第12話 カヤネズミ

 それから何日か、二人はまともに口をきかなかった。

 天記は、自分の口からつい出てしまった本心を、岳斗に知られてしまったことが気まずくて。

 岳斗は、自分が長い間ずっと守ってきたと思っていた天記に、自分の思いが伝わっていなかったことに多少傷ついて、歩み寄ることができなかったのだ。



 一週間が経った頃、その日の稽古後のことだ。神武館道場に通ってきている子供たちが全員帰り、静まりかえった道場の隅で岳斗と天記は竹刀の手入れをしていた。

 小さい子達の竹刀のささくれや割れを点検し、直しておくのは二人の役目だった。

 竹刀立てに立ててある、何本もの竹刀を一本ずつ丁寧に点検していると、竹刀のカチャカチャという音の合間に「チッチッ」と、小さな音が聞こえた。

 気づいたのは天記だった。竹刀立ての奥、扉の向こうから聞こえてくる。

 立ち上がり、音のする方へ歩いていく。防具置き場のさらに奥、真っ暗で何も見えなかったから、天記は扉の横にある電気のスイッチをを押した。

 音のする方向をよく見ると、隅っこにあったのはネズミ捕りの仕掛けだった。

 エサを置いておいて、ネズミがそれを取りに来ると、金属のバネが反応してバチンッとはさまれる、昔ながらのネズミ捕り。岳斗の母、ルミが仕掛けておいたに違いない。

 近づいてみると、五センチ位の小さなネズミがネズミ捕りにはさまれて「チッチッ」と、鳴いていた。

 天記は仕掛けを外して、ネズミを逃がしてやろうとした。しかし、ネズミは両足が折れてしまっているようで、逃げることができなかった。


 「天記さん?」


 防具置き場からなかなか戻ってこない天記の様子を見に来た岳斗が、声をかけてきた。しゃがんでいる天記の背中の方からのぞきこんで見る。


 「ネズミの赤ちゃんみたいだ」


 「それは、カヤネズミですね。日本では一番小さい種類のネズミだと思いますよ。天記さん、多分それは大人です」


 岳斗は生き物にも詳しい。小さい頃から目に付く生き物はほとんど捕まえて、一度は飼ってみたりしている。昆虫から小動物、小鳥、猫、犬は今でも飼っている。と、いうか今はルミが世話をしている。

 関心を持ったものには、全て手を出さずにはいられないのが岳斗の性格なのだ。


 「物知りだな、岳斗は」


 「優しいな、天記は」


 岳斗が本心を言うときはいつも敬語ではない。


 「俺たちが一年の時、山田大基やまだだいきにボコボコにされたの覚えてる?」


 岳斗は天記のとなりに座りながら話し始めた。

 山田大基は二人のライバルだ。同じ学校の六年生だが、二人とは違う剣道場に通っている。

 希々の強敵、山田美由の兄でもある。

 体格がよくて、小さい頃から縦にも横にも人並外れて大きかった。そして、弱いものいじめばかりしている嫌なヤツである。

 体も気も小さかった天記は、当時同じクラスだった山田によくいじめられていた。



      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎



 一年生のある日、天記が校庭の隅で山田とその仲間にたたかれたり、蹴られたりしていた。

 天記はなぜか逆らうことなく、じっと耐えているだけだった。


 (じっとしていればすぐに終わる)


 小さいながらに、その場をやり過ごす方法を自然に身につけてしまうほど、天記は同じような目にあっていた。

 いつものことだと割り切ってると、遠くから岳斗の声がした。


 「おいっ!やめろよ!」


 校舎の方から走ってきた岳斗は、天記と山田の間に割って入ると、両手を広げて立ちはだかり山田をにらみつけた。

 それまでうつむいていた天記は、目の前に突然現れた岳斗に驚いて目を見開いた。


 「なんだよ、二宮!じゃまだよ、どけ!」


 山田は岳斗を勢いよく横へ払い飛ばすと、再び天記に向かって右拳を振り上げた。

 天記は思わず目をつむって両手で顔をガードした。しかし、次の瞬間に何も起こらなかった。


 (え?)


 天記がゆっくりと両手をおろし、目を開けてみると、そこには山田を押し倒し、その上にまたがって、両手で山田の髪の毛をつかんでいる岳斗の姿があった。


 「天記をいじめるなぁ!」


 大声で威嚇しながら、岳斗は全力で山田を抑え込んだ。しかし、体格差は大きかった。すぐに形勢逆転され、反対に岳斗はボコボコに殴られた。


 「お前は違うクラスだろ、二宮!俺たちのクラスのことに口出すなよ!」


 そう言いながら、山田は岳斗を殴る手を少しも休めなかった。

 一年の時、天記と岳斗のクラスは別で、教室は端と端。遠くに離れていたため、岳斗は天記がいじめられていることにそれまで気づかなかった。

 それに加え山田は、アザを作ると目立つであろう場所はねらわずにいたから、家族ですらいじめを知らずにいたのだ。

 天記はと言えば、父親がなく一人で育ててくれている真記に、心配をかけたくない気持ちから相談することはなかったし、大事になるのを嫌って担任に話すこともなかった。

 山田に反抗することさえしてこなかった天記は、目の前で自分のために殴られ続けている岳斗の行動が理解できずにいた。

 そもそも、おとなしすぎる天記とは全く趣味も性格も合わず、毎日家族のように一緒にはいても、自分に興味や関心などなかったはずの岳斗だ。

 天記はこの状況に付いていけず、おろおろするばかりだった。

 山田は本気になってしまっていた。顔を真っ赤にしてかなり興奮している様子だ。このままでは岳斗が危ない。天記の心の中で危険信号が点滅していた。

 そして次の瞬間、天記の頭の中で何かがはじけた。


 「うわーっ!」


 天記は夢中で、今まで一度も逆らったことのない山田に向かって体当たりした。

 山田は勢いでゴロンと地面にころがった。すかさず山田の上にまたがって、両手でバチバチと思い切り顔をたたく。


 「わーっ!」


 大声を出さないと怖くて仕方がなかった。

 大柄な山田にとっては、蚊の一刺し程度にしか感じなかったかもしれない。すぐにまた形勢逆転。

 山田と一緒にいた仲間も一緒になって、岳斗も天記もさらにボコボコにされてしまった。

 結局、騒ぎが大きくなって担任教諭が仲裁に入り、『ケンカ』とされたこの騒動は治まった。



      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ 



 「あの時、決めたんだ」


 岳斗の口調でふざけていないとわかる。

 小一の誕生日の日、岳斗は前の宮司である祖父にプレゼントだと言われ、あの地下室とブレスレットと自分の役割を受け継いだ。

 祖父はその時、こう言ったのだ。


 「お前は、龍神に仕えるために生まれてきたのだと思いなさい。我々龍神族は、あの方がおられなければこの世にいない。残りの人生の全てをかけて、天記と共に生きろ」と。


 (天記のために生きる?あの天記のために?弱虫でへたれじゃないか。どうしてあいつのために生きなきゃいけないんだ)


 初めは、そう思っていた。あの日、弱虫でへたれだった天記が、敵うはずもない山田に本気で立ち向かっていったその時まで。

 それはたぶん岳斗のために違いなかった。おとなしくて、どんなことにもあまり表情を変えない、友達ともワーワー騒いだりすることのない天記が、大声を上げて夢中で戦っていた。

 人は見た目ではないと思った。こんな熱い気持ちが、天記の中に眠っていた。岳斗は、自分の考えが間違っていたと、心から反省したのだ。

 そして、岳斗はその時から祖父が言ったことを信じてみようと思った。

 『天記は龍神の子だ』と、いう言葉を。


 「俺は、俺のために生きてる。これから先起きることの全てを、天記と一緒に乗り越える。それが俺の人生の大きな目標なんだ。けっして天記のために何かを我慢したり、諦めたりしてない。それに俺、そんなにカッコよくねーよ」 


 岳斗は照れくさそうにそう言った。

天記は解っていた。自分がただすねているだけだということも、岳斗が仲直りしたがっていることも。


 「ごめん」


 天記は一言だけ謝ったが、岳斗ほど自分の気持ちを表現するのは上手くないから、それ以上は何も言えなかった。

 ネズミ捕りから助けてやったカヤネズミは、天記の手の平の上で動けずに「チッチッ」と、鳴いていた。


 「あー、もう死んじゃうかなこのネズミ。足が両方折れちゃってるみたいだ」

 岳斗が眉間にしわを寄せながら、ネズミをのぞき込んだ時、天記が小さく微笑んで言った。


 「見てて」


 天記は、手のひらのネズミを両手でふんわり包み込むと、目を閉じて何かを念じるように少し頭を下げた。

 すると、手の平から柔らかな白い光があふれ出して、手の平全体を包み込んだ。


 「え、何?」


 岳斗が目を見開いて見ていると、しばらくして天記はゆっくりと岳斗の目の前で手を開いて見せた。


 「チチッチッチッ」


 さっきまで虫の息だったカヤネズミは、両足もすっかり元に戻って、元気に動いていた。

 そしてネズミは天記の手の平からピョンと床へ飛び下りると、そのまま闇の中に消えていった。

 岳斗は、あまりのことに驚いて言葉が出なかった。


 「へへっ」


 天記は小さく笑って岳斗を見た。


 「紫龍に教えてもらったんだ。父さんにも同じ力があったって」


 「す……、すごいな天記。ケガが治せるのか!」


 「自分以外の者のケガはね。それにちょっとした条件もあって、治しちゃいけない場合もあるみたい。あと、この力を使うとちょっと疲れるんだよ」


 「そうなんだ、でもすごいよ。やっぱり天記は龍神の子なんだな」


 岳斗は、自分が信じてきたものに間違いがなかったと改めて自信を持った。



              つづく



 

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