第17話 月と聖水

 一月二十一日。その日はスーパームーンだと、夕方の天気予報の時にテレビのお天気キャスターが話していた。

 岳斗と天記は、今夜の大イベントに向け、準備万端整えていた。

 稽古も真面目にこなした。

 師範である父親にお説教され、あげくの果てに居残り稽古などさせられたら、何もかも台無しだ。

 宿題もさっさと終わらせた。

 真紀やルミの小言を聞かされても、台無しになる。

 夕食も済ませた。


 「えー、もう食べないの?」


と、ルミがびっくりしたように言う。

 いつもなら、いつまでも食べ続ける岳斗にまだ食べるのかと、聞くところだ。

 そうして風呂場に行き、二人は体を洗いさっぱりすると、何かあった時のために服を着て、満月の光を待つことにした。



 ちょうど、十九時頃。

 空は晴れていた。星もよく見えるし、月もきれいに輝いていた。

 このままなら、天記がむやみに力を使わなくても良さそうだ。

 あとは、月見岩のあの小さく開いた穴に、満月の光が差し込むのをひたすら待つだけだった。

 風呂場の龍の口から、チョロチョロと細く水を流している。天記の手には木刀が握られていた。少しづつ少しづつ月が移動し、月見岩の穴に近づいてくる。


 「もう少し」


 窓の外の月を確認しながら、岳斗がつぶやいた。

 そしてついにその瞬間が訪れた。小さな穴から細い光がツーッと窓を通り、ちょうど龍の口のあたりを照らす。少しづれて、水の流れ出るポイントをとらえた時、水滴の1粒がキラキラと光って龍の口元で待ち構えていた木刀にポトンッと落ちた。

 すると、その水滴は落ちた部分からみるみる広がり、まるで生き物のように木刀を包みこんで、あっという間に美しい刀剣へと姿を変えていった。

 

 「うわっ!」


 天記が声をあげた。突然、木刀だった時とは比べものにならないくらい重くなって、支えているのも精一杯になったのだ。剣先が、湯舟の中にボチャンッと落ちてびっくりしたが、岳斗と2人で一緒に引き上げた。

 ついに出逢えた。

 『聖水の剣』

 キラキラと輝いて、とても美しい剣だった。柄の部分には龍の彫り物があり、ツバの部分には青く光る石がはめ込んであって、そのほかにも細かな装飾が施してあった。

 岳斗と天記は顔を見合わせて笑った。

 しかし、次の瞬間、キラキラ輝いていた美しい剣は、すぐに元の木刀の姿に戻ってしまった。


 「えっ?」


 「なにこれ?戻っちゃったよ。」





 地下室に戻り、紫龍を呼び出した。


 「なんで?」


 紫龍の目の前に木刀を突き出し、岳斗がふてぶてしく聞いた。


 「知らん」


 紫龍もふてぶてしく答えた。


 「そもそも、わしは天記が生まれた時に呼び戻されたんじゃ。それより前の事は知らん」


 横から天記が木刀をスッと取り上げると、隅から隅までくまなく見てこう言った。


 「ここ見て、聖水かける前には無かったんだけど。」


 木刀の柄の部分、『天記』と名前が彫ってある反対側に、見たことのない文字のようなものがあった。

 紫龍がのぞき込む。


 「これは、龍神族の文字じゃ。昔、龍神族の存在を外の世界に知られることがないように作られたものじゃよ」


 「なんて書いてあるの?」


 天記が聞く。


 「『必要な時に』と、書いてある」


 「必要な時に変身するってことなの?なんかヒーローみたいだ。」


 岳斗が間抜けなことを言って、天記をシラけさせた。

 しかし、必要な時にとは言っても、木刀を常にもって歩くわけにはいかない。

 もしも、エンキが何か仕掛けてくるとすれば、天記が結界の外で力を発揮した場所だろう。

 試合会場であった体育館と、商店街のアーケード。アーケードから岳斗の家までは後をつけられているはずだから、猫が見張っている支水神社の門前や、裏門からは出入りできない。

 地下室から地下道を通って森の中の祠を出て、そこから学校へ通う日々を二人は過ごしている。

他に狙われるとすれば、試合会場だけだ。岳斗と天記は試合がある時だけ木刀を持っていくことにした。

 しかし、なぜかその後しばらく、エンキは姿を現さなかった。



      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎



 三月。岳斗と天記は、小学校の卒業式を迎えていた。

 空は青く晴れていたが、風はまだ少し冷たい。

 岳斗は両親が、天記は真紀が参列していた。もちろん希々も在校生として参加している。

 式典中、ほぼずっと感動の涙を流す母親たちを後目に、二人はひたすら気を張り詰めていた。 

 六年生が全員参加している卒業式は、狙われて当然ではないかと、二人は気が気ではなかった。

 朝早く家を出て、こっそりと木刀を持参し、運動用具が置いてある体育館の準備倉庫の隅に隠していた。

 式典とは違う緊張感と戦いながら、卒業証書を受け取った岳斗と天記。

 六年間の思い出に浸る余裕もなかった。

 式の途中田口竜之介が「おまえら、なんか目つき怖いよ。何なの?」と、言うくらい二人の態度はおかしかった。

 しかし、それほど心配したにも関わらず、予想は当たらなかった。卒業式は無事に終わったのだ。

 学校を出るまでの短い距離を、在校生が並んで見送ってくれた。途中、在校生の女子に囲まれて身動きが取れなくなった岳斗を、半笑いで横目に見ながら、天記と竜之介はその場を通り過ぎてさっさと校門を出た。

 担任の川野や女子児童が、わんわん泣きながら岳斗の行く手を遮るものだから、いつまでたっても校門までたどり着かない。

 私立中学へ進学する何名かを除いては、小学校と道路を挟んで反対側にある公立中学校へ行くのだというのに。

 眉間にしわを寄せながら校門を出てきた岳斗は、ニヤニヤ笑っている天記と竜之介の首に両手を回してグッと力を入れた。


 「おまえら~っ!」


 「くっ、苦しいよ岳斗!」


 笑いながら腕を振りほどいて、天記と竜之介は帰り道を走り出した。岳斗がその後を追いかける。

 こうして、小学校最後の日は幕を閉じた。



 家に着くと、岳斗と天記は地下室で紫龍と赤龍を呼び出した。


 「今日は、ほとんどの小学校で卒業式だったんだぜ。絶対何かあると思ってたんだけどな」


 岳斗が拍子抜けしたように言う。


 「何事もなくてよかったじゃないか」


 天記が地下室に持ち込んだ、スナック菓子やチョコレート菓子をテーブルに広げ、モグモグとほお張りながらのん気に言った。

 紫龍が天記の食べているものをじーっと見つめながら「なんでじゃろうの?」と、気のない返事をした。

 紫龍に向かって食べる?とでも聞くように口元へ持っていくと、一瞬ためらったものの、ぱくりと食べる紫龍。美味しかった様で、その後もいくつも口に運んでもらっていると、突然勢いよく扉を開けてチシャが飛び込んできた。


 「ちょっとぉ!見つけたわよ!」


 誰もが聞きたいであろう話だと、チシャは自身満々な様子で、どっかりと椅子に座った。


 「エンキの居場所」


 その場にいた誰もがチシャに注目した。


 「何ヶ月か前、大通りのゴミ集積場で、今にも死にそうな子猫を見つけたのよ。『エサ』だと思って近寄っていったら、突然横から人間の子供が拾っていっちゃったの。その猫がね、さっき公園をうろうろしてたもんだから『あら、元気になったのね』って声をかけたのよ」


 子猫は死ぬ寸前だったところを、小学生の男の子に助けられた。

 その時、すでに意識はこの世になかった。子猫の魂は『生と死のはざま』にいたのだ。

 この世に生きているものが死ぬ前に必ず通る場所。

 そこを通り抜けてしまうと、二度とこの世には戻れない。

 子猫は、そんな死のふちをさまよっているところを助けられ、元気になるまでその小学生の家にいたようだった。


 「その時見たんですって、生と死の間にいる化け物のように大きな猫を。沢山の魂を取り込んで、異常に大きかったって」


 「多分それだ。エンキに間違いないだろう。生と死の間、そんなところに隠れておったのか」


 赤龍がやけに納得したように言った。


 「生と死の間ってどこにあるの?どうすれば行ける?」


 岳斗がすぐにでもエンキ退治に乗り出しそうな勢いで、紫龍の小さな体をつかんだ。

 やめろ、と言わんばかりに体を揺すって岳斗の手のひらからするっと抜け出すと、空中をフワフワ浮きながら紫龍は冷静に答えた。


 「場所は分からん。こちらの世界からは死なねば、あるいは死にそうにならねば、行くことはできんのじゃ」


 その上、その先のあの世に行ってしまえばもうこちらの世界には戻ってこられない。『あの世の者』つまり、神と呼ばれる者も、一度命を終えた者も、そこへは入ることすらできない。


 「要するに、エンキが隠れるには格好の場所というわけだ」


 続けて赤龍が説明したのを、岳斗と天記は歯がゆい思いで聞いていた。

 せっかく居場所が分かったのに、手も足も出ない。結局相手の出方を待つしかない状況に、二人はため息をつくしかなかった。

 何かあった時のために、心の準備はできていたが、それ以上の動きはなく、何日も静かな日々が続いていた。



 それから岳斗と天記は、三月末に行われる、小学生最後の全国大会に向けて、強化稽古に励んでいた。試合前の一週間は特に、近くの警察道場から、何人もの大人が駆けつけてくれ、今まで以上の激しい稽古が行われた。

 毎日、くたくたになるまで動いたが、なぜか辛いとは思わなかった。この一つ一つが、もしかしたらエンキと戦うための糧になるかもしれない。自分自身を守る盾になるかもしれない。二人共、全く手を抜くことをしなかった。周りの大人たちが目を見張るくらい稽古に没頭した。

 稽古終わりに大人たちが、


「今年は優勝間違いなしだな」


などと、話し合っているのを、岳斗も天記も耳にしていたが、目的がそこではないので全く気に留めてはいなかった。



              つづく




          


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