第41話 全然足りねーわ

 目を覚ますと車が動いていて慌てた。


「っおい、なんで勝手に!?」

「ああおはよ。なんか目ぇ覚めちゃってねー」


 時刻は午前三時過ぎだった。空はまだ日の出の兆しすらなく暗黒だ。セットしたアラームもまだ鳴っていなかった。


「ったく、ひとりじゃ運転できないんじゃなかったのかよ」


「やってみたら案外やれるもんかなーってね」


 間違いなく事故を起こすヤツのセリフだ。目が覚めて本当によかった。俺の中の危機察知能力がこの数日でかなり発達したらしい。


「道は合ってんだろーな」

「バカにしないでよね? もう関東だよ」


「こっからが難しいんだろ」

「だから起きてくれてよかった。ほんと、私ってツイてるぅ」


 こんな調子でこいつはよくここまで生きてきたな、と心から思うよ。


 そこからもやはり何度か道を間違えたり事故りかけたりしながら、なんとか無事に家までたどり着くことができた。ああ、奇跡の生還だ、本当に。


 近くのハンバーガーショップに寄って朝食をとることにした。「はあもう眠ーい、むりー」と盛大にうるさく伸びをして周りに迷惑極まりない姉とはできれば席を離したい。


「運転ありがとうございました。寝ちゃっててすみません」


 普段ハチャメチャなりんごもひよりの前ではとても大人しい女の子に見える。いや、あの運転の中でぐっすり眠っていたというのもまた普通じゃないとも言えるけど。


「ああ、いーのいーの。私先に帰ってちょっと寝るね。だからあとは二人で楽しくやんな」


 そう言うとひよりはさっさとハンバーガーを食べ終えて先に席を立った。そしてまた例のキモいウインクを俺たちに飛ばして店を出ていった。



「旭くん、あたしマネージャーに戻るね」


「え……ああ」


 一瞬何の話かと思ったけどすぐに理解してそして同時に納得した。バイトで稼ぐ目的はもうなくなったわけだもんな。


「旭くん、その……ごめんね、遙真くんとの手紙のこと、黙ってて」


「……いや」


「ちゃんと謝らなきゃな、と思ってて」


 そう言うとりんごは申し訳なさそうに微笑んで「お詫びに」とポテトを一本差し出してきた。


「どんなお詫びだよ……」


「えっ、いちばん長いポテトだよ?」


 ったく……。

 俺はわざと差し出されたポテトは受け取らずにりんごのポテトの入れ物からごっそり五、六本を強奪して頬張ってやった。


「ああーっ!」


「こんなんじゃ全然足りねーわ」


「なにをーっ!?」


 どんな反応が来るか、ちょっと楽しみにしている自分がいた。


 りんごはわざとらしく俺を睨みつけた後で悲しげにポテトの残りを見つめていた。……かと思ったがすぐに体勢を翻してさっと俺の手からハンバーガーを奪い取る。


「あ! 俺のっ!」

「んーーっ! おいひー!」


「ひとくちがでけぇ!」


 歯並びがいいのはいいが綺麗に食い取られた部分がでかすぎた。


「食べ物の恨みは買わない方が身のためだよ」


 俺のハンバーガーをもしゃもしゃと咀嚼しながらそんなことを言う。ったく、どの口が。


「そっくりそのまま返すよ」

 おまえのそれはポテト五本と等価か?


 憐れに小さくなって帰ってきたハンバーガーをこれ以上取られてなるものか、と少し無理をしつつひとくちで片付けた。


 案の定「ああ、もうちょっと欲しかったのにぃ」などと言うから恐ろしい。


「お詫びはどうしたんだよ」


「受け取らなかったのは旭くんでしょー?」


「だからあんな一本で足りないって」

「……まだ怒ってるの?」


 言われて一瞬見つめ合った。


 正直、怒ったというよりは、戸惑った。りんご自身への失望よりも、これまで積み重ねてきた思い出とかの色が一気に悲しみの色に変わったことに驚いたし、突然谷底に突き落とされたような心境だった。


 けどりんごは、はじめからずっと同じことを俺に言い続けていた。そして俺は、それに後から気がついたんだ。


 ──『あたしは旭くんが好き』


 決めつけて、耳を塞いで目を閉じていたのは俺だった。それをりんごは必死で、なんとかこじ開けようとしてくれていた。何度も、何度も。


「いいんだよ。もう。りんごだけが悪かったんじゃない。ちゃんと向き合って話そうとしなかった俺も悪かったから」


 言うとりんごは少し驚いて、やがてふわりと微笑むと、俺の頬にキスをした。


「ありがと。旭くんっ」


 平静を装ったけど本当はもういろんな衝動を抑えるのに必死だった。たとえ塩と油にまみれた唇でも。


 照れ隠しに仕切り直す。


「……さ。それ食ったらりんごの家行こう。お父さんとお母さん心配してんだろ、ちゃんと連絡取ってたの?」


 キャンプから家族旅行に誘うだなんて普通なら有り得ない。楠木家の俺に対する印象が悪化していないことを祈るばかりだ。


「うんー。結局ひよりさんが言ってくれた通り、春間家の家族旅行に混ぜてもらったことになってるから、話合わせてね」


「それについては、お母さんはなんて?」


「えー? なにも? そうなんだー、迷惑掛けないようにねーって」


 さすがはりんごの親、というか。いや油断しちゃいけない。


「なんかお土産買えばよかったな」

 完璧に後の祭りだけど。


「うーん、スーパーボールくらいしかないねぇ。これじゃ、ダメだよね?」「ダメだろ」


 宝物じゃなかったのかよ。


「仕方ないよ。忘れたーって言おう。そんでは忘れないからって言うね」


 そう言ってにっこりと笑った。今度。そうだな。


「楽しかったよねぇ。また行こうね。『みおとはら』……ん? 合ってる?」


「『美音原みとはら』だよ。遙真に呆れられるぞ」

 十年間手紙を出してきてどうして一度も読み方が気にならなかったのかがわからない。


 りんごは「くく」と笑って「そういえば遙真くんの『遙』ってどんな字?」と今更驚くべきことを訊ねてくるのでさすがに引いた。


「は……?」

「待って。書いてみる」


 カバンからペンとメモ紙を取り出した。サラサラと書く文字自体は綺麗なんだけどな……。


「う……ちがう、『しんにょう』は点二個だし、『夕』じゃない」

「げええっ、うっそぉ!?」


 そっくりそのまま返すよ……。っつーかずっとその間違った字で手紙書いてたのかよ。本当に信じ難い。


 まあそんなこんな、じゃれ合いながら朝食を食べ終えて俺たちはハンバーガーショップを後にした。







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