第33話 『開示』不可?

 ────藤田書店


 交際の取りやめを告げられた時の藤田奈緒の反応は異常であった。

 普通、恋人に振られるというのは平静でいられるようなものではない。

 しかし、藤色髪のお姉ちゃんは茂木恋からフラれたというのに全く動揺する様子はなかった。


「うん。それじゃあお姉ちゃんはお仕事に戻るね♪ 弟くんがアルバイトやめちゃってこれから大変になっちゃうよ〜」

「あの、奈緒さん」

「ん? どうしたの弟くん? お姉ちゃんとのラブラブ性活が名残惜しいのかな♪」

「いやそんな乱れた関係じゃなかったですよね!? ってそうじゃなくて……そんなあっさり受け入れていいんですか? 訳も聞きませんし……一応、俺は奈緒さんのことを振ったんですよ」


 茂木恋は懐疑的な目で彼女を見た。

 藤田奈緒の反応は物わかりがいいなんてレベルを超えていたのである。彼が疑い深くなるのも頷ける。

 藤田奈緒は何がおかしいのかと言った様子で言葉を返した。


「お姉ちゃん振られちゃったね。でも、すぐ戻ってくるんでしょう? いくら取り繕ったってお姉ちゃんの目は誤魔化せないんだゾ♪」

「誤魔化せないって……それだと俺が何か嘘をついているみたいじゃ」

「頑張ってね、茂木くん♪」

「っ!? 奈緒さん……突然どうしたんですか」


 最初の呼び方に戻っただけだというのに、それだけで藤田奈緒の言葉の重みが強まった。

 彼女は茂木恋の制服の襟を正し、スクールバッグを撫でる。

 気づけば彼女の手の内には黒い小さな機械が握られていた。

 いつからつけられていたのか茂木恋は知らないが、彼女の握るそれはまさに彼女の『病み』の体現だった。


「有紗ちゃんとの会話、私も聞いたよ。それに、ここでは名前の出せないあの人との会話についても。あの子、絶対茂木くんに気があるね♪」

「そ、そういう訳でしたか……」

「茂木くんの家に取り付けていたカメラとか、全部外しておいたから今日は安心して部屋でしてもいいんだゾ♪」

「あの奈緒さん?」

「カメラの代わりにちょっとえっちな自撮りを送っておくから好きにしてね♪」

「奈緒さん!? 何を言ってるんですか!?」


 店の奥で咳払いが聞こえた。

 親のいる空間でする話ではないのは自明であろう。


「私は大丈夫だから、全部解決したらまた呼ばせてね……弟くんって」


 藤田奈緒はそういうと、茂木恋の頭をポンポンと叩く。

 茂木恋はそのポンポンを甘んじて受け入れながら、彼女とのしばらくの別れを惜しんだ。


「奈緒さん、次会うのは全て終わらせてからです。すぐに……帰ってきますから」

「うん。家族は一緒にいるものだから。茂木くんは絶対大丈夫だって信じてるゾ♪」


 藤田奈緒に背中を押され、彼は店を飛び出した。

 振り返ると藤田書店と書かれた看板が目についた。

 彼が初めてバイトでお世話になった場所である。

 そして、初めてできた彼女の家でもある。


 必ず戻ってくると胸に誓い、茂木恋は自転車を漕ぎ出した。


 *


 ────水上クリニック2階 リビング


 藤田奈緒に別れを告げた後、茂木恋は水上かえでの家に来ていた。

 休日であるため、水上かえでは私服姿。

 フワフワとしたフリルが多くついたピンク色のワンピースを見に纏う彼女は、どうやら家でもメルヘン志向な服を着ているようである。


 リビングのテーブルについた水上かえでは、怪訝な表情で茂木恋を見ていた。

 言い出そうかどうか迷った挙句、堪えきれずに彼女は口を開いた。


「茂木くん。大切な話があるって聞いたんだけどさ」

「うん。今日は水上さんに大切な話があって来たんだ」

「私ね、お母さんも一緒に話があるって聞いたから、そういうこと考えたよ。もしかして、もうそういう関係になろうとしてるのかなって。だって、親同伴で恋人たちが話をするって言ったらそういうときでしょ?」

「ま、まあ。普通そうだよね」

「でもこれは違うよね? だってお母さん茂木くんの隣だもん。もし婚約とかの話をするならお母さんの座る椅子はここのはずだもんね!?」


 水上かえでは隣の椅子をバンバンと叩いて荒れていた。

 返す言葉もないと言った様子で茂木恋は苦笑い。

 水上かえでの母親は緊張感がないようにピースしていたが、それがかえって水上かえでを怒らせていた。


「かえで、でも今日大切な話があるのは本当なのよ〜? それでは茂木くん発表お願いします」

「あ、はい。じゃなくて、発表はお母さんからしてもらってもいいですか? そっちの方がいいです」

「あら、そう? ならお母さんから発表するわね〜」


 水上かえでの母はそういうと、電話帳の隣にあったメモ帳をテーブルの上においた。

 メモ帳に書かれていたのは、電話での質疑での回答だった。

 彼女は声のトーンを落として、真面目な雰囲気で話し出す。


「先日、県立附属高校にかえでの入試時の点数開示を求めたわ。それと、回答用紙の返却も」

「えっ……高校入試の……?」

「そうよ。結論から言えば、どちらも開示不可能だったの。茂木くんに言われて確認して正解だったわ」


 茂木恋自身、彼女の母から得点開示についての結果を聞くのは初めてだった。

 予想ができていたことだったため「やはりか」という気持ちが先行していたが、それでも憤りを感じるのは自然であろう。

 彼と同様に、心を荒波を立てているのは水上かえで。

 自分の受験結果が開示不可能ということは、県立附属の学校側に何かしらの問題があったことを示しているというのは、彼女も理解していた。

 表情に出さないように必死に堪えていた彼女に、茂木恋は本題を切り出した。


「水上さん、落ち着いて聞いて欲しい。俺は最近、県立附属のある生徒に会ったんだ。その生徒は明らかに県立附属のレベルに達していなかった。多分、俺の高校の生徒のトップ半分以下の学力レベル。まともに受験して県立附属に受かるレベルじゃないから、裏口入学の説が濃厚だと思う」

「えっ、それって……」

「その子の代わりに水上さんが落とされた可能性があるってことだよ」


 茂木恋がそれを伝えると、彼女は表情を変えずに、ゆっくりと涙を流した。

 県立附属に落ち、光琳高校に入学しておよそ4ヶ月。

 彼女なりに今の高校の境遇を認めつつあった今日この頃に、受験に不正があった説が上がったのである。

 どういう気持ちでそれを受け入れればいいのか、彼女自身掴めていなかった。


「そ、それじゃあ私はその子がいなかったら受験に……」

「失敗してなかったかもしれないね。確定した情報じゃないけど、水上さんが自己採点で合格点だったこと、得点開示が受け入れられなかったことから、その可能性はかなり高いとみてるよ」

「わ、私……どうしたら……どうしたらいいと思う、茂木くん? 今更受験に合格してましたって言われても、どういう心持ちをすればいいのか……」

「ちょっと待って〜その子が入試でたまたま解けちゃった、って可能性はないのかしら?」


 水上かえでの母はのほほんとした口調でそう聞く。

 娘の入試に何かあったのは間違いないが、疑惑だけで相手を責めるような性格はしていなかった。


「もちろんその可能性はありますが、その裏口入学をしたと思われる子が少し特殊なんです。黒田商店街をご存知ですよね?」

「ええ、知っているわよ〜利用はしないけど存在だけなら」

「黒田商店街は団結して内部から市長を選出するんです。そして、市の予算を使って商店街を存続させています。商店街の人から聞いたので、これは間違いないと思います」

「市長というと……黒田平蔵さんだっけ? 確か中学の卒業式とかで挨拶に来たことあったよね?」


 水上かえでは中学の頃の記憶を頼りにその名前を口にする。

 スキンヘッドの柔和な表情が印象的なお爺さんだったのを、茂木恋も覚えていた。


「うん。その黒田平蔵さん。そして、今疑っている子というのはその孫娘である黒田優美さん」

「でも、市長の孫娘ってだけで不正をしたって決めつけるのは時期尚早なのではないかしら〜?」

「彼女には……正確には黒田平蔵さんの方かもしれませんが、前科があります。小学生の頃、いじめで1人を自殺に追い込み、中学の頃は同じくいじめで1人を不登校に追い込んでいます」

「自殺って……」

「そして、それらの事実は一切世に出ていません。なぜなら、虐められていた商店街の子供たちは黒田の家が市長をやめてしまえば生活が立ち行かなくなるからです。そう言った通常考えられないような自体が起きているんです」


 真っ黒な商店街の真実を聞き、水上家の2人は固まってしまう。

 茂木恋自体、初めて田中太郎からこの話を聞かされたときには耳を疑っていた。

 商店街が一致団結するというのは決してマイナスなイメージではない。

 しかし、団結した結果商店街に店を出すものたちは彼らのいいサンドバッグになってしまっているのだ。


「おそらく、水上さんの受験の件でも何かしらの形で商店街が関わっているはずです。採点者に商店街出身者がいるとか」

「……茂木くんはその話を私にしてどうしたいの?」


 怒っていいのか、泣いていいのか感情の置き所がいまだに掴めていない水上かえでは、率直な疑問を口にする。

 彼女は受験こそ失敗したが、彼と出会えた現在の生活に満足しているのだ。


「……結論から話すよ。水上さん、俺と別れて欲しい」

「えっ……それは何故……?」

「黒田優美と仲良くなるためだよ」


 即答した茂木恋に、彼女の母親が不満げな表情になる。


「茂木くんうちの娘のどこが気に入らないのかしら〜?こんなに可愛いのに堂々と他に好きな人ができたから別れて欲しいだなんて、少し横暴ではないの〜?」

「お母さんは水を差さないで。他に好きな人がいるのはいいよ。今だって、私の他にも奈緒さんと有紗ちゃんと付き合ってて、それに近所の絵美里ちゃんに結婚を迫られてて、許嫁の美海ちゃんがいるのも知ってる」

「お、お母さんそれは知らないわ!?」

「ちょっと水上さん余計な情報多すぎませんかね!?」


 一瞬で、母からの信用が地に落ちた茂木恋。

 登場人物を羅列するだけで信用を落とすことのできるのは彼の一芸だった。


「それに加えて、私を受験に失敗させた張本人らしき人とまでお近づきになりたいだなんて、茂木くんは見境がなさすぎるよ」

「そ、それは……だけど、これは水上さんのためでもあるんだ。黒田さんに近付くといっても付き合う気は一切ない。信用を勝ち取った後、みんなの前に呼び出して謝罪させたいだけだから」

「……茂木くん最低だね」

「ああ……自分でもわかってるよ。付き合う気がないのに相手を恋に落とすようなこと……」

「そっちじゃないよ。『私のため』ってところを言ってるの」


 水上かえでは彼を指差し鋭い眼差しでそう言った。

 予想外の指摘に、茂木恋は硬直した。


「『誰かのため』とかいいつつ、茂木くんがしたいからするんでしょ?茂木くんはきっとその商店街の子の被害者でも何でもないのに。私はもしかしたら被害者かもしれないけど、復讐してくれだなんて一言も頼んでない」

「ごめん。実は……」

「わかってるよ。さっき茂木くんは『みんなの前に呼び出して』って言ったよね?きっと、奈緒さんと有紗ちゃんも被害者なんでしょ?予想だけど中学時代にいじめで不登校になったのは白雪さんだよね?」

「……正解だよ。奈緒さんも詳しくは言えないけど被害者だ。直接彼女に聞くようなことはしないで欲しい」


 茂木恋は俯き加減にそう答える。

 水上かえでは冷たくなった紅茶を一気に飲むと話を続けた。


「だから茂木くんは『他に気になる子ができたから別れて欲しい』……これだけでよかったんだよ」

「でもそれだと水上さんはきっと納得……」

「しないよ。納得しないのは、絵美里ちゃんからのメールの件でわかるでしょう?そして……私がその言葉だけで茂木くんに何かあったって気付ける人だって理解してよ」

「……ごめん」

「とにかく、事情は大体わかったよ。別れるのも了承する。その代わり、私にも何か手伝わせてよ。私は幸い商店街の人間じゃないし、その黒田さんって人に警戒されにくいから、少しは力になれると思う」

「本当にありがとう……」


 水上かえではスマホで連絡帳を開く。

 そこには中学時代に見覚えのある名前が並んでいた。


「私、こう見えても中学時代は頭良い子達のグループだったから、もちろん県立附属に入学した友達もいるんだよ」

「こう見えても何も、水上さんは現在進行形で頭がいいよ。確かに水上さんの連絡網があれば、黒田優美の学校での情報を収集するのは簡単そうだね。本当に助かるよ」

「えへへ……ありがと。頼りにしてくれたら私も嬉しい」


 茂木恋は彼女の手の握り頭を下げた。

 下げたところで茂木恋はあることを思い出した。

 そういえば、彼にも県立附属に入学した友人に1人心当たりがあったのだ。


 それについては彼女に話さず、茂木恋は水上家を後にする。

 水上かえでの母は、娘が振られたことを不満に思っていたようだが、口に出さずに茂木恋を見送る。

 彼女の母はどうしようもなく親バカなのだ。

 娘が大丈夫といえば大丈夫。

 そんな態度が娘を苦しめたのだが、水上かえではそのことについてはまだ話すことができずにいた。


 3人の彼女と一時的に別れを告げた茂木恋は、頭の中で計画を練りながら帰路につくのだった。

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