第15話 龍神の力 ⑴

 年明け、満月の日をネットで検索した岳斗と天記。

 一月の満月は二十一日だった。

 月の出る時間や角度を計算し、ちょうどその頃に合わせて、二人は風呂に入る予定だ。


 「天記さん。満月の日の天気が悪かったらどうしよう」


 もっともだ。



 元旦のその日、空はとても晴れていて、澄み切った青の中にいくつかの白い雲が浮かんでいた。

 岳斗と天記は支水神社に初詣。それは岳斗の家である。

 近隣に住む人々など、たくさんの参拝者に混じって、本殿までの距離を少しづつ進んでいく。宮司である岳斗の父親岳男も母親のルミも、天記の母親の真紀も、手伝いで忙しい。

 アルバイトで雇われた巫女姿の女子高生が、何人もバタバタと動いている。一年で一番慌ただしい時期なのだ。

 天記と岳斗はと言えば、正月は二日の朝から剣道の寒稽古。他道場からやってくる人々を迎える準備のため、朝五時から、神武館OBの若い有段者たちとともに、働くことになっている。

 二人は初詣を終えると、人混みを避け、街中を抜け、学校の少し先にある武道具店に新年の挨拶に向かった。

 のんびりと川沿いを歩いていると、ふいに岳斗がもし満月の夜、天気が悪かったら……と、話し始めたのだった。


 「天記さん、満月の日が天気悪かったらどうしよう」


 天記はその答えをすぐに出すことができた。


 「心配ないよ」


 突然、天記は川沿いの土手を川岸まで駆け下りていった。

 岳斗は慌てて後をついていく。

 天記は用心深くあたりを見回して、誰もいないことを確かめると、ゆっくりと右手を上にあげ宙に漂わせた。

 人差し指と親指とで、宙をつまむように動かすと、今度はそれを引き寄せるように肘を曲げた。

 すると、青空に浮かんでいた白い雲の塊が、小さく切り取られたようにスーッと、岳斗と天記の目の前までやってきた。

 あまりの出来事に、岳斗は目を丸くしてその雲を見つめながら、ポカーンと口を開けていた。


 「水を自由に操れるって、紫龍が教えてくれたんだ。まだ子供だからあんまり大きなことはできないけど、雲も水蒸気だから、月の明かりを見れるくらいになら動かせる。」


 天記は小さな雲の塊を、岳斗の目の前でいろいろな形に変えて見せた。

 車の形、飛行機の形、動物の形、最後に小さくサーッと雨を降らせると、雲は跡形もなく消えてしまった。


 「スゴイ!天記、すげぇ、カッコイイ!」


 岳斗は驚きと興奮で、ほおが赤くなっている。


 「えへへ」


 天記は照れ笑い。岳斗に言われると、とても嬉しかった。



      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎

 


 五日間の寒稽古があり、冬休みの残りの幾日かは稽古が休みだ。書初めをしたり、宿題をしたり希々やミミと遊んでやったり、と普通の小学生の生活を満喫した岳斗と天記は、その後また普通ではない状況に陥ることになる。

 新学期が始まり、最初の金曜日。学校帰りに二人が商店街のアーケードの前を通りかかった時のことだ。天記が突然おかしなことを言いだした。


 「今、アーケードに入っていった黒いキャップを被った男。何か懐に隠し持ってる。」


 「え、なに?何を持ってるって?」


 天記はじっとその男の後ろ姿を見つめて、しばらくすると「ナイフだ」と、言った。


 「ナイフ?天記?」


 岳斗は、ナイフという言葉に少し驚いて天記の顔を見た。するとその時、天記の瞳は人のそれではなくなっていた。

 青みがかった銀色の瞳は、ギラギラと光って、まるで全てを見通しているようだった。


 「天記!?」


 大きな声で名前を呼ぶと、我に返ったように岳斗を見た天記は、「止めなきゃ!」と、突然アーケードに向かって走り出した。

 それと同時に、岳斗の右手首のブレスレットがグッと締まった。危険を知らせるシグナルだ。


 「いったい何なの?」


 岳斗は慌てて天記の後を追いかけ、走りながら思った。

 どんなことがあっても、自分から積極的に動くことなどない天記だ。それが、何かに突き動かされるように走っていく。

 上下に動く、天記の背中にあるランドセルを見ながら、不思議な気持ちになった。


 (天記について行かなきゃ)


 アーケードの真ん中くらいまで来ると、その男は立ち止り、懐からナイフを取り出した。そして次の瞬間、大声を上げながら通行する人々や買い物客に襲いかかっていった。

 アーケードの中に悲鳴が反響し、辺りはたちまち逃げ惑う人々で騒然となった。

 逃げて行く人々にぶつかりながら、天記と岳斗は騒動の只中に進んでいく。

 周りの人はすぐにいなくなり、切り付けられた人達がうずくまっているだけになった。

それでも男の動きは止まらず、次のターゲットを探して、キョロキョロと辺りを見回している。

 天記は男の後方に立っていて、どうにかして動きを止められないかと、考えを巡らせた。

 ゆっくりと背負っていたランドセルを下すと、何か役に立つものはないかと見回した。

 そして、隙間なく立ち並ぶ店と店の間に、水道があるのを見つけた。


 (これだ!)


 天記は水道の方向に右手を伸ばし、手のひらをに力を込めた。水道の蛇口が、カチャカチャと音を立てて振動している。

 天記は右手をギュッと握ると、それを男の方向へ素早く動かした。すると、その瞬間、水の圧力に任せて蛇口が勢いよく飛んだ。

 蛇口は、ナイフを持ったままキョロキョロしていた男の後頭部に鈍い音と共に当たって、衝撃で男は倒れ気を失った。

 岳斗は、すぐに近くの商店の中に隠れていた大人に、救急車を呼ぶよう声を掛けると、ケガをしている人達を一人一人見て回った。

 何人か軽い傷を負った人がいる中で、1人だけ、起き上がることもできずにうめいている者がいた。

 近づいてみるとそれは小学生で、二人と同じようにランドセルを背負っていた。よく見ると、見たことのある顔だ。


 (桜井だ。田口をいじめていたあいつだ!)


 「天記!」


 岳斗は天記を呼んだ。


 「マズイよ、見て!」


 桜井は右腕に切り付けられた傷と、胸のあたりに刺された傷があった。腕の方は大したことはなさそうだが、胸の傷はかなり深そうだ。

 そこからどんどん血が流れてくる。はたして救急車が来るまで持つだろうか。

 桜井の顔からは血の気がひき、呼吸も乱れていて、岳斗と天記は今にも全てが止まってしまうような恐怖を感じていた。

 すると、岳斗が思いついたように言った。


 「天記、助けて。桜井、助けてやって!」


 そうだ、天記の力なら助けることができる。

 しかし、この状況で、周りに多くの人が見ている中で、そんなことをしたらどうなるか。天記は人ではないと知られてしまう。天記の力の存在を世の中に広まてしまうことになる。それはダメだ。天記は首を横に振った。


 「ダ、ダメだよ」


 「助けないと、桜井このまま死ぬかもしれない」


 『死』という言葉が天記の胸を突き刺した。

 今、桜井のこの先の運命を自分が握っている。自分が助けなければ目の前の命がこの世から消える。

 天記は一瞬でもためらったことを後悔した。そして、強い意志を持って桜井を助けると決めた。

 桜井の前にひざまづき、両手を血の流れ出る傷口に当てる。手の平に意識を集中させると、そこから白い光があふれ出し、桜井の体全体を包み込んだ。

 その時だった。

 天記の頭の中で紫龍の叫ぶ声がした。


 『いかん!天記、止めるじゃ!』


 声ははっきり聞こえたが、天記は止めることはしなかった。

 商店の中に隠れて様子を見ていた人々が、それを見て何事かと集まってくる。

 この状況はマズイに決まっている。紫龍が止めるのも無理はないし、他に理由があるのもわかっている。しかし、それでも桜井を助けたかった。

 しばらくの間白い光に包まれていると、血が止まり、傷あとさえも消えていった。

 桜井の顔色が少しずつ明るくなり、呼吸も落ち着いてきた。

 助かった。岳斗の顔にも笑顔がこぼれた。


 「桜井、桜井、大丈夫か?」


 岳斗が声を掛けると、桜井はうっすらと目を開け小さくうなづいた。

 岳斗がホッとしたのも束の間、次の瞬間、岳斗の肩に天記が倒れこんできた。胸を押さえて苦しそうにしている。


 「天記、どうした?」


 岳斗が天記を支えながら、顔をのぞき込むと、まるでさっきまでの桜井のように血の気が引いて真っ青だった。


 「天記!天記!」


 天記にはその時、岳斗の声よりも紫龍の声の方が大きく聞こえていた。


 『天記!わしを出せ!』


 天記は右手を出すと、苦しそうに呼吸をしながら、震えた小さな声で紫龍を呼んだ。

 右手から紫龍が飛び出して、宙高く舞い上がり、くるくると回りながらアーケードの天井近くまで来ると、一瞬大きな光を放った。その閃光せんこうはアーケード全体、いやそれ以上大きく広がりスーッと消えていった。

 すると、辺りの空気がまるで凍ってしまったかのようにピンと張り詰め、全てのものの動きが止まってしまった。

 岳斗が周りをキョロキョロ見回すと、そこにいた人全員が、あんぐりと口を開けて、アーケードの天井を見上げながらマネキン人形のように静止している。

 紫龍が自身の力で時を止めたのだ。岳斗と天記と紫龍以外の全てのものが、ピタリ動かず止まっていた。


 「紫龍!」


 岳斗が宙に浮く小さな龍に呼びかけると、紫龍は二人の元へ降りてきた。


 「天記が変なんだ!」


 天記は岳斗の腕の中で全く動かない。


 「大丈夫じゃ。ただ眠っているだけじゃが、しばらくは目覚んじゃろう。それよりも早くここから立ち去るのじゃ。わしは、お前たちを見たすべての人間の記憶を消してから行く。とりあえず、天記はお前の部屋に連れていけ。早く!」


 岳斗は天記を背負い、ランドセルを二つ抱えて、全てのものが止まっているアーケードの中を通り抜け、家へと急いだ。

 途中、止まっていたものが動き出し、大通りの向こうから救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。たぶん紫龍が時を動かしたのだろう。

 騒ぎに気付いたたくさんの人々が、アーケードの方角へ向かっていく。天記を背負った岳斗は、両手に血をべったりつけたままの天記を、見られないようコソコソと逃げるように歩いて行った。



              つづく

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