第34話 『身元』漏洩?

 ────黒田商店街


 その日、神社に寄ろうと思ったのは特に用事があったからではなかった。

 実をいえば、ここ最近私のこれはずっと続いている。

 学校から家に帰る前に、一度神社に寄る。これが日課になっていた。

 先日衝撃的な再会を果たしたあの男の人に会えるかもしれないだなんて、ほんの少ししか頭にないが、それでもなんとなく神社に足を向けてしまっていた。


 神社の石段に腰をかけてしばらく黄昏た後、スクールバッグをひょいと持ち上げて私は行きつけのカフェへと向かった。

 商店街のカフェは実質無料みたいなところがあるし、私はよく利用していた。


 シックな色合いで落ち着いた雰囲気のレトロなカフェ。

 カランカランという鈴の音とともに中に入ると、少し強面のマスターが出迎える。

 マスターは私の顔を見ると──サングラスをしているので見ているのか少し怪しくはあるのだけど、頭を下げて私を歓迎した。

 利用客が少ないことからここのカフェではなんとなくいつも座る席というものが存在している。

 例えばいつも騒がしい女子高生たちは1番奥のテーブル席に座っているし、私は右側のカウンターの1番奥によく座っている。


 いつものカウンター席に向かおうとしたところで、私はそこに誰かが座っていることに気付いた。

 見慣れない後ろ姿なので新入りだろう。

 席を譲ってもらいたいところだが、ここには商店街の人以外も当然来る。

 部外者が私を見たところで何も忖度しようとしない。

 仕方なく右側のカウンターの手前に座ろうとした時、その新入りがこちらに振り向いた。


 確かに彼は商店街の人間ではなかった。

 だけど、知っている人ではあった。

 私の顔を見るなり、彼は隣の席を指差して手招きする。

 にやけてしまいそうな頬を必死に抑えて私は言った。


「ま、また会えたね」

「ああ。前に言った通りになったね。久しぶり、黒田さん」


 彼の名前は覚えている。

 ここ最近ずっと彼のことを考えていたから。

 茂木恋──初めて私に優しくしてくれた外部の人間との再開に、私の胸は高鳴った。


 *


 隣に座って知ったが、彼は勉強をしていたらしい。広げているテキストは物理のものだった。

 カフェで勉強する男の子……結構いいかもしれない。



「黒田さんも勉強しにきたの?」

「えっ……うん。まあそんな感じ」


 本当は勉強しにきたわけじゃないけど取りあえずそう返さないと不自然な気がして、そうしてしまった。

 席に着くといつものようにマスターがホットコーヒーをカウンターに置いて一礼した。


「黒田さんここの常連なんだ」

「う、うん。どうしてわかったの?」

「だって黒田さん注文してないから。行きつけのカフェがあるってカッコいいね」


 これはしまった。

 いつもの調子でカフェに入ったものだから行きつけだと思われてしまった。

 実際行きつけなのだけど、レトロなカフェに通う女子高生なんてどう考えてもおかしい子だ。

 仕方ないから、このまま常連で通そう。


「そ、そうかな? 学校の帰り道にあるからよく寄るんだよね」

「へー、そうなんだ。じゃあ俺もちょくちょくここに来ようかな」

「えっ……それはどうし」

「だって黒田さんに会えるから」


 食い気味に言われて私は思わず顔を上げた。

 そこで、私はこれまで彼の顔を見ないで話をしていたことに気づいた。


 彼ははにかんだ表情で私を見ていた。

 少し短めで茶髪に染めた髪。

 目鼻は整っていて、顔は細い。

 指は少し硬そうで何かスポーツをやっていたのかもしれない。


 まじまじと彼を観察していると、目の前で手を振られて現実に引き戻される。


「おーい黒田さん。どうしたの? 急に固まって」

「あっ、えっ……ごめん。茂木くんが急におかしなこというから」

「そう? 俺はおかしなことなんて言った覚えないんだけどな。俺は君に会えるならまたこのカフェに来ようかなって言っただけだよ?」

「……それをおかしなことって言ってるの」


 からかわれてる……完全に私からかわれてる。

 これまで人をからかうことはあっても、からかわれたことはなかった。

 そんなことすればどうなるか、身の程を知った人間としか接してこなかったのだから。

 からかわれるというのは嫌な気分になるものだと思っていたのけど……彼からからかわれるのはなんだか少し気持ちが良かった。


 しばらく静寂が2人の間に訪れる。

 そして、少し間を置いて彼はクスッと笑った。


「あはは、ごめんね。黒田さんの反応が可愛いから、ついからかっちゃった」


 それもからかうの内に入っているのだろうか?

 私の心はもう彼の掌の上で踊らされていた。


「でも、実のところ黒田さんに会いたかったのは本当だよ」

「えっ、何で?」

「黒田さん県立附属でしょ? 俺は聖心高校だけど県立附属に受かりそうだったらそっち受けてたし、そっちの高校でどんな勉強してるのかってすごく気になるんだよね」

「あっ、そういうこと……」


 少し残念だった。

 てっきり茂木くんは私に気があるのだと思っていたのだけど、興味があったのは私の持っているテスト用紙の方だったらしい。

 私は……自分で言うのも恥ずかしいけど茂木くんのことがほんの少し、本当にすこーしだけ気になっているから、できれば私のことも見て欲しいって気持ちはある。

 ……こういう時はどうしたらいいんだろう。

 初めての感情に戸惑いながらも、私は彼と一緒にいれるという機会を手放す気にはなれなかった。


「じゃあ今度から一緒に勉強しようよ。このカフェで。たまに騒がしい客もくるけど基本静かだし勉強にはうってつけだと思うよ。そこで試験とか小テストとか茂木くんに見せるから、勉強教えて」

「言いたいこと全部言われちゃった。うん、もちろん俺はオッケーだよ。黒田さんが言い出さなかった俺から提案しようと思ってたんだ」


 茂木くんは物理のテキストを閉じると、クルリとペン回しをした。

 使ってるシャーペンは書くたびにクルクル回るやつだった。

 私はカバンから今日やった小テストを取り出す。

 彼はそれを受け取ると、問題に目を通してうんうんと頷いていた。

 すごい。私は手も足も出なかったのに茂木くんは分かっているようだ。


「俺が黒田さんの問題解いてる間、黒田さんはこっち解いててよ」

「えっと、これは?」

「俺の高校の補講で使ってたプリント。補講受けた人からもらったんだ。難易度もかなり低めだし、こういう簡単めなところから解くのがいいと思うよ」


 渡されたプリントを少し読んでみると、プリントは2段構成になっていた。

 上には解答の方法が書かれていて、その下に例題が出されている。

 すごく親切なプリントだ。

 内容も、私でもわかるくらいの難易度かもしれない。


「あ、ありがとう茂木くん。えっと補講って……聖心高校の先生は熱心なんだね」

「あれ? 県立附属には補講とかないの? 赤点取った人とかに向けて」


 え、もしかしてこれは赤点取った人向けのプリントなの……?

 私は口にしなかったがそのことがかなりショックだった。

 つまり私は自分の通う高校よりも偏差値が5以上も低い高校の底辺生徒と同レベルということで……こんなんだったら別の高校にしたかった。

 お爺ちゃんが受けろというから無理矢理受けさせられたけど、絶対他の高校の方が良かった。

 聖心だったら茂木くんと一緒に学校通えてたのにな……


「赤点補講とかないかな……? 私の高校は基本補講がないから」

「へぇ、そうなんだ。意外だね。頭いい高校って大体補講あるものだと思ってたよ」

「一応、先生たちが放課後学習室に待機してて、自主的に質問をしに行くことはできるよ」

「うわぁ、それは意識高すぎるね。俺の高校でそんなシステム使っても誰も質問しに行かなそう」


 そう!それが普通だよね……!

 あの空間にいる間はそんなこと言えないけど、県立附属の人たちはすごく意識が高い。

 勉強ができるのもそうだけど、勉強以外の知的活動?にも熱心に取り組んでいるし、私とは住んでいる世界が違う人たちが集まっているようだ。

 話をすればするほど、茂木くんの高校に行きたくなってきた。


「そうなるとこのまま県立附属だけで勉強するのは危険だったね。きっと、初歩的な質問とかはしにくいだろうし」

「う、うん……! 私もなんだか萎縮しちゃって質問しに行けなかったんだ……」

「もし俺が黒田さんの立場だったら同じように萎縮しちゃうと思う。それでも勉強する意欲が残ってる黒田さんは偉いよ」

「そ、そうかな……?」


 褒められてしまった。

 悪い気持ちはしないし、なんならとても気分がいいのでもっと褒めて欲しい。

 茂木くんと一緒にいるとなんだかとても暖かい気持ちになるなぁ……

 学校の先生も茂木くんみたいにもっと私に優しくしてほしい。


 茂木くんはノートを取り出すと再びペンをクルリと回した。


「それじゃあ早速解いてみるね。そっちのプリントは原本じゃなくてコピーだから書き込みしていいよ」

「ありがとう。ここまでしてくれるなんて」

「あはは、喜んでもらえただけで俺は嬉しいよ。よーし、俺も気合入れるぞ」


 茂木くんはそういうと私の小テストを解き始めてしまった。


 真剣に問題に取り組む茂木くんは、普段より3割り増しでイケメンに見える。

 ……って、いけない。せっかく用意してくれたんだから私も解かないと。

 私は1問目に取り組む前にいつもの癖で名前を記入しようとしたその時だった。

 名前の欄にうっすらと別の人の名前が残っていたのだ。

 おそらく、この赤点補講を受けた人のものだと思うけど、その名前に私は見覚えがあった。


「(田中……太郎? もしかしてあの田中太郎か?)」


 あいつのことはよく知っている。

 商店街で床屋を開いてる家の息子だ。

 私と同じ学年のお調子者。

 あいつは面白いやつだったからいじめる気にはならなかったが、まさかこんなところで私の障害となるだなんて。


「(どこまでだ……茂木くんはどこまで知っている? 田中はどこまで話した?)」


 突如現れた危機に私は額に汗を流すのであった。

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