっかく会ったんだし一緒に歩こうぜ」


 学生帽に白シャツ、黒いトンビコートに下駄。上背も高い正二が、コートを靡かせて颯爽と歩く姿は様になった。道ゆく女学生も、噂話をして、目で追うほど。正一を目で追っている女学生を、清は目で追う。正一をみてキャッキャと騒ぐ娘は、可愛らしい娘ばかりであった。


「正一はいいなぁ」

「いきなりなんだ」


そんな姿を清は、恨めしいようによく小言を言っていた。羨ましいだの、妬ましいなど、色々言われていたが正一は意味はよく分からなかった。


「通り過ぎる女学生、みんなお前を見てるぞ」

「どうして」

「どうしてってお前……疎いなぁ。俺も中々、悪くないはずなんだがお前と並ぶとなぁ」


 清は、腕を組むと、はあ、と大きなため息をついた。


「そういうお前は、疎くないのか?」

「そ、そりゃあ疎くないよ……正一よりは」


 なんだか誤魔化すような言い方に、すこし疑念を覚えつつも、それじゃあ、と正一は口を開いた。


「女性に贈り物っていったら、何がいい?」

「えっ! お前、好いてる人でもいるのか?!」

「いいから、贈り物。教えてくれよ」

「もしかして、万年筆見ていたのも贈り物か?!」

「いいから」

「なんだよ、教えてくれよ、それが分からないと答えられないだろう?」


 なあなあ、教えてくれよう、と正一の肩を揺さぶった。清は目を爛々とさせていた。まるで新しいおもちゃを手に入れた子供みたいに興味津々で、タチが悪かった。正一は、ああ、こいつに聞くんじゃなかった、と早々に後悔する。


「いや、もういい……」

「ああ、すまんすまん、待ってくれ! そ、そうだなぁ、髪飾りとかじゃないか?」

「……髪飾りか、たとえば、ああいうのか?」


 正一が、通りの端にいる女学生を指さした。桃色の布で髪をくくり、後ろで蝶々むすびにしている。


「ああ、最近よく見るよな、ああいう髪飾り。リボンていうんだっけ、流行りなんだろうか」

「確かに、可愛らしいな」

「可愛らしい……?! 正一、そんな言葉が使えたのか?」


 ぎゃあぎゃあ、鳥の雛のように問い詰めてきたと思えば、驚きからか目を見開いて固まった。


「忙しいやつだな、お前は」

「そんな性格じゃないだろう」

「どんな性格だっていうんだ」


 たしかに、あの色素の薄いゆるりとクセのついた髪に似合うかもしれない。しかし、果たしてうれしがるだろうか? 何色がいいだろうか、黄色、桜色なんかも似合うかもしれない。いや、淡い水色なんかも似合いそうだ。そんなことを思いながら、女学生の髪飾りをじいっと見つめる。


「ああいうのも好きだが、俺は櫛も好きだなぁ奥ゆかしくて」

「お前の好みは聞いてない」

「ほら、そういう性格だよ」


 見つめられているは学生は、頬を紅潮させて友達とキャアキャアと色めき立つ。もちろん、正一はそんなこと気付いてすらなかった。


「お、おい、正一、見過ぎだって」

「髪飾りか……」


 一通り考えると、口に手を当て、ぶつぶつ言いながらまた歩き始めた。


「ちょっと、おおい、助言したんだからさぁ、贈る人のこと、教えてくれよう」


 清のそんなことは耳に届くはずもなく、正一は颯爽と歩いていくのであった。

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