第6話:むきになって

 燦爛さんらんと太陽が照っている空の下。僕は朝独特の新鮮な空気に身を浸しながらもランドセルを小刻みに揺らして、待ち合わせ場所である駄菓子屋さんへと急ぎ。



「おはよう、拓!」


「おはよう、エイゾー」



 立ちながら本を読んで待っていた拓が、にこりと笑みを差し向ける。すると、僕の直ぐ後に、翼と芳子もやって来て。



「おっはよー!」


「おはよう」



 顔を合わせると、僕等は自然と笑い合った。日中も一緒で、夜も一緒なんて。なんだか変な気分だ、少しくすぐったい。



「莉祐也とエリちゃん、まだ来ないね。どうしたんだろう。いつもなら、もう来ているのに」



 翼と違って、いつも余裕を持って行動をする二人だ。大体、一番に来る拓の次くらいには来ている。だけど、今日はめずらしくも来ていなかった。時間にはまだ余裕があるので待っていると、二人は時間ぎりぎりにやって来た。


 しかし、現れた莉祐也は、いつも以上にしかめ面を浮かばせていた。それだけではなく、左頬には頬全体が隠れるくらい大きな絆創膏ばんそうこうが貼ってあった。その絆創膏のせいではっきりとは見えないけど、その下は、少しだがれているようであった。


 そんな莉祐也の異様な様子に、黙っていられなかったのだろう。いの一番に翼が口を開き。



「おい、莉祐也。その顔、どうしたんだよ」


「別に。なんでもない」


「なんでもないって……」



 なんでもない訳はないだろうけど、でも、莉祐也はそれ以上なにも言わない。元々口数は少ないけど、それでもいつも以上に無愛想だ。不機嫌面をしている。エリちゃんに視線を向けるが、エリちゃんは、ふるふると首を小さく横に振るばかりであった。


 結局、莉祐也の頬のケガの理由は分からぬまま、時間は過ぎていって放課後となり。僕等はランドセルを背負って、校舎を後にした。


 莉祐也の機嫌は、まだ直っていない。そんな彼を気にかけながらも校門を潜り抜けたのと同時、

「莉祐也様」

と、横から声が飛んで来た。声のした方に視線を向けると、そこには黒いスーツに身を包み、髪をオールバックにした若い男の人が立っていた。近くには、車も一台止まっている。


 その人は莉祐也の家の使用人で、莉祐也のお世話係を担当している人だ。莉祐也の家で何度か見かけたことがある。莉祐也のお父さんはほとんど家にいないみたいだし、莉祐也のお母さんは莉祐也が小さい頃に病気で亡くなっていて。だから、この人が普段、莉祐也の面倒を見ているそうだ。でも、莉祐也の家って、僕の家とは違ってとっても広くてきれいで、緊張しちゃって居心地が悪いのであまり行ったことはないし、このお世話係の人も生真面目な性格みたいで。ろくに話したことがないので、よくは知らないんだけど。


 莉祐也のお世話係さんは、

「お迎えに上がりました。さあ、お家に帰りましょう」


「うるせえ、俺に触んな!」


「いけません、莉祐也様。今朝方、お父様にも言い付けられたでしょう。家庭教師の先生がいらっしゃるんです。早く帰りますよ」


「そんなの知るか、離せ!」


「莉祐也様! しっかり勉強なさらないと、牧埜まきの中学校には受かりませんよ。ただでさえスタートが遅れているんですから。周りの子は、とっくに受験勉強を始めているんですからね」


「あんな所、俺は行かないって言ってんだろ!」


「良い学校で学ばないと、お父様のように立派な人にはなれませんよ」


「アイツのどこが立派なんだ! 離せって言ってるだろ!!」



 そう言って莉祐也は、お世話係さんの手を振り払う。しかし、お世話係さんは、莉祐也を説得するのは無理だとあきらめたのだろう。莉祐也を米俵みたく、ひょいと肩に担ぎ上げ。



「離せ! このっ……!!」



 暴れる莉祐也をものともせず、お世話係さんは、そのまま莉祐也を車の中へと押し込んだ。ばたんと扉が閉まるやいなや、車は直ぐにも発進する。


 まるで台風が去った後みたいに、その場はしんと静まり返り。残された僕達は、しばらくの間、その場に突っ立っていたけれど。やはり、いの一番に翼が口を開き。



「牧埜中学って、確か男子校だよな」


「うん。この辺りでは一番偏差値が高い、名門私立中学だよ。確か莉祐也のお父さんも、そこの中学出身だったと思う」


「莉祐也、中学受験をするってこと? アタシ達とは別の中学校に行っちゃうのかなあ。

 エリちゃんは知ってたの?」


「いえ……」



 エリちゃんは、めずらしくも、しゅんと表情を曇らせていた。


 莉祐也が中学受験をするなんて、そんなこと、思ってもいなかった。あの様子だと、おそらくお父さんに言われたからで、本人には全くその気はないようで。おそらく頬のケガも、お父さんに……なのだろう。


 でも、将来、か。つい先日出された、宿題の作文のことを思い出してしまった。期限までまだ日はあるけど、それでも僕は考えるだけで億劫おっくうなのに。それなのに莉祐也は親から言われたからだとはいえ、将来のために今からすでにその準備を始めているなんて。


 なんだか急に、莉祐也が遠くに行ってしまったみたいで。置いてけぼりをくらったような、妙な気分におそわれる。


 ただでさえ僕等の中で一番背の高い莉祐也は、僕とは違って声変わりも始まっている。それだけじゃない、たまにひどく一瞬だけど大人びて見えて、そんな時、まるで僕の知らない人のように感じられ、どきりとすることもあった。


 僕はなんとも言えない気持ちのまま、すっかり重たくなったランドセルを背負って。みんなの後について行くよう、帰路を歩いて行った。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 その日の作戦会議に、もちろん莉祐也が現れることはなく。


 すっかり日は暮れ、いつもの時刻、誰もが深い眠りについている時分。コンコンと窓を叩く合図の音にカーテンを開けると、みんなの中に今度は莉祐也の姿もあった。けれど、莉祐也は昼間と変わらず不機嫌なままで。隣にいるエリちゃんも、心なしか元気がないようだ。おそらく莉祐也のことが気がかりなのだろう。


 そんないつもとは違って、いささか不穏な空気が流れている中。それでも僕等は押し入れに移動すると、第一の宝珠が作り出すタイムトンネルを通って過去の世界へと行った。


 三平達と一緒に朝ご飯を済まして、第六の宝珠から発せられた光の帯を頼りに歩いていると、村が見えてきた。この村は今まで見てきた村とは随分と違って、とても栄えていた。


 いや、村というより、町といった方が適切かもしれない。家も竪穴式住居ではなく今の家に大分近い形をしていて、時代劇でよく見られる町家とかいうんだっけ? 茶屋や呉服屋といった商いを営んでいる家が道に面して並んでおり、お店の人が道行く人に活気良く声をかけている。野菜や魚を入れた桶を天秤棒で担いで、売り歩いている人々も見かけられた。


 彼等の着ている衣服まで、今までに見てきた村人が着ているような簡素な麻の着物ではなく、木綿で織られたもののようで、厚地でぱりっとしている。町の人々は、みんな陽気で楽しそうだ。


 急に文明が栄えた町にやって来て、まるでタイムスリップしたような気分におちいっていると、

「この辺りは、姫御子がいると言われている城に近いからな。だから恩恵おんけいを受けやすく、栄えているんだろう」

と、三平がぶっきら棒に言い放つ。すると、その声が聞こえたのだろう。近くにいた商人達も、

「ああ、そうだ。坊主の言う通り、これも姫御子様のおかげさ」

と、話しかけてきた。



「姫御子様が住みやすい環境を整えて下さっているから、俺達はこうして毎日楽しく過ごせているんだ」


「ああ。本当に、姫御子様がいてこそだ」



 けらけらと話している町人達を横目に、拓は小さな声で。



「僕達が今まで見てきた村とは随分違うね」


「ええ。他の村みたいに、農業はしていないみたいだし」


「農業だって? あんな低俗なこと、俺達はやらないよ」


「ああ。ああいう泥臭いことは、身分の低い人間がすることだ」


「なんせ俺達は、姫御子様から選ばれた人間だからな。だから、姫御子様には本当に感謝しないとな」


「姫御子様、万歳!」


「姫御子様、万歳!!」



 一人の商人を発端ほったんに、町のあちこちで姫御子をたたえる声が上がり始める。


 姫御子のことを悪く思っている人もいれば、反対に、こんな風に信仰している人もいるなんて。そんなこと、僕等は全く思っていなかった。


 なんだかこの人達が同じ人間とは思えず。まるで知らない生物のようだと、妙な恐怖におそわれていると、翼が小声でささやき。



「俺等が姫御子のことを倒そうとしていることを知ったら、この町の人達に袋叩きにされるんじゃないか?」


「うん、早くここから出た方が良さそうだね」

と、拓を筆頭にみんなも同意した。


 僕等はこそこそと、身を小さくさせ。早く町から出ようと急ぎ足で歩いていると、不意に横から、

「もし、そこの少年少女」

と、声がかかる。声のした方を振り向くと、そこにはひどく腰を曲げた、白いひげを生やしたおじいさんが立っていた。かぶっている笠のせいで顔は隠れてあまり見えなかったけれど、杖を突いており、どうやら年配そうだ。


 おじいさんは、重たそうにひげの間に埋まっている口を動かし。



「少年達よ。わしを家まで負ぶってはくれんかい? 疲れてしまって、これ以上歩けんのじゃ。もちろん礼はちゃんとするぞ」



 げほ、ごほとせき込みながら、苦しそうに言った。


 おじいさんの申し入れに、僕等は顔を見合わせる。おじいさんのお願いを叶えてあげたい気持ちはあったが、しかし、一刻も早くこの町から出たくもあった。


 誰もが悩んでいると、

「おい」

と、莉祐也が声を上げ。



「あのジジイ、いかにも怪しいだろう。無視して行こうぜ」



 さらりと述べる莉祐也に、おじいさんはひどく狼狽ろうばいし出し。



「そ、そんな、殺生せっしょうな!? わしはもう一歩も歩けんのじゃ。後生ごしょうじゃから、家まで送って下され。なにとぞ、なにとぞ……!」

と、がしりと莉祐也にまとわり付いた。


 必死なおじいさんを、それでも莉祐也は無視しようとし。二進も三進もいかない状況に、翼が一つ乾いた息を吐き出させ。



「莉祐也って、本当にひどいやつだよなー。こんなか弱い年寄りのことを疑うなんて。

 なあ、じいさん。いいぜ、家まで送ってやるよ。俺の背中に乗りなよ」



 翼がおじいさんの前にしゃがみ込むと、おじいさんは莉祐也からターゲットを翼へと変え。ひょいと彼の背中に飛び乗った。


 僕もおじいさんのことが気がかりだったので、翼が言い出してくれて良かったと。そう思いながら、

「次は右に曲がって下され。その次は左で」

と、おじいさんの案内に従って歩いて行くと。



「へえ、ここがじいさんの家か。大きな家だなあ」



 立派なお屋敷の前にたどり着いた。翼の言う通り、おじいさんの家は、もしかしたら僕の家より大きいかもしれない。書院造というのかな? 外見だけでなく、家の中も畳やふすまがあって、今まで見かけたどの家よりも現代的で整っていた。



「送ってくれたお礼に、特別に良いものを見せてやろう。ついて来なされ」



 おじいさんは得意気に、地下へと続く階段を降りて行った。おじいさんのせっかくの好意を無下むげにしてはならないと、僕等もおじいさんの後について行く。犬である犬彦だけは家の中に入る訳にはいかないので、屋敷の前で一人お留守番だ。



「なあ、じいさん。どこまで行くんだよ」


「ほっほっほっ。盗まれんよう、家の奥深くに大切に保管しておるのじゃ」


「随分と暗い部屋だなあ」


「地下じゃからのう。日の光が届かんのじゃ。もう少しだから我慢して下され」



 薄暗い中、僕等は転ばないよう注意を払いながらも進んで行く。すると、突然がっちゃん! と、甲高い音が響き渡る。それから、ぱっとロウソクの明かりが灯った。けれど。



「……あれ? なんだ、ここは?」



 翼の間の抜けた声が、辺り一帯に反響した。目の前には、なぜか柵がある。まるで……、いや、ここはまぎれもなく牢屋だ。 


 一体どういうことなのかと、答えを出すよりも早く。「なーはっはっ!」と、不愉快な音が響き渡り。



「無様だな、姫御子様に逆らう愚か者どもが!」


「あっ、お前はーー!」



 翼が身を乗り出し、声の主を鋭く指差すけれど。数秒の間が空けられて。



「えーと、バカ二郎だっけ……?」


「違う! 秋二郎だ、秋二郎! 秋二郎様だっ!!」



 秋二郎は腰に差していた木刀を、翼に向かってぶんぶんと乱暴に振り回す。



「全く、なんて無礼なやつ等だ。

 それにしても、よくやったぞ、じい。さすが、このまろのじいだ。見事な名演技であったぞ。

 なに。この城下町で、偶然お前達を見かけてな。まんまとまろの優れた罠に引っかかってくれたな、感謝するぞ」



 秋二郎は鼻息荒く、偉そうにふんぞり返る。僕等を捕えたのが、余程うれしいのだろう。小躍りまでし出す始末である。


 しかし、そんな彼の動きが急にぴたりと止まり。



「やはり、かわいい……! この秋二郎様にぴったりだ。

 おい、そこの娘。名はエリといったか? どうだ、今ならまだこの秋二郎様の嫁にしてやるぞ。お前だけは特別に、そこから出してやろう」



 秋二郎は性懲しょうこりもなく、またしてもエリちゃんに言い寄るけど。エリちゃんは、さっと莉祐也の後ろへと隠れ。



「嫌ですわ。あなたのような、人の好意を無下にして、平気で騙すような方の元に嫁ぐなんて。ありえませんわ!」



 やはりエリちゃんは容赦ようしゃなく、きっぱりと言い放つ。秋二郎の顔は、ぴしりと氷みたく硬く張り付いた。


 しかし、しばしの時間を有してから、彼はどうにか持ち直し。



「鳥居様に引き渡すまで、お前等はそこで過ごすんだな。それと、これも没収だ!」


「あっ、俺のリュック!? いつの間に。こら、返せよ!」


「これが鳥居様が欲しがっていたものか。よく分からないが、姫御子様に歯向かうやつ等が集めているものなら物騒に違いない」



 秋二郎は宝珠が入っている三平のリュックサックを持って、おじいさんも引き連れ地下室から去って行く。


 残された僕等はというと……。



「アイツの罠にはまったなんて。屈辱だ……、なんたる屈辱だっ……! かなりヘビーだ……」



 秋二郎に騙されたことが、余程ショックだったのだろう。翼はめずらしくもひどく落ち込んでいる。そんな翼に、さらに追い討ちをかけるよう。



「ほら、みろ。俺の言った通りだったじゃねえか」



 莉祐也が嫌みたらしく吐き出した。



「そ、それは、今回がたまたまそうだっただけだろう!」


「よく知りもしないやつを簡単に信用するからだ」



 翼は負けじと言い返すが、今回ばかりは歯切れが悪く。直ぐにも莉祐也に反撃されてしまう。


 しかし、芳子が二人の間に割り込み。



「もう、今はケンカなんてしている場合じゃないでしょう! ここから出られないと、家にも帰れないわよね」


「宝珠も取られちゃったし、アレがないとおそらく……。

 このまま元の時代に帰れないと、僕達、行方不明として扱われちゃうかもしれないね。それに」



 拓は、一拍の間を空けさせてから。



「その前に、殺されちゃうかもしれないし」

と、呟いた。



「殺されるって、そんな、まさか……!?」



 思わず声がもれてしまった僕に向け、拓は真剣な眼差しを携えて。



「秋二郎達にとって、僕等はじゃま者だ。そうなっても不思議はないよ。鳥居って人に引き渡すって言ってたけど……。

 ねえ、三平はその人のことを知ってるの?」


「さあ。でも、おそらく秋二郎の親玉だろう」



 三平も、鳥居という人物を知らないようで。しかし、彼の言う通り、おそらく秋二郎みたいに姫御子のことを信仰している人なのだろう。


 姫御子のことを信仰しているーー……。


 僕等のしようとしていることは、きっと、そういう人達にとっては、とても迷惑なことなのだろう。だから秋二郎だって、こうして僕等のことを捕えたのだ。


 芳子も僕と同じことを考えていたのだろう。じっと床を見つめたまま、

「ここの町の人達、とっても楽しそうだったね」

と、ぼそりと呟いた。



「ああ。みんなして姫御子様のおかげだって、口をそろえてさ」



 芳子だけでなく、翼も、みんなも僕と同じように感じていたらしい。


 僕等のしようとしていることは、本当に正しいことなのか。つい揺らいでしまっていると、莉祐也が澄ました顔で。



「姫御子が倒されて困るのなんて、どうせ一部の人間だけだ。アイツ等は、自分達だけ今まで散々甘い汁を吸っていたんだ。周りの人間が、どんな苦行を強いられていてもな。

 俺達が姫御子を倒したことで、たとえアイツ等の生活が変わったとしても。自分勝手に生きてきたやつに同情してやる必要なんか一切ない」


「でも、どうしてこの町の人達だけ、こうも姫御子の恩恵を受けられているのかな。身分の差なのかな」


「そうね。あの人達、自分達は姫御子に選ばれたって言っていたし。昔って、そういうのがあったんでしょう」


「なにを言っているんだ。身分差なんて、今も存在しているだろう。俺とお前達と、分かりやすいじゃないか」



 きっぱりと告げる莉祐也に、

「お前って、本当に嫌なやつだよな……」



 翼が、ぐにゃりと眉を大きく曲げさせる。


 でも、本当にその通りで。僕達と莉祐也は、生きている世界が違うと思う。同じ小学校には通っているものの、やっぱり育ちが違うと感じることは度々ある。莉祐也が常日頃食べている物も着ている服も、僕とは比べものにならないくらい高価なものだろう。


 莉祐也は、ひどく瞳を細めさせ。



「今の日本の政治を見ろ。それが顕著になっているだろうが。いいや、昔からそうだ。その度に人間はみじめにも争ってきたんだ。

 大方の人間は、自分の地位や名誉、金のためだけに動いている。本当にこの国のことを思っている政治家が、一体何人いることか。アイツ等が目指しているのは、自分達にとって都合のいい国作りだ。あの町のやつ等と一緒だ、仲間内だけで得する仕組みを必死になって整えている。そういうやつ等にいいように使われないよう、お前等も少しは政治を勉強しろ。

 人間が知恵をつけた時から、強い人間はより私腹を肥やそうと躍起になり、弱者はその仕組みにすら気が付けず、搾取さくしゅされ続ける。弱い人間は淘汰とうたされる。世の中、そういう風にできているんだ。人が人であるのをやめない限り、身分の差は絶対になくならない。扱き使われるのが嫌なら、のし上がるしかないんだ」



「のし上がるしかない」と、莉祐也はもう一度繰り返させる。


 その声音の低さに、ぞくりと体中に冷ややかな電流のようなものが駆け巡る。まるで研ぎ澄まされた刃のような、そんなものを扱っている莉祐也に、僕はぎゅっと拳を強く握りしめながらも。



「どうしたの、莉祐也。なんか変だよ……?」



 確かに莉祐也の言うことを聞かなかったばかりに秋二郎に騙されて、こんな所に閉じ込められちゃって。だけど、なんだかいつも以上に莉祐也はいらだっている。


 莉祐也は僕のことをじっと見つめ返したものの、直ぐにもふいと顔をそらし。



「……秘密基地に建つ研究所、俺の親父も絡んでた……」


「え……」


「あの研究所の建設計画に、俺の親父も絡んでたんだよ……!」



 まるで吐き捨てるよう、莉祐也は一層声を荒げさせる。


 まさか、例の研究所の建設計画に莉祐也のお父さんも絡んでいたなんて、そんなこと。思ってもいなかった。だから、莉祐也の様子が変だったのか……!


 朝の頬のケガも、もしかしたら中学受験のことだけでなく、僕等の秘密基地のことも関わっていたのかもしれない。


 莉祐也は、僕等へと向き直り。



「俺のせいだって言えよ、お前のせいだってっ! お前のせいで、秘密基地がなくなるんだって!!」



 莉祐也の怒声が、地下の冷ややかな空間内でびんびんと強く反響する。多分こんな莉祐也を見たのは、初めてで。僕にはどうしたらいいのか分からなかった。


 どうやら翼達も動揺しているようで、誰も二の句を継げようとしない。


 けれど。


「あのーー」

と、その場とは不つり合いな、至極澄んだ音が響き渡り。



「私、ずっと考えていたのですが。たとえ莉祐也様と別々の中学校に通うことになってしまったとしても、一緒にお暮らしになれば、毎日顔を合わせることができますわ」


「は……?」


「ですからパパに頼んで二人のお家を建ててもらって、そこで一緒に暮らしましょう。将来、結婚するんですもの。今から生活を共にしても早くはありませんわ」


「なにを言っているんだ、早過ぎだろう。なにが早くはない、だ。

 大体、そんな理由で家なんか建てられるか。無理に決まってるだろうが」


「そうですか? でしたら私、毎日、莉祐也様の元を訪ねますわ。お会いになる方法なら、いくらでもありますわ。ですから、とっても寂しいですが我慢しますわ」



 思いもしていなかったエリちゃんの発言の数々に、莉祐也はすっかり間の抜けた顔をしている。顔にははっきりと、「なにを言い出すんだ」と書かれている。


 そんな莉祐也を置き去りに、エリちゃんは、

「秘密基地のことも残念ですが、代わりの場所を探しましょう。みんなで探せば、きっと前より良い場所が見つかりますわ」



 そう付け加えると、にこりと微笑を浮かべさせた。


 そんなエリちゃんに、しかし、莉祐也は反対に眉をつり上げて。



「お前、人の話を聞いていたのか!? 親父が公園によく分からない研究施設を建てようとしているのは、俺達の秘密基地を潰すためだ。お前達が、俺と関わらないようにしようとしているからだよ。

 大体、親父がお前のことを俺の許婚として認めているのは、お前の家の財産が目当てだ。お前、利用されるだけなんだぞ。どうしてそれが分かんないだ。いい加減、気付けよっ!!」



 肩で息をする莉祐也に、エリちゃんはこてんと首を傾げさせ。



「それのどこがいけませんの?」


「は……?」


「莉祐也様は、莉祐也様ですもの。私は莉祐也様と一緒になれるのであれば、それだけで十分ですわ。莉祐也様のお父様は、一切関係ありません。私の家の財産も、それで莉祐也様のお父様がお喜びになれるのであれば、お好きに使っていただいて結構ですわ。

 莉祐也様と一緒にいられるのであれば、それだけで。私は周りからどう思われようと全く構いませんの」


 さらりと述べるエリちゃんに、一方の莉祐也は、またもや呆然としている。何度も瞬きを繰り返させるばかりだ。


 だけど、彼の目には、また鋭さが宿っており。



「なんで分からねえんだよ、俺が嫌なんだよ! 俺がっ……!」



 エリちゃんの体が、ふわりと羽みたいに軽やかに。莉祐也へと抱き付き。



「あなたのその、不器用な優しさが好きーー……」



 莉祐也の耳元で、そうささやいた。


 莉祐也は、それ以上はなにも言わず。宙をさまよっていた手は、次第に居場所を見つけ。黙ってエリちゃんのことを抱きしめ返す。


 静寂な時間が流れる中、拓が、ふっと笑みを浮かばせ。



「……そうだよ。秘密基地のこと、莉祐也は全く関係ない。だから、莉祐也が気にする必要なんてないよ」


「そうよ、拓の言う通りよ。莉祐也は、莉祐也よ! お父さんは関係ないわ。秘密基地なら、また作ればいいわよ」


「うん。たとえ新しく作った秘密基地も前みたいに取り上げられちゃったとしても、そしたらまた作ればいいよ。それに、中学校のことも。そんなに嫌なら、僕達も一緒にお父さんを説得してあげるよ!」



 莉祐也のお父さんは、少しこわいけど。でも、みんなが一緒なら。なんとかなるんじゃないかなって、そう思うんだ。


 いつもは莉祐也とケンカばかりしている翼も、

「そうだな。お前がいないと、エイゾーも拓も弱くて相手にならないし」

と、ぶっきら棒に言い放つ。翼ってば、ひどいな。


 でも。



「莉祐也はさ、僕達と身分の差があるって言ってたけどさ。それでも僕達、友達じゃん。

 莉祐也の言う通り、世間から見たらそうかもしれないけどさ。それでも、この事実は変わらないよ」



 莉祐也の目を見つめると、莉祐也の目からは、いつの間にか先程までの鋭さはなくなっていた。


 彼は、エリちゃんの肩に顔を埋めさせ。



「どうしようもねえやつ等……」



 絞り出すように、そう言った。


 莉祐也らしい返事に、僕等は顔を見合わせると、一斉に笑い出した。


「なんだかよく分からないけど、良かったな」と、三平までもが笑っている。 



「それにしても。秘密基地のこと、気にしていたなんて。坊ちゃまらしくないって言うか」


「うん。素直な莉祐也なんて、莉祐也らしくないよね。

 でも、僕等は莉祐也が素直じゃないって知ってるから良いんだけどさ。一度、ちゃんとお父さんと話し合った方が良いと思うよ。結局、分かり合うためには、話し合うしかないんだよね。きちんと自分の気持ちをぶつけてみなよ」



 拓にそう言われ、莉祐也は、「うるせえ」と、小さく呟く。彼の顔は、真っ赤に染まっている。


 翼と拓は、莉祐也が黙っているのをいいことに、二人はだんだんエスカレートしていき。



「エリちゃんのことだって。本当は、だーい好きなくせにさー。それなのに、へそ曲がりな坊ちゃまときたら……」


「やっぱりそうなんだ。俺がこの間、エリちゃんのことをエリって呼んだら、すっごい顔でにらんできたぞ」


「だめだよ、三平。それ、莉祐也が一番嫌がるやつだよ。だから僕達、エリちゃんのことは、ちゃん付けしているんだもん」



 わっ……! と、またしても笑い出す僕等に、莉祐也は耳まで真っ赤にさせ。


「うるせえっ!」

と、一声吠えた。



「はははっ。ごめん、ごめん。莉祐也の話はこれくらいにして。今度は、ここから出る方法を考えないと」


「ああ。それに、宝珠も取り返さないとな!」


「犬彦、気付いて助けに来てくれないかなー」


「でも、犬彦が来てくれた所で、この牢の鍵は開けられないんじゃないかなあ」



 ああでもない、こうでもないと。話し合っている最中、エリちゃんに抱かれていたイナバが、ぴょんとエリちゃんの腕から飛び出し。



「あら。イナバちゃん、どこに行くの?」



 イナバはちらりとエリちゃんの方を向いたけど、直ぐにまた顔を戻し。そして、柵の間へと突っ込んだ。


 右へ、左へ、むぎゅむぎゅっと体を動かして。どうにか無理矢理その間を通り抜けると、今度は背伸びをして、鍵の錠をがしがしと前足でいじり出す。


 すると、がしゃん! と錠は床に転がり落ち、甲高い音が響き渡った。ぎいぃ……と鈍い音を立てながら、扉が開いていきーー……。



「やったあっ! 牢から出られたぞ!」


「ナイス、イナバ! 秋二郎のやつ、バカだから、ちゃんと鍵をかけていなかったんだな!」


「イナバちゃん、良い子ですわ」



 エリちゃんはすっかり得意気なイナバを抱き上げ、優しく頭をなでてやる。


 牢から出られることが分かり、ひとまず安堵したけど。



「あとは宝珠を取り戻すだけだな」


「あっ、そうだ! 良いことを思い付いたぞ。

 エリちゃん、ちょっと色仕かけでも使って秋二郎を騙して、宝珠を返してもらってきてよ」


「嫌ですわ。私、あの方に近付きたくもありませんの」


「そうよ。エリちゃんがかわいそうよ」



 嫌がるエリちゃんを芳子も援護する。確かにエリちゃんに夢中になっている秋二郎なら、エリちゃんのお願いをほいほい聞いてくれそうではあるけど。でも、必ずそうなる保証はないし、反対に嫌がるエリちゃんに手を出す危険だってあるのだ。


 他に良いアイディアは……。



「あっ、そうだ! 良いものがあったんだ」



 僕はズボンのポケットの中から、あるものを取り出して見せると。



「なんだよ、エイゾー。それ、前に作った、立体映像複製機だろう」


「うん、そうなんだけど……」



 僕はエリちゃんに機械を向けて赤いボタンを押し、それから、今度は翼に向けて青いボタンを押した。するとーー。



「おおっ! これはすごい!!」



 先程まで翼がいた所に、翼の姿が見えなくなった代わりに、もう一人エリちゃんの姿が現れる。



「この前の立体映像複製機を改造して作ったんだ。モノマネライトだよ。データを読み取った対象物をコピーして、それを別の対象物に貼り付けることができるんだ。

 これで翼がエリちゃんのフリをして、うまいこと秋二郎から宝珠を取り戻してきてよ」


「ああ、分かった。俺に任せろ。このくらい、ライトだぜ!」



 翼はエリちゃんの姿で、げらげらと笑声を上げる。こんな下品なエリちゃん、今までに見たことがない。変な感じだ。


 頼んだ手前ではあるが、翼に任せて大丈夫かなと少しばかり後悔したものの。莉祐也と三平も、翼の援護について行くことになり。二人が一緒なら、なにかあっても翼をフォローしてくれるだろう。



「あの、莉祐也様。やっぱり私も行きますわ」


「なにを言ってるんだ。お前がもう一人いるのを見られたら、秋二郎に怪しまれるだろうが」


「ですが……」


「いいからお前はおとなしくここにいろ」



 エリちゃんは、しゅんと表情を曇らせたままではあったものの。莉祐也に諭され、こくんと小さくうなずいた。


 エリちゃん並びに僕等残りのメンバーは、あまり大人数で移動しても、牢から出たことが知られてしまうおそれもある。なので、宝珠を取り戻すまでは、このまま牢に残ることになった。


 話はまとまり、翼と三平、莉祐也は牢から出て行くが。ふと莉祐也が引き返して来て。



「おい。エイゾー、拓」



 莉祐也は、小声で僕等を呼びつけ。



「エリに傷一つでも付けさせたら、その時は、……分かっているだろうな?」



 僕等の耳元で、ひどく低い声音でささやいた。


 そう言い残すと、再び出て行く莉祐也の背中を僕は見送りながら。



「拓、なんとしてもエリちゃんを守らないと。でないと、僕達に明日はないよ」


「うん、そうだね」



 二人ですっかり青ざめてしまった顔を見合わせると、強く誓い合った。


 残った僕達は、ハエカメラで翼達の様子を確認する。堂々と階段を上がって行く翼の後を、莉祐也と三平は翼から少し距離を空けて、こそこそと周囲に気を配りながら進んでいる。 


 エリちゃんにふんした翼は、とある部屋でのんびりとお茶を飲んでいる秋二郎の姿を見つけるや、意気揚々と彼に近付いて行き。



「あの、バカ……じゃなくて、秋二郎様」


「ん……? なっ、どうしてエリがここに!? 牢に閉じ込めておいたはずなのに」


「それは、えっと、あのじいさん……じゃなくて、おじいさんにお願いして、私だけ出していただいたのですわ。

 さっきはごめんなさい、ひどいことを言ってしまって。よく見たら秋二郎様って、とっても素敵ですわ。エリ、秋二郎様のお嫁さんになりたいですわ」


「えっ、えっ? 今、なんと? 

 ふっ……、そうであろう、そうであろう。まろがこの世で一番であろう!」



 一抹の心配もいらず。秋二郎は、すっかり騙されてくれていた。


 でれでれとだらしない顔をしている秋二郎に、翼はさらに近付いていき。彼の手を強く握って。



「所で、秋二郎様。宝珠は一体どちらにありますの?」


「はて。宝珠とはなんのことだ?」


「先程三平から奪った、リュックのことですわ」


「ああ、あの袋のことか。アレなら、ほれ。この棚の中に大切に隠しておるぞ」



 立ち上がった秋二郎が、棚の中からリュックサックを取り出した瞬間。



「そうですか。……ありがとうございましたわーー!」



 そう言いながら翼は、秋二郎の額を思い切り竹刀で突いた。すっかり気を許していた秋二郎は、後ろに大きく吹き飛んで。その勢いを殺さぬまま、どんっ! と、棚に頭をぶつけ、目を回す。


 翼は、そんな秋二郎の手からリュックサックを奪い取り。



「よし、宝珠を取り戻したぞ!」



 ハエカメラに向かってブイサインをする翼を合図に、

「よし、僕達も出よう!」



 僕と拓、それから芳子で、エリちゃんを連れて牢から出る。そして、翼達と合流して、玄関を目指すけれど。その途中、秋二郎の家来達と鉢合わせてしまい……。



「うわっ!? 捕らえた者達が牢から抜け出しているぞ!」


「であえであえ、捕まえろ!」


「しまった、見つかった!?」


「仕方ない、戦うしかないな。くらえ、とりもち爆弾ーー!」



 三平の放った矢に付けられていた、とりもち爆弾が破裂し。数人の男達がその餌食えじきになった。


 そこからは、もう乱闘。主に翼と莉祐也が活路を開いて、三平が後ろから迫り来る敵を足止めする。


 こうして僕達は、どうにか秋二郎の屋敷から脱出してーー。



「このまま町の外まで逃げるぞーー!」



 塀の前で一人留守番をしていた犬彦も、屋敷から飛び出して来た僕等の必死な様に察したのだろう。一緒になって、町の外目指して駆けて行く。


 外に出ると、日はすっかり暮れており。空は、きれいな橙色に染まっていた。走り続ける僕等は、気付けば誰からともなく、みんな笑い声を上げていた。


 そんな笑声が響く中、僕等は立ち止まることなく。どこまでも、どこまでも力強く走り続けた。

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