第32話 数ヶ月前のこと

 講義を終えた君島まりこは、スマホをいじりながら、駅とは反対方向の繁華街へと姿をくらました。友達と落ち合って、夜の街へと遊びに繰り出すのだろうか。否、そうでない事はもう分かりきっているのだが。


 偶然SNSでまりこ本人のものであろうアカウントを見つけたのはつい最近のことだ。名士の娘であり、実家のある地元では知らないものがいないほどのかなりの豪邸に住んでいるとの噂を聞いたことがある。祖父が大地主でもあることからわかるように、彼女自身由緒正しき家系の生まれであり、読んで字のごとく箱入り娘として、厳格な親に育てられたのだと同じ塾内の当時を知る者は語っていた。


 塾講師をし始めてようやく慣れてきた頃、彼女は当塾に入校してきた。清楚可憐な見目に、自身を宿す堂々とした眼差しとのギャップ。仕草の一つ一つが洗練されていて、それにいささか見ほれていると、彼女の周りに一枚漂う魅惑のベールにぐんと吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥ってしまうほどだ。白い肌に絹のような若く艶やかな黒髪のコントラストがエキゾチックなのに対し、彼女の表情は大和撫子の名に相応しい奥ゆかしさが孕んでいた。


 まさか自分がこの歳にもなって、女子高生なんかに見惚れてしまうなどとは思ってもみなかった。ただ一つ確かなのは、俺と同じように彼女を高嶺の花だと過剰に神聖視している者は、俺だけではないということだ。


 教壇に立っていると、彼女へ向けられる熱い眼差しが嫌という程目に付いた。こんな環境で勉強に集中できるのか? とも思えたが、彼女はしっかり自分を保ち、周りからのアプローチをも意に介さなかった。塾など必要ないほどに賢かった彼女は、まだ一月経つか立たないかくらいであるにも関わらず塾をやめると言ってきた。


 事情は分からなかったが、そもそも塾に入ったのも彼女の意思ではなかったのかもしれないと考えた。大方、遠方の娘を縛り付けるために無理矢理塾へ通わせる事で、彼女が監視下から抜け出してしまわないようにする過保護な親の考えそうな策の一つだろうと思う。


 しかしそんな親の愚策などでは、まりこの野心を制することは難しかったようだ。


 彼女はSNSを使って、小遣い稼ぎが目的なのか、はたまた若気の至り、火遊びのつもりなのか巷で話題の“パパ活”なるものに手を染めていた。法に触れるような援助交際とはまた一線を引く形で、取り締まられることなく蔓延っているWIN–WINな交際のことだ。


 年齢問わず若い素人女性が経済力のあるオトナの男と善意でデートする代わりに食事代や買い物代を男側が支払い、時にはオプションで手を繋いだり、ハグなんかもお願いできる仕様になっているらしい……が。


 ……本当は俺もよくその実態は知らない。少なくともまりこはSNSで上ではそう言った謳い文句でカモなるパパを募っているのはこの目で見たので確かである。


 きっと両親は知る由もないし、学校や級友だって知らないだろう……。


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